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カテゴリ:音楽
○ その数年前(1998年ころ)に下北沢の事務所にアルバイトとしてやってきた女の子が事務所でニルヴァーナのアルバムを大音量で流していたことが思い出される。 自分はそのアルバイトの子に「とにかくその音楽だけは止せ!」みたいにかなり強い口調でCDプレーヤーの音量を落とすどころか「切れ」と命じたのだ。 鳩が豆鉄砲を食らったようなキョトンとしたような表情になったその女の子は「なんで…、ねぇ?」みたいに側にいた同僚に了解を求めたが、その同意を求められた女性は顔も向けず、自分のデスクを向いたまま仕事に熱中していた。あるいは振りをしていた。 不満顔の「何がダメなんですか?」という彼女の問いに自分は間髪を入れずに「ふたつあってね、音が大きいのと、ここにいる連中は(君と違って)このバンドの曲の詞の内容がわかるからね」と理由を挙げた。 なぜ間髪を入れずにすぐに答えられたかというと、これが二度目というか二人目だったからだ。 前に、自分とその事務所の新しい責任者がともに扱いに閉口していた女性アルバイトの子が好んで聞いたのが、これまた「JOY DIVISION」だったのだ。 「(聞かされるこちらは君と違って)詞の内容がわかる」という言葉に相当のショックを受けたのだろう。それ以来彼女は事務所で自分の好きな曲を流すことはなくなったようだった。そして半年も経たない年の暮れには姿を消していた。辞めたのを聞いたのは年明けすぐのことだった。 JOY DIVISIONとかNIRVANAの音楽はともかく、そういう特異点、つまりリードボーカルが絶頂期に自殺してしまったバンドとしてのみ捉えて語られることは、私たちとそして当時からの熱心なリスナーである人たちの気を滅入らせるものでしかなかったはずだ。 むしろこういうのに喜んで飛びつくアフタカマーの若い人たちはバンドのフロントマンの自殺という出来事からこのバンドの曲になにかしらそういう「死」の臭いを嗅ぎとれると勘違いしているのではないだろうか。それは今でも思うことである。 ○ 自分が1994年4月、ニルヴァーナのバンドリーダーにしてほとんどの曲を手がけるボーカリストのカート・コバーン(コベイン)の自殺のニュースを知ったのは五反田のレストランみたいなところだった。「みたいな」という言い方も失礼だが。 いつものようにして地下にあるその店のドアを開けると、濃厚なオリーブオイルと溶かしたバターの交じった濃厚な香りが鼻をついた。ドア正面にあるカウンターにいつもののように背を見せて座っている顔馴染みのギリシア人の男がこちらを振り返るとまるで挨拶のかわりのように「知ってるか?シアトルの左利きが死んだぞ。銃で自殺だ」というようなことを(もちろん英語で)言ってきた。 「シアトルの左利き」というのは、彼も自分もともに左利きだからだ。ギリシア人の隣にいたあまりここでは見みかけたことのない男が流暢な英語で「彼に本物のニルヴァーナが来たんだ(The Nirvana comes true on him)」と皮肉なことを口にする。 わたしは「冗談は止めてよ」というニュアンスで「ジーサス」と言い首を横に振ると、男は「なぜジーサス?ブッダじゃなくて?」みたいなジョークにもなんにもなってないことを口走った。 そのカウンターに彼らと並んで座るのが嫌だったので、自分はあまり使ったことのない、店の隅の方のジメジメとした感じのする古い革張りの低い椅子を四つほど並べたボックスに席を取ることにした。 注文をとりに来た真面目そうなウエイターのお兄ちゃんに「何、カートコバーン死んじゃったんだって?」と聞くと「ライフルでアタマぶち抜いたのが見つかったってさっき(CNNだったかの)ニュースでやってましたね」と神妙な面持ちで教えてくれた。 「なんかイアン・カーティスのときに似てますよねぇ」と言われたのだけれど、そのとき自分はイアン・カーティスが誰のことなのかわからなくなっていて「誰だっけそれ?」と聞き返していた。「え?ホラ…あのぅ…ニューオーダーの前の…死んだリーダーの」みたいな感じの説明を始めた。彼もまた「JOY DIVISION」というバンド名のほうは度忘れしていたようだった。 しばらくして四・五人の客が入ってきたのでボックス席をあけてカウンターに移った。 そのときウエイターのお兄ちゃんに「イアン・カーティスって首吊りでしたっけ?」みたいな感じで聞かれた。自分もそのように記憶していたので「たしか…」とあいまいな返事をした。 ウェイターのお兄ちゃんは「いやさっきあのガイジンたちがね、『アメリカ人は銃(ガン)を使いイギリス人はロープを使う』とか言ってるんですけど…それのことかなと」と付け加えた。 「つまんねぇことを言いたがるヤツだなぁ」とその知り合いのギリシャ人と並んで座っている謎の外国人のほうをチラっとだけ見た。 そのレストランを出て階段を登ると、そこには先に店を出たふたりの外国人がいた。 目が合う。嫌な雰囲気だった。顔馴染みのギリシア人ではないほうの謎の外国人の男が声を掛けてきた。 「さっきは済まなかった。仏教徒を屈辱するつもりはなかった。許してほしい」 ほっとして自分も「いいよわかってるそれは気にしなくても」と言った。 そして三人はゲラゲラと大声で笑った。通り過ぎる人が振り返って不審な顔でこちらを見てたのを目の端で感じていた。でもかまわない。おかしいものはおかしい。自分も「NEVER…」まで言いかけたところですで笑いがこみ上げてきていたのだ。 そのあとではじめて紹介された。男はやはりイギリス人だった。 「イギリス人はロープを使う」というのは自虐ギャグのつもりだったようだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012年03月14日 16時29分42秒
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