それでそのジェネシスを脱退したピーター・ガブリエル(ゲイブリエル 以下PG)が最初から順調というわけではなかった。いまのところ唯一ともいうべき評伝ではカットされていたが当時契約のあったカリスマレーベルとの確執からレコード何枚分ものデモテープが闇に葬り去られ、契約履行のためだけとしか思えないギクシャクとした内容のファーストアルバムがリリースされたのは77年の8月。
A面の一曲一曲のセンスの良さとB面のだらしなさがまるで別人のものじゃないかと疑いたくなるくらい離反していた。カリスマ・レコードが用意したプロデューサー、ボブ・エズリン(このあとピンクフロイドの『ザ・ウォール』を手がけている)との確執が空中分解してこのような出来になったといわれているが。
トム・クルーズの映画「バニラ・スカイ」でも使われていたが、「ソウルスベリー・ヒルズ」の持つリズムの軽快さ、メロディーの力強さ、寓意性に富んだ言葉はイギリスから遠く離れた日本に住む18才の少年にも確実に伝わったのである。
アメフトのプロテクターやフェンシングのマスクを身につけたPGが、動く歩道の上で口パクしているだけの今では「ぷっ」といいたくなるようなチープな出来ではあったが、当時としてはかなり完成度の高い一曲のためだけのプロモ・フィルムで、PGのシアトリカルな演技もあり当時はこれでも革新的と評価されたものだったが。
しかし、このPGの「モダン・ラブ」のプロモフィルムに釘付けになった男がアメリカにもおり、それが時代を大きく動かすとはまだ誰も知る由もなかったのである。・・・(続く)