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2009年06月30日
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テーマ:たわごと(26905)
カテゴリ:トンデモ
 白黒つけてくれる存在に下駄を預けている人たちは馬力がある。まず行動に迷いがない。ある意味宗教が社会資本の側面を感じる。1人1人が内に組み立てるのではなく、規範とか道徳観とかをテンプレート化してごっそり切り離して深化させているのは無駄もないのだろう。社会が効率化して、最低限の役割で貢献できる層が増えるなら、明文化した規範のコア、つまり原点になる理屈なり感覚なりが必要になるのだろうし。だから存続しているのだなとも思った。

 組織論風にいうと構成が基本クモ型なのが檀家とか教会の制度で、ヒトデ型なのがニューエイジとか?

 ただ個々が明らかに見ることを放棄することには懸念も感じている。必要があるにしても。次第に自分の上に乗せたシステムも都合よく解釈させて、自分たちが認めたもの以外への理解を阻害する側面もあるからだ。別の進化を辿った生き物に対して、他者に対して、などなど恣意的な優劣があるからだ。いわゆる先鋭化というものだけど。見方を書き換えることは檻なのか恩恵なのか。優れたツールが撓んでしまったらどうやって仕組みを再生させるんだろう。

 そうだ世界三大宗教ってこういうのどう乗り越えていったのか調べてみよう。





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最終更新日  2009年07月01日 08時19分21秒
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