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テーマ:子育て現在進行形(1980)
カテゴリ:教育について
昔テレビ番組でこのフレーズが使われた。そんなことを思い出した。
確かに昔は、この3分類は分かりやすく存在したと思う。 ところが今は、どうもこのように、単純に三つに分けることができないと感じるのだ。 それを痛切に感じた出来事があった。 4年程前だった。娘が小学4年生のころだ。この時の担任の先生は親とも気軽に連絡を取り合える、とても素敵な先生だった。 それが大きな要因だったのか懇談会にも毎回夫婦で出席していた。 そして、毎回親たちの発言に疑問をいだいてしまうのだ。 こんな親もいた。 「子どもが、友達にお金をかしてなかなか返してもらえなかったんんです。主人が、[貸したものは、返ってくると思うな] と諭していました。」 凄いことを教える親もいるもんだと感心した。 それじゃ、まるで [借りたものは返さなくてもいい] と教えているようなものだ。 そして忘れられない出来事はこんなやり取りから始まった。 1人乱暴な男の子がいると、お母さん方が憤慨していた。 その子は授業参観時など良く発言する子だった。確かに少しやんちゃな所はある、しかし乱暴で危険な子とまでは言い過ぎだ。 「当事者の親御さんが、こういう場に出てこないのが信じられません」 「強制的に呼び出した方がいいんじゃないでしょうか?」 そんな意見が飛び交った。 しかし、どうも納得できない。その子が言われているように悪い子だと、どうしても思えないのだ。 「その子は、ホントにそんなに悪い子だと思いますか?」 ボクは先生に尋ねた。 「確かに乱暴な言動は時々あります、しかし悪い子だと思った事はありません」 先生もそう思っていると分かっていたが、お母さんたちの興奮に水をさしたかったのだ。 しばらくその子のことで、父兄の間でやり取りがあったようだ。 そして、ボクら夫婦はその子に興味をもった。 偶然、娘と仲が良く、何人かで家に遊びに来るときは、必ずそのメンバーの中にその子はいた。 その子と直にしゃべる機会が増えれば増えるほど、その子がとてもいい子だとしか思えないのだ。 その男の子と仲の良い女の子を連れて、西山にある遊龍の松で有名な善峯寺へ行ったり、一緒にスーパー銭湯に行ったりした。 そしてご両親にもお会いした。想像していた通り、人間的にも魅力的でとても素敵な夫婦だった。 その後食事に招待してくれ、子どもの事や今回の出来事のこと、将来のこと僕ら夫婦と4人で長い時間語り合った。 その子は、娘がいないときでも何故か家に遊びに来た。 ギターを弾いてあげたり、お菓子を一緒に食べながら喋った。 出かけるときふと見ると、グランドのフェンスによじ登っている姿を見かけた事もあった。 どうもボクの事を気に入ってくれたようだった。 その子は高い木の上から平気で飛び降りたりして冷や冷やさせられることもあったけれど、凄く賢くて大人の会話が出来る奴だった。 もし自分が子のこと同じ年だったら、絶対に友達になりたいって思っただろう。 その子の問題は、大きくなり、結局学校側と両親の間で話し合いが持たれ、仲良しだった男の子2人が引き裂かれた結果で収拾した。 被害者だと言い切る方の親は、 「この子がやっと○○くんを嫌いだと言ってくれました、 これでやっとほっとできます」 そんなことを言っていた。 狂ってるとしか言いようがない! 子どもにそんなことを言わせて、喜んでいる大人ってなんだ? 人の悪口や人の嫌がることをする事に対して、しかりつけるのが当たり前だ。 大体ふたりでやんちゃをして遊んだ仲良しなんだよ。 悪いことをしたら、同罪なんだ。それを自分の子の非はいっさい認めず、全面的に他の子が悪いと言うことにしてしまえる神経に閉口した。 一緒に風呂に入っている時に、その子はぼそっと言った。 「ぼくが悪くないときだって、あやまった方がいいときもあるんだね」 「そうか、むやみに謝る必要はないぞ、まぁ、大人になると色々あるけど、子どもの頃からそんなこと思わなくてもいいやで」 そう言うと、彼は微笑み返した。 彼は、10歳にして不条理の世界にさらされたのかも知れない。 彼は今、両親と一緒に、遙か南の島に移り住んで、大自然の中でのびのび暮らしている。両親の決断力には驚きを覚えたが、彼のためには良かったとと思う。彼も両親のようにたくましく育つことだろう。 今の子供達にとって「よい子」も「わるい子」もダサイんだろう。 「がんばってる子」なんて一番ダサク思ってる子が多い。 だから「ふつうの子」も普通で居ることに安心感がもてないのかも知れない。だってみんなが「ふつうの子」じゃ、一々ふつうの子なんて言う必要すらないんだ。 想像してみて みんなが制服みたいに同じ服装をしてるんだ 一般市民も警察もやくざも国会議員もテロリストも みんな同じで区別がつかない社会を そんな社会が住みやすいと思う? そして、自分の子ども以外の子を悪者にすることによって、自分の子をいい子だと思いたいとでもいうのだろうか? 自分の友達のことを嫌いだと言わされた子どもの将来の方が不安だ。 人を悪者にして自分を正当化することを当たり前だと思う人間が増殖されたらどうなるだろう。 それはまるで「猿の惑星」のエンディングのように、全てが逆転するぐらいの壮絶な状況を生み出すことになると思うのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
November 16, 2005 06:59:18 PM
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