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モモンガさんのブログ
「システムエンジニアの晴耕雨読」 のコピペ (モモンガさんからは、以前、コピペの許可を取得) モモンガさんのブログは、教養の宝庫である モモンガさんは,本当に,教養人だと思う また、著者の斎藤孝氏は、 非常に『実用的な思考』を披露する人だと思う 「HOW TO 本」の王者だと思う(笑) ※ 尚、モモンガさんは,行間を大きく採っているが 私は,勝手に,詰めさせていただいた それに、一部、勝手に行変えを行っている ※ << >>で、囲まれた部分が,斉藤氏の原文部分(だと思う) ※ 私が重要だと思う箇所に 「●」を打っておいた ―――― ◇ ―――― 齋藤孝「教養力 心を支え、背骨になる力」 さくら舎 2014年刊 ≪いまという時代、教養は非常に大切です。 ● 教養は心を支えてくれるものだからです。≫ 日々、嫌なことがあり、落ち込んだり、心が折れやすくなっている。 でも、人に理解されない悩み、認めてもらえない苛立ちなどは、 二千年前以上の『論語』においても、 孔子先生曰く、 「人に理解されることを望むよりも、まず自分が人を理解しているかどうかを考えなさい」 といっているように、 自分だけの悩みではないことに気付くとことで、救われます。 つまり、 ● ≪教養の力、すなわち「教養力」が心の免疫力になる≫ また、教養が大切な理由は、 ≪一つは、自分の心を支えてくれる精神文化として大切だということ。 もう一つは、教養をベースにして語り合うこと自体、人との交流だということ。≫ ≪外を流れている水はさまざまだけれど、自分の中にはつねに変わらない地下水脈が あり、それに接すれば必ずのどが潤う。 地下水脈を持つことにはそんな安心感があります。≫ ところで、 古典の良さがわかるにはコツがあります。 ≪古典や名作には難解な部分があり、わからない人はそこで退屈します。 それまでに。「納得できる難解さ」に出合っていないと、 難解なものに触れたとたん、退屈してしまう。・・ その意味では、退屈さを乗り越えて、 「以前はわからなかったけれど、 わかってみるとすごくいい」 となるのも教養の醍醐味です。≫ ≪世の中には、わかると面白いけれども、わからなければつまらないものもあります。 しかも、あまりにわからないと、感動できないものです。≫ 絵画や音楽で、わからなくてもいい、ただ感じれば・・といいますが、 感じるためにも、ある程度の知識が必要となる。 わかるからこそ、感じられる。 ● ≪人間の厚みは、自分の中にどれだけ偉大な他者が住んでいるかで決まる≫ ● つまり、心の奥行きがあるか否か。 自分だけの人間がいかに薄っぺらいことか! ● ≪じつは文化の厚みが人間の厚みになるのです。≫ ≪教養の世界は奥深く、一生あっても時間が足りません。 しかし、それが虚しいのではなく、幸せに思える。 奥が深くて、一生を使ってもたどり着けないと思ったときに、 人は人生を幸せだと思えるのです。≫ <目次> 第1章 教養とはなにか 第2章 教養の効き目 第3章 教養の身に付け方 第4章 教養は身体に付いている力 第5章 教養の新しい形 ―――― ◇ ―――― ● を集めてみると ● 教養は『心を支えてくれるもの』 ● 人間の厚みは、自分の中にどれだけ『偉大な他者』が住んでいるかで決まる ● つまり、心の『奥行き』があるか否か ● ≪じつは『文化の厚み』が人間の厚みになるのです。≫ ※ 『 』は、私がつけたもの ---- さらに『 』部分を集めてみると ■ 教養は、『心を支えてくれるもの』 ■ 心の中に『偉大な他者』を持つこと ■ 『心の奥行き』を持つこと ■ 『文化の厚みが人間の厚み』 ---- 宗教を信じていいる人々は この『教養』という部分を 『神』に,置き換えた考えているのだろう しかし、私は、神など信じないし 自分を、つまり、教養を高めてしかるべき、境地に至りたい とは言え、まあ、適当なレベルでいいのだが 死を恐れないぐらいの境地で,OKである(笑) それに、エントロピーを,高めないこと 釈尊が考えたことも,そうだと思う 釈尊は,決して、宗教を作ろうと思ったのではないと思う だから私は,釈尊を一番、尊敬している キリストとかマホメットとかは、どうでもいい 宗教及び宗教者は,お断り(笑) 釈尊の没後、人々が勝手に変質させ肥大させた「仏教」、 とりわけ「大乗仏教」という宗教は, 釈尊の思索とは、別物だ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014.10.21 23:08:20
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