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カテゴリ:音楽
このPGの三枚目のアルバムはシングルカットされた「ザ・ゲーム・ウィズアウト・フロンテイアーズ」のヒットもあり世界的に認知されたアルバムとなったが、それだけでなく大きなふたつの要素で世界に名を残すことになった。ひとつが音楽的なものでその後イギリスを中心に世界的な流行になったゲート・リバーブを多用したドラム音である。そういえば最近宇多田ヒカルも使ってますね。 今でも(これもしかたないけどね)これの発明者がフィル・コリンズだと思っている人は多そうだ。なにしろフィル・コリンズのソロ・アルバム「夜の囁き」がほんの少しばかり早く発売されたからなのだが、この機械的なオーバーダブが偶然産まれたのはこのPGのサード・アルバムの録音中の出来事で、そのドラムを叩いていたのがフィル・コリンズであったのだ。 そう、フィル・コリンズはPGのアルバムのレコーディングに参加していたのだ。まあ、その後のことは多く語らなくともわかりそうなものだとは思うが。 そしてもうひとつは、こっちのほうが重要なのだが、PGの名を歴史に残す重大なことをやってのけた。「ビコ」という曲で世間の目を南アフリカ共和国の惨状に向けさせたのだ。イギリス人にとって南ア共和国はイスラエルと同様に触れられたくない恥部である。 公然として行なわれている人種隔離政策、捉えられ投獄され殺される解放運動家達。PGは「ビコという男が死んだ」と繰り返すことで世界の目を南アに向けさせたのだ。そしてこれはイギリス人であるPGにとっては大きな勇気と決断を必要としたことだったのだ。 数少ない同調者だったポリスのスティングと国連でのデモ活動からはじまり、静かな波は広がり「サンシティボイコット」へと繋がり、映画「遠い夜明け」の公開へとなり、そしてその後南ア共和国がどうなったかはよく知られた通りである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006年02月13日 00時37分15秒
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