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カテゴリ:音楽
3月11日の日曜。
大震災の日から一年が経ったわけだが、その日があまり「あれから調度一年」という感慨を持ちづらかったのはこの日が日曜だったことと、もうひとつは今年が閏年で2月29日があったためだろう。 実際自分も「一年か」としみじみしたのはむしろ前々日の9日の金曜日だった。昨年の3月11日が金曜日だったからだ。 その後、昔の知り合いと電話で話していてそのことを話題にすると向こうも「そうだよねぇ、金曜日だったよねあれ。だから帰宅難民があんだけ増えたんだもんね」という感じで当日の夜の自分の行動などを語り始めた。 その日の午後から夕方、自分はいつも通り慣れた国道沿いに立ちすくんでいた。そしてたくさんの本当は見てはいけないはずのものを目の当たりにしていた。 自分の目の前をありえないものが次から次にといくつもの通り過ぎてゆく。あれは本当に現実感のない不思議な空間だった。 夜遅くにやっと連絡の取れた仕事仲間たちと、川からすこし離れたところの駐車場に停めた乗用車の中でラジオが伝えている各地の被害の状況を耳にして「これはとんでもないことが起きているのだ」ということをはじめて実感した。ラジオでは高荒葵というベテランの女子アナが淡々とここからわずか5キロほどはなれた海岸地区のことを事細かに伝えていた。 どれもがまるで嘘のような数であり出来事だった。 車の中の誰かは「嘘だろ だいたい、誰がどうやって数えたんだよ!」と憎憎しく半分怒鳴るように呟く。誰も反応できずに、ただ黙り込んでいた。おそらく全員がラジオの伝えていた惨状というものを頭の中に浮かべていたのだろう。自分もスピルバーグ監督のSF映画「宇宙戦争」でダコタ・ファニングの目を通して描かれたワンシーンのことがアタマをよぎっていた。 そして、その耳からの情報がさっき目の当たりにしてきた光景と結びつき、「今この宮城の沿岸、それどころか茨城から岩手までのすべての太平洋岸のいたるところであのような出来事が起きているのだ」と実感したくらいだった。 それからだった。それまで自分が生きてきて一度も感じたこともないような虚無感というのかどうしようもない寂寞感というものを感じたのは。これを言葉で説明するのはとても難しい。 このクルマの中には本来ならばもうひとりがいるはずだった。その男が来るのかどうかをみながずっと気にかけていた。もし彼が戻ってこなければ、それは彼がどこかで命を落としているということになるのだろう。時間が経てば経つほどその可能性は高いということでもある。 数年前、JOY DIVISIONというイギリスのバンドのアルバム「アンノウン・プレジャー」と「クローサー」の二枚のCDを手にしてその男は自分にこう言った。 「聞いたらどっちもなんか陰気臭いだけなんですけど、これ本当に当時(1980年)売れてたんですか?」みたいな感じの問いかけだったと記憶している。 彼がJOY DIVISIONなんて過去大昔のバンドのアルバムCDなんかに手を出したのはニルヴァーナがきっかけだったというのを聞いたときに、自分は「正直、趣味良くないね」と言下にそれを批判した。 彼も「そういうのはわかるんですけど、やっぱりなんか…あるんですよ、そういうに興味を惹かれるのが」と困ったような顔で弁解をはじめた。 これももうだいぶ前のことだが2006年に死んだ花沢という親友の男がやはり最後に電話してきたときもそんな感じのことを呟いてたことをふと思い出していた。 そのころ つまり、1980年当時仙台市内の輸入盤レコード店で働いていた自分には良くない記憶しかない二枚のアルバムではあったが事実は事実である。 「ああ売れてたよ」と答えた。そして「俺は嫌いだったけどね」とも付け加えた。 男はぐふっという感じで脱力して相好を崩すと「ひと言余計っす」と言って、そして笑った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012年03月14日 16時33分15秒
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