テーマ:最近観た映画。(40130)
カテゴリ:自分
子ども達と一緒に映画館へ!
長女と次女は『子ぎつねへレン』 長男は『ケロロ軍曹・かいけつゾロリ』 え~~どっちも見たくない~ その映画館・時間帯に合わせるとナルニア国物語かな ってことで ま~家族バラバラに思いのまま映画を観たわけです。 内容や物語はおいといて映画からもらった 私のインパクトのあったメッセージと 私への問いです。 これは映画の内容とはまったく関係ありません。。 あしからず。 なぜ、戦わなければならないのか? 映画ではナルニア国をめぐって争うのですが 『戦ってはダメ』となぜか心の中で叫びながら観てました。 それは今までの私が感じたことの無いものでとても不思議な感覚でした。 (今まで映画でそんなことをこだわって観ることなかったから。。) 誰かを守るために戦うことも必要だと頭では考える けど。。 こころがそれを拒否していて 『どうなんだろう~』と問い続けていました。 誰のために戦うのか? 他に方法がなかったのか? なぜ、ほかの地に移らないのか? 土地を分けたらいいやんか。。。とか 子どもみたいな答えですが、なぜそれができないのか? その答えは それは誰かが全てを支配したいという欲求を満たすためだから。 勝ちたいから。 それともいい人は言うでしょう~悪をつぶすためと。 悪ってなんでしょうか? 人の中にも善と悪は混在していて そのどちらもあるから人なのだと思う私は 悪を知って受け入れて、そしてどうするかを考えることが必要じゃん! 排除したらいいのか?とモヤモヤが湧き上がる。 こころと一緒で排除、蓋をしたところでますます暴れだすだけ 本当の解決にはならないだろうと。。。 その支配欲や偽善者が 家族や仲間を殺されたという怒りを利用して戦わせる。 これもまた汚い手だと感じます。 逆に考えると、こんなすごいことでもなければ本来は 殺し合いなんてできないのです。 相手が悪いと洗脳されて怒りを利用する、利用される。 誰が一番得してるねん!ってことです。 死んだり、戦っている人だとは思えません。 守られた家族なんでしょうか。。 家族の死と引き換えの幸せってなんでしょうか? 守るためなら戦わなくてもいいし 守るために逃げることもできるはず。 戦うってことは更なる犠牲者を生むだけ 悲しむ人が増えるだけ それを相手のせいにするこで納得するんでしょうか お互いが守りたいものがある。 その守りたいものが違うだけで守りたい気持ちには変わりない そこの共通点で一緒に共存できる方法を見つけ出すことが 私は大切なのだと思いました。 これは、社会や日常でもありがちなことですね。 やはり、支配のために武力で戦うことを 私は好まないのだと感じます。 社会や家族のなかでの支配に対しての戦い方は とことん話し合う、向き合う。 (これは気持ちと気持ち、考えと考えのぶつかり合い 闘いともいえますがこちらはOKです。というか必要でしょう!) 最終的に分かり合えないときは去る。ですかね・・ もしくはそこにいる意味を変える。 私のあり方をその場では変えて気持ちよく過ごせるようにする。 やはりコーアクティブ(協働的)な関係をつくりたい。 そんなことを考えた映画でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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