カテゴリ:多系統萎縮症
夫の躰には、人工的な2つの孔がある。
気管切開孔と胃瘻。 強制的に空けた孔だから、当然、元に戻ろうとする。 傷口を塞ごうとするのだから、自然な流れだと思う。 だけど、必要があって空けた孔だから、塞がれては困る。 そこにできる「肉芽」との闘いだ。 2009年12月、夫は気管切開をした。 入院中は、カニューレを交換する場面に出会ったことがなかった。 2010年4月、退院をして、カニューレの交換は、 2週間に1回(月2回)往診医がしてくださった。 初めて見たときは、あっという間に終わったけど、衝撃だった ちょっと、グロテスクだったし・・・。 振り返って思うことだが、 当時の往診医は、交換したことはあっても慣れてなかったと思う。 だから、交換する度に出血した。 交換後は、いつもYガーゼに血がにじんでいたし、 カフ上のサイドチューブから、血液混じりの唾液が多く引けた。 その交換の刺激と、カニューレ自体の刺激と、 細胞が元に戻ろうとすることと相まって、度々、肉芽ができた。 その処置として、リンデロンVGという軟膏を、綿棒で塗った。 ある訪看さんは、軟膏を塗った後に、 柔らかいティッシュペーパーで紙縒りを作って、 カニューレの周りに巻いて、その上にYガーゼを挟んだことがあった。 そうすることによって、ガーゼに軟膏が染み込まないで、 肉芽だけに浸透するようにとの配慮だったようだ。 そのような処置をしたのは、一度だけで、だいたいは軟膏を塗っていたら、 徐々に小さくなっていった。 でも、往診医からは「細胞が元に戻ろうとしているのですから、 肉芽ができるのは仕方がない」と言われた。 そして、「肉芽が大きくなって、カニューレが入らないようなことになったら、 耳鼻科で処置をしてもらわないといけなくなります」と言われていたので、 できないようにと神経質になっていた。 普段のケアとしては、1日に1回 Yガーゼの交換。 その際に、カニューレの周りを清浄綿で拭いて、 痰の吹き出し等残らないように、きれいにした。 そして、肉芽ができていたら、リンデロンVGを塗り、 肉芽がなくなったけど、まだ赤みがあるときは、リンデロンVにし、 完全に肉芽がなくなって、ほんのり赤いときは、アズノールを塗った。 だけど、肉芽の発生は、往診医の交換の腕が上がったことと、 夫の躰が孔を受け入れた(年数が経った)ことによって、 ほとんど発生しなくなった そして、声紋閉鎖術によってカニューレから離脱できたので、 今の気管切開孔は、鼻の穴2つを1つにしたくらいの大きさで、 喉元に存在していて、毎日、孔の周りを清浄綿で拭いて、きれいにしている。 2011年5月、夫は胃瘻造設した。 気管切開をした同じ病院の「内視鏡室」というところでした。 増設直後は、挟んでいたYガーゼに血がにじんでいて、痛々しかった。 PEGの蓋を開け閉めする度、顔をゆがめていた。 それでも、退院する頃には、慣れた様子だった。 PEGの周りにも肉芽が出現する。 摘便が上手くできなかったり、ガスが溜まったりして、 腹圧が上がったりすると、できやすいように思うが、 最近は、ほとんどできなくなった。 普段のケアは、カニューレがあったときの気管切開孔と同じように、 入浴以外の日は、PEGの周りを、清浄綿ではなくお湯と泡石鹸で洗って、 湿気を綿棒で拭き取り、赤みがあるときは、アズノールを塗る。 そして、肌が弱いので、ティッシュペーパーの紙縒りを巻いて、 PEGの刺激を抑えている。 (撮影角度を変えて) PEGは、バルーン・ボタン型なので、固定水を入れるための出っ張りがある。 最近は、不随運動で、勝手に手がPEGの上にいってしまって、 刺激を与えることがあり、少々赤みが取れない これからも、ケアを丁寧にし、なるべく肉芽ができないようにしたいと思う 病気の診断から、もうすぐ16年と2か月。 山あり谷ありを乗り越えて、本日、夫は68歳になった 夫が生まれたとき、どんなだったんだろう? 夫の母が逝ってしまったので、今となっては聞く術がないが、 きっと、どこかで見守っていてくれるのだろう。 そう思って、また、前を向いて歩いて行こう 柚葉ちゃん連絡先 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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