カテゴリ:🔴 B 【ブログ 過去ログ復刻】
ーーー 復刻記事 ーーー 英語の歴史 「英語の冒険 Adventure of English」 メルヴィン・ブラッグ(Melvyn Bragg) 著 アーチストハウス発行 角川書店発売 1,800円 ラグビーは英国発祥のスポーツである 新刊書として買った本だ。 めちゃめちゃ面白い本だ・・・、と言っても、まだ全部は読んでいないが。 表紙の扉のところに書かれている下記の言葉が、この本の内容を要領よく説明していると思う。 ーーーーー 「英語」は、悪魔のようにイングランドに現れた。 5世紀に海を越えてやってきたゲルマン人の戦士によってもたらされ、激しい暴力のもと、この地に根づいた言語だったのだ。 しかしその間も、ウェールズ、オランダ、インド、中国・・・ ・・・と英語は世界を一周し、その家庭でラテン語、サンスクリット語、アラビア語、中国語をはじめ何十もの言語を次々と吸収し、世界一の言語へと発展していった! 最初は15万人にしか話されていなかった英語が、どのようにして15億人が使う言語になったのか? 「英語」が語る、スリルと興奮、波瀾万丈のドラマに彩られた冒険物語 ーーーーー ーーー 私の感想 ーーー イギリスには、もともと原住民がいたらしいが、その人間がどんな民族だったかはよくわかっていない。 一説によると、イベリア人というイベリア半島にすむ民族が住んでいたという。 つまり今のスペイン人・ポルトガル人に近い人々だろうか? それから、ケルト人がやって来て、ローマ軍がやってきて、さらにローマ軍の傭兵だったゲルマン人がやって来て、やがてゲルマン人達はケルト人(ブリトン人など)を征服し、蹴散らし、海の彼方に蹴落とした。 イギリスの一番いい場所であるイングランドを自分のものにした。 ケルト人はウェールズ・アイルランド・スコットランドなどに追いやられ、中でもブリトン人は海を隔てたフランスに逃げていって、ブルターニュ(ブリトン)という地域に定住し、昔、自分たちが居住していた英国を「グレイト・ブリトン」と呼んだ。 だから、ウェールズ・アイルランド・スコットランドの言葉は、ケルト系の言葉だ。 昔はウェールズの先端のコーンウォールにもコーンウォール語があったが、もう死語となっている。 英国のゲルマン人達は、サクソン人・アングル人・ジュート人・フリースランド人などがいて、それぞれのゲルマン方言を使用していた。 オランダの北海に面する工業地帯フリースランドから来た、フリースランド人の言葉が今の英語の起源になったようだ。 今でもフリースランドの基本語彙は英語に非常に酷似しているという。 私は欧州にいた頃、衛星テレビで北欧の映画を時々観ていて、デンマーク・ノールウェイ・スエーデンなどのゲルマン系北欧語の英語との近似ぶりに驚いたことがある。 英語は、ノルマン人に征服されてからフランス語などが混入して、洗練されているが、北欧語は、ヴァイキングの昔からの原始的?なゲルマン語といった語感。 英語からラテン語系の語彙を抜いて、語彙を短くシンプルにしたような感じである。 これは、チェコ語とポーランド語との関係にも言えると思う。 チェコ語は長い間使用されないままだったので、ラテン語などを吸収する段階が無く、スラブ祖語の姿をより多く残していると思う。 例えば犬のことをポーランド語で「ピエス」というが、チェコ語では「ピス」と無骨に発音する。 つまりポーランド語は「i」の代わりに「ie」とダブる母音を入れて語感を柔らかにしている。 ~~~~~~~~~ この他に、8世紀頃からヴァイキングが英国を侵略し、特にデンマークからのデーン人が強力で一世紀ほどの間に、英語にいろいろの影響を与えた。 この頃の北欧語はまだあまり分化していなくて古北欧語(古ノルド語)と呼ばれていた。 この古北欧語は英国の主に東海岸の各地方の村々に入り込み、村々の独特の方言を作った。 ノルマンの英国征服もあった。 ノルマン・フレンチはもともと北欧のバイキングだったのだが、フランスに定着した。 その彼らが三世紀にわたって英国に君臨した。 法律・政治・戦争・食生活関係など1万ものフランス語が英語に入り込んだという。 以前書いたことだが、食生活での英語とフランス語に当時のノルマン人と被征服者のアングロサクソンの立場がうかがえる。 例えば英語話者は家畜の世話をしていた。。 ox(雄牛)もcow(雌牛)も本来の英語。 フランス語話者がテーブルで食べる調理された肉はフランス語でbeef(boef)と呼ばれた。 同じように英語のsheep(羊)がフランス語のmutton(羊肉)になり、calf(子牛)がveal(子牛肉に)、deer(鹿)がvenison(鹿肉)に、pig(豚)がpork(豚肉)に。 いずれも英語が動物を、フランス語がその肉を指している。 アングロサクソンは働く人、ノルマンは食べる人・・・である。 ~~~~~~~~~ 1986年、東インド会社にいた英国人判事で、アマチュア言語学者のサー・ウィリアム・ジョーンズは、インドのアーリア人の聖典ヴェーダの言葉として少なくとも紀元前二千年までさかのぼることができるインドの古典語サンスクリットを詳細に研究した結果、 サンスクリット語がインド・ヨーロッパ語族(印欧語族)に属するという驚くべき事実を発見した。 (サンスクリット語はいわば文語で、パーリ語が口語にあたるようだが、仏教の経典などはこの両方で書かれていたようだ) 欧州の言葉は、ほぼすべて印欧語だが、例外としてバスク語、エストニア語、フィンランド語、ハンガリー語などがある。 バスク人は謎の民族と呼ばれる。 どうも今の欧州の民族が欧州に来る以前から欧州に住んでいた欧州の原住民らしい。 クロマニオン人の直系の子孫とも言われている。 エストニア語とフィンランド語は、同じ語族に属するする。 ハンガリー語はフン族の一派であるマジャール族の言葉で、おおざっぱに言えばトルコ語に近い。 ハンガリーという名前自体、フン+ガリーで、フン族の背景を物語っている。 ~~~~~~~~~ この本では、こういう説明がなされている。 ■ 【今から四千年以上前にインド平原のどこかで、その土地の言語が移動を始め、それがやがて英語となったのだ。】 これはちょっと粗っぽい、英語視点の表現だが、要するに印欧語の祖語がインド平原にあって、それが拡散して印欧語族を作り上げた・・・、と言うことだろう。 ~~~~~~~~~ 以前、BBCの製作した番組を見ていたらこういう部分があった。 画面はアフガニスタンの、ポロ競技の原型となったという「ブスカシ」という競技を映している。 この競技は、子ヤギの死体を騎馬の2チームが奪い合い、自分のゴールに入れるというもの。 ポロではこの子ヤギがボールになっている。 私の考えだが、このポロからホッケー競技が生まれたのではないだろうか? 騎馬ではなく、徒歩でのポロがホッケー。 もちろん、ホッケーからアイス・ホッケーが生まれているが。 このアフガニスタンやカザフスタン、トルクメニスタンなど、【スタン】のつくユーラシア大陸中央部の国々は騎馬遊牧民の国で、名馬の産地。 千里を行く天馬としょうされた【汗血馬】もこの辺の産馬だという。 ★ 『馬の世界史』 本村凌二(もとむら・りょうじ) 講談社現代新書1562 2001年 272頁 こんな本を読んだ。 本書は馬が人類史に与えた影響、馬が人類に与えた速度と支配権の拡大を強調していて、私としては目からウロコだった。 馬は人類の交信、統治範囲などに空前絶後の影響・変化をあたえ、馬なくしては、人類の発展は限定的だったかもしれないと説く。 もう一方は軍事面で、馬にひかせた戦車は革命的な兵器となり、これを取り入れた国々が覇権を握って世界帝国を建設したというもの。 【英語の冒険】の一部の記述、【今から四千年以上前にインド平原のどこかで、その土地の言語が移動を始め、それがやがて英語(印欧語)となったのだ。】 【馬の世界史】の記述、ユーラシアの騎馬遊牧民族の馬は、人類の交信・統治範囲を拡大した。 この二つの相互関係にお気づきだろうか? BBCの番組で言われていたことは、この地域の印欧語の祖語が、馬という革命的な交信・統治範囲を拡大する手段にのって、世界に(主に欧州方面に)拡散して、今の印欧語族の優位性を築いた・・・、そう言う話だ。 ~~~~~~~~~ しかし印欧語の欧州への移動・拡散については別の意見もある。 やはりBBCの番組で見た、地質学的説明である。 昔、黒海は単なる大きな湖だったのだが、地中海の海水が上昇して黒海に大量に注ぎ込み、黒海は内陸の海となった。 もともと湖時代の黒海沿岸に住んでいた人びとは移動を余儀なくされ、西へ、欧州へ拡散して、印欧語を伝えた。 どちらが正しいかは、歴史の謎だと思う。 ★ ★ ★ ★ ★ ★ 当時、このオリジナル本文に対していただいたコメントや、私のレスをここにコピペしよう。 ~~~~~~~~~ 二代続く世界の覇者が英語を母国語としている alex99 英国は初めこそローマの一属州でしたが、フランスが世界の覇者である時代が終わると、やがて数多くの植民地を持つ世界に冠たる大英帝国になり、文化的にもシェークスピアを初めとする偉大な文人を持った。 植民地を持つことは、その国の言語の普及に絶大な効果がある。 インド・オーストラリア・ニュージーランド・アフリカ諸国・ハワイ・フィリピン・シンガポール・香港・カナダ・・・。 さらに英国の相続者である新大陸アメリカが、英国のあとを継いで、膨大な人口を持つ英語話者の国を構築して、単独覇者となった。 ハリウッド映画・ジャズの影響、インターネットでの寡占状態。 みな英語に有利な状況ばかり。 語学的に言えば、いろんな言語を吸収して非常に豊かな言語になったこと。 文法的に格変化を廃して、その代わりに前置詞を使用することによって、文法が非常にシンプルになった。 語順と前置詞の知識があれば、(本当は熟語・成句が難しいが)外国人にとって習得が非常に容易な言語になった。 ~~~~~~~~~ alex99 ノルマン支配下のイングランドの言語構造は、ノルマン人はフランス語、教会関係者はラテン語、イングランド人は古代英語、の三層だったようです。 英国の植民地の例で言えば : 新大陸(アメリカ・オーストラリアなど)は、英国人が植民者の中心でしたから、英語の世界になったのは当然でしょう。 インドは他民族・他言語の国ですから、共通語としての英語がむしろ原住民のインド人側にとっても有用だった。 ~~~~~~~~~ alex99 そうです、アイスマン。 彼は5千年前の人間ですね とすると、シュメールの時代ですね その頃、欧州ではどんな言葉が話されていたのか? 興味深いところです 欧州の印欧語は民族と同じで、大別して : ○ ロマンス語族(つまりラテン語系) ○ ゲルマン語系(ドイツ語・北欧語 英語も古代英語がゲルマン系) ○ スラブ語系(ロシア語・ポーランド語・チェコ語・クロアチア語・など) 当時はもう、こんな系統に別れていたのでしょうか? バスク語だけは欧州の先住民で、周囲の言語とは影響し合っていませんから、当時からあまり変わらず・・・ではないかと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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