カテゴリ:🔴 C 【文化・歴史・宗教】
【宗教】【来世】 人は死んだら「霊魂」にならないし、「死者の世界」も存在しない… 仏教がそう“断言”する意外なワケ 1/3(日) 21:01配信 現代ビジネス 橋爪 大三郎(社会学者) 仏教にある「思想の自由」 仏教はインドで始まり、中国に伝わり、日本にも広まりました。 仏教では、人間は死んだらどうなると考えるのでしょう。 仏教は、一神教と違って、思想の自由があります。 どう考えてもいいのです。 そこで、死んだらどうなるかについても、いろいろの考え方がある。 順にみていきましょう。 ゴータマが修行して、真理を覚った。 ここから仏教が始まります。 何を覚ったのでしょう。 生老病死、四苦八苦など、人間のあり方がこの世界の因果法則に従っていること。 つまり、インドの人びとの考え方と同じです。 仏教がユニークな点は、ゴータマがバラモン(瞑想する資格のある人びと)ではないことです。 ゴータマは、王家に生まれたクシャトリヤ。 ヒンドゥー教によれば、王となって務めを果たし、来世でバラモンに生まれて修行すべきです。 でもゴータマは、現世で真理を覚りたいと思った。 そして、出家して修行し、覚ってしまった。 「カーストと関係なく、誰でも修行して覚ってよい」が、仏教の大事な主張なのです。 ―― alex99 ―― 失礼ながら、ここまでの事 カースト 修行して悟りを得る、うんぬんは ヒンドゥー教と仏教徒の間の事 私のような無宗教な人間にとっては、どうでもいい 私は、人格者としてのゴーダマ(釈尊)のファンではあるが(笑) 他人の悟り(ゴーダマの悟り)が 「唯一絶対の悟りだ」とまでは思わない まあ、それは、人間には無理だと思っている ましてやその悟りが、インドのそれまでの宗教思考が 土台になってのものであるなら それは、ちょっと、私としては、そのまま全部は受け入れがたい ヒンドゥー教への挑戦 これは、ヒンドゥー教への挑戦です。 ヒンドゥー教は言います。 現世では善行を積み、修行は来世で、バラモンになってからやってください。 あなたがたに瞑想する資格はないはずです。 これに対して、仏教は言います。人間なら誰でも、修行して覚ることができる。 カーストに関係なく。 現に、ゴータマが覚ったではないか。 ゴータマが覚ったと信じ、ゴータマに従う人びとが集まって、仏教のグループを形成しました。 仏教のグループが、修行し瞑想して、覚る資格があるのかどうか、疑問がくすぶりました。 そこで仏教は、「出家して、異性と交わらない清らかな生活を送っているので、資格がある」、と主張しました。 家族を営むバラモンよりも清らかだ、という理屈です。 ―― alex99 ―― ここでまた、引っかかるよな~(笑) 「異性と交わらない清らかな生活」が「資格」 何を言ってるの?(笑) 私の高校時代の思考レベルじゃないかっ!(笑) これが、当時の、ゴーダマの死後、その教えを広めようとした 教団関係者(笑)の時代錯誤な思考 それが、仏教を作り上げたのだ 言ってくが、ゴーダマは、仏教など作っていないよ 彼はただ、彼の教えを説いただけ 後世の教団関係者(笑)たちが、その教えを美Jネスにした それが仏教と言うビジネス もっとも、その後、さらに ー 大乗仏教 ー 小乗仏教 ー スリランカ仏教 ー チベット仏教 などに枝分かれしたが ようするに、いろんな会社に分散しただけ 覚ったゴータマは、仏(覚った人)となって、輪廻を脱け出ているので、バラモンよりも上である、とも主張しました。 ―― alex99 ―― 輪廻なんて言ってるようじゃ、ゴーダマもダメだわ(笑) アインシュタインの方が賢いわ しかし、そのアインシュタインもキリスト教にこだわりが 死んだらどうなるか こうして成立した仏教は、死んだらどうなるかについて、つぎのように考えるようになりました。 ---------- ・ 仏(覚った人)は、輪廻を脱け出ているので、死んだあと、もうほかの生き物に生まれることがない。 けれども、因果のネットワークのなかにはあるので、 宇宙と一体化している。 ・ ふつうの人間(覚っていない人)は、因果のネットワークのなかで、輪廻する。 ---------- いずれにせよ、人間は死んだら、霊魂になるわけでもなく、死者の世界もありません。 これが仏教です。 ―― alex99 ―― ただし、分子生物学では、一種の輪廻みたいな 分子れBるのサイクルはあるんだけれど それを輪廻と言いくるめられないようにしないと(笑) このあと仏教は、さまざまな考え方を発展させて行きます。 主流の仏教は、ゴータマが大昔から輪廻を繰り返し、修行を続けて仏になった、と信じるようになりました(ゴータマは、こんなことは言っていないはずです)。 ならば、仏教の修行者や一般の信徒は、仏になるまで、輪廻を繰り返すことになります。 仏を拝み、輪廻を繰り返す。 これでは、神を拝み、輪廻を繰り返すヒンドゥー教とほとんど同じです。 そのうち、仏は神の化身だとヒンドゥー教が言い出し、 仏教はヒンドゥー教に吸収されてしまいます。 ―――― 日本の仏教 ―――― 独自に発展した日本の仏教 中国や日本に伝わった仏教は、独自に発展しました。 浄土宗、禅宗、真言宗、に注目しましょう。 ―――― 浄土宗 ―――― 浄土経典は、釈迦仏(ゴータマ)のほかに、西方に阿弥陀仏というブッダがいると説きます。 ―― alex99 ―― このへんで、仏の治インフレが始まる(笑)ただし、 そして、阿弥陀仏のいる極楽浄土に往生すれば、容易に仏になれると教えます。 よって、死んだら輪廻にして、またこの世界にまた生まれるのではなく、「死んだら、往生して極楽に生まれる」と考えます。 修行しなくても、往生して仏になれるのは、魅力的です。 ―― alex99 ―― このへんから、楽な新興宗教の始まり(笑) 平安時代には大流行りになって、貴族は往生を願いました。 やがて庶民にも広まって、念仏宗になります。 ―――― 禅宗 ―――― 「死んだらどうなるか、気にしない」 禅宗は、中国で盛んになって、日本に伝わりました。 経典を読むよりも、坐禅と瞑想を重視します。 このへん、セイロン仏教徒似ている ゴータマは、経典など読まず、坐禅をすることで仏になった。 禅宗は、その坐禅のやり方をインドから伝えている。 坐禅をしている人間は、仏である。 仏なら、生死を超越している。 ーーという具合に、禅宗では考えます。 誰でも坐禅ができ、誰でも仏になれる。 仏なら、生き死にを超越しているのだから、死んだらどうなるか気にしなくてよい 死んだらどうなるか、気にしない」、が禅宗の考え方です。 ―――― 真言宗 ―――― 死者の世界がある、とは考えない あと、変わった考え方をするのは、真言宗です。 真言宗は、密教です。密教は、ブッダの秘密の教えを重視します。 それは、人間が実はもう仏であること。 仏になることを目指して輪廻を繰り返し、長い修行を続けることができるのは、人間がもう仏だからというのです。 修行して仏になるのが仏教のはずなのに、密教は、もう仏であると教える。 それなら、仏教と言えるのか、きわどい考え方です。 ほとんどヒンドゥー教と言ってもよい。 真言宗も、人間はもう仏なのですから、「死んだらどうなるか、気にしなくてよい」、という考え方になります。 ―――― ◆ ―――― このように、仏教は、死んだらそのあとどうなるか、さまざまに考えます。 ただし、死者の世界がある、とは考えません。 この点は、インド文明の考え方に従っています。 神道では「黄泉の国」がある
死者の世界である イザナギが亡き妻を求めて訪れている ギリシャのオルフェとユリディスの物語と酷似 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[🔴 C 【文化・歴史・宗教】] カテゴリの最新記事
|
|