カテゴリ:L 【言語】【日本語】【他言語】
「君は私の肝臓!」愛の言葉にもテンプレがある 日本語をもっと自由に【外国人ライター座談会】 2021年10月22日(金)10時44分 ニューズウィーク日本版編集部 <日本でプロの物書きとして活躍するパックンら4人の外国出身ライターたちは、いかにして日本語をマスターしたのか。彼らならではの言葉への向き合い方とは。 本誌「世界に学ぶ至高の文章術」特集より> 「言葉の達人」であるアメリカ出身のパックン、ドイツ出身のマライ・メントライン、韓国出身のカン・ハンナ、イラン出身の石野シャハラン。 彼らに日本語の難しさや特徴、目標とするライター、面白い文章を書くコツなどをオンライン座談会で語ってもらった。 (構成は本誌編集部。本記事は「世界に学ぶ至高の文章術」特集掲載の座談会記事の拡大版・後編です。前編<日本語を職業にする外国人だからこそ分かる「日本語の奥深さ」と「文章の極意」>) ◇ ◇ ◇ パックン マライさんやハンナさんの文章は短い文で、ザッとその記事の内容の核を突いていて、冒頭の「入り」のツカミが絶妙だなと思いましたが、これは気にしてますか? ハンナ 気にしてますね。だらだら説明して結論はこれ、っていうのじゃなくて、まずインパクトを一旦残す。なんで? 何を語るんだ? ていうところをやってますね。 パックン いいね。マライさんはどうなんですか? マライ インパクト重視ですね。特にネット記事とかだと。やっぱりこう、一回インパクトを出しとかないと。 ―――― 私の感想 ―――― そうか!プロライターとしては 自分の書いたものが商品として売れないと困るのだから当然 しかし、私の場合は違う 私のブログは、もうコメントも来なくなった閑散としたブログだから PVを増やそう、などという欲も、ほとんど無いし PVが増えたところで、一銭にもならないし(笑) そういっちゃあ、おしまいだが 要するに、自己満足ベースで好き勝手に書いているのだ だから、ヘッドのところでの「つかみ」など意識しても仕方がないAMAZONなどで売れている 「三行で撃つ 〈善く、生きる〉ための文章塾 」単行本 なんでも朝日新聞などの人気コラムニストらしいが 自信満々、押しつけがましく、まさしくウザイ私はそういう卑しい文章を書きたくない 売文家じゃないんだから あ、これを言ったらおしまいか(笑) しかし、こういう呑気な事を言っておられるのもブログの特権 それにしても、この記事、昨日の前編に続く後編なのだが つまらない事、おびただしい パックン 僕が最近心掛けていることは、コンマをより、マルを使うこと。読者がそんな頑張らなくても、すぐ読めるような文章にしたいなと思うんですよ。変な話、ちゃんとした文じゃなくてもいいから、マルを打つ。感嘆語ふたつだけ、マル。とか。教科書で学んだ文法に無いワザなんですけど、今の読者は、許してくれるというか、好んでくれてるんじゃないかなと思うんですよね。ツイッターとかのせいかもしれないけど。長い記事でも、長い文と、勢いがある短い文とで、リズムを変えながらメリハリをつけて書くんです。 母語でないからこその孤独感 マライ 西洋の言葉の悪いクセかもしれないですけど、複文がけっこう大事なんですよね。もしかしたら英語よりもドイツ語のほうが複文文化かもしれない。例えばカフカっていう昔の作家の短編を読むと、たしか5ページぐらいで文がたった3つしかないんですよ。そういうものを遊びで書いてる。 一同 (笑) パックン シャハランさんは文章の練習をしたりするんですか? シャハラン うーん、私はお風呂入ってるときに一番書きたくなるんですよね。そういう設備があれば良いんですけど。 パックン うちの相方は、半身浴しながら、原稿書いてるらしいですよ。何だったら一緒に入ってください。 シャハラン ハハハ。いいですよ。私はインターネットで、すごく調べますね。似たような文章が本当に出てくるのかとか。「こういう言い方もあるんだ」と思って、参考にしたりとか。日本語だけじゃなくて、英語でもペルシア語でも。 パックン いや、大事ですよね。ホントに良い時代に生きてるよね。図書館に行かなくても、すぐお手本になるような文章が手に入りますから。ハンナさんは? 誰かお手本とか、目指してる人はいますか? ハンナ 私は日本人じゃなくて、ジュンパ・ラヒリさんていう、すごく有名なインド系アメリカ人の小説家です。彼女はイタリア語に惚れて、イタリア語でもエッセイと小説を書いてるんですよ。 パックン カッコイイねえ。 ハンナ カッコイイですよ。彼女の英語の小説と、イタリア語の小説の根本的な違いは、イタリア語では「伝えたい!」という必死さが出ること。ネイティブではないからこその孤独感と、言葉で伝えたいという魂がすごく感じられるというか。彼女に憧れて、韓国語で書くものと、日本語で書く文章がそれぞれ全然違う世界観を持つ、というところを目指してます。日本語だからこその、たどたどしい、粗い文章かもしれないけど必死さ、情熱っていうのが、絶対に届けられると思っているので。『わたしのいるところ』というイタリア語の小説は日本でも翻訳されてます。お時間ありましたらぜひ。 神様いわく、リズムが大事 パックン 読みます! マライさんは? マライ 2人います。インタビューでご一緒した中国専門家でライターの安田峰俊さんの記事のまとめ方、そのワザを身につけたいなあって。コンパクトかつ内容のある文章の書き方の本当にプロなので、参考にしたいなと思ってます。 すごく尊敬している方がもう一人いて、酒寄進一っていう、友人の翻訳家でドイツのミステリー小説を日本語に訳している人です。何が凄いかって、酒寄さんが訳した日本語は、ドイツ語と読んだ印象が一緒なんです。リズムが同じなんですよ。だからやっぱりリズムってすごく大事なのかなって思っていて。それさえ同じであれば、作家さんが表現したかった世界だけじゃなくて、言葉も同じ動きをする。ホントに、神様のような人です。 パックン 神様とおっしゃった方の、翻訳のコツは何なんですか? マライ 直接聞いたんですけど、基の本を読んだ後、それを見ないで一回訳すんですよ。 パックン 見ないで訳す!?一回読んで、その印象を思い出しながら書くわけ? マライ ひとつの章とかをね。あとは作家さんにどういう音楽を聴いて書いたかなどを聞き出して、同じ音楽を流して、同じリズム感を再現できる環境を作るそうです。彼にしかできないことかもしれない。読み直して、微調整ももちろんするみたいですけど。 パックン いや、面白いですね。原作に執着しすぎないことが大事かもしれないですね。 マライ そうですね。私たちって、脳内に、ワープロが2つ入ってて、私の場合だと、ドイツ語と日本語は同時には動かせない。だから、日本語の文章書くときは、完全に日本語のやつに切り替えてます。 ハンナ そうですね。 パックン ハンナさんもそうなんですね。シャハランさんはどう? 日本語で考えて、日本語で書いているんですか? シャハラン 私はペルシア語で全然考えてないですね。 パックン 僕も基本的には考えないですね。でもさっきみたいに、ミューズとか、突然ぴったりの言葉が、日本語で考えてても思い浮かぶときもある。でもそれって歴史上、繰り返されてることだと思うんです。外国語にある概念を少しずつ日本語に取り入れる、その歴史に参加してるのかなと。大げさに言うと、そう感じます。 マライ たしかに。 パックン 僕は、タイム誌で面白コラムを書いていた、ジョエル・スタインさんとかのように、英語で面白い文章が書ける人のようになりたいと思ってた。でも同じような書き方は、日本語では通じないんですよ。シニカルに書いても、「この人怒ってるんだ」とか素直に読み取ってくださる。いやいや、皮肉なのに!そういうストレスを溜めたときもけっこうあったんですけど、それからは例えば、ナンシー関さんとか、日本語で面白い文章を書く人の文を参考にするようにしましたね。あと、池上彰さん。彼の文章もすごく分かりやすくて、小学生が読んでも、大人が読んでも勉強になる。そういうはっきりした明快な文章を目指すようになった。 「恨み」と「恨」の違い パックン ちょっと話は飛びますが、自分の言語にあって、日本語にない表現も教えてください。僕はさっき言ったミューズとか、英語にあって日本語に訳しづらいけど、概念としてあって欲しいと思う言葉を文章に差し込むときがあります。アフガニスタン戦争に関するコラムで「コラテラル・ダメージ」っていう英語の表現を入れたんです。つまり、テロ組織への攻撃に巻き込まれた民間人の被害を、「周辺的ダメージ」と訳すのはどうかと思ったのですよ。その概念がアメリカ社会で出回ってるなら、知られるべきだと思って。 マライ 例えば、英語にもなってると思うんですけど、ドイツ語の表現で日本語に無いのは、「シャーデンフロイデ」っていう、人の不幸を笑うもの。 パックン これ最高の概念だよな。「人の不幸は蜜の味」みたいな言い方はあるけど、これは一単語で済む。 マライ 人が不幸になって、それを嬉しく思う気持ち。名詞で、動詞になってないんですけどね。ドイツ人の全てが分かるような表現ですよね(笑)。 パックン それを日本語で動詞に変えればいいんですね。「いま、シャーデンフロイデってる」みたいな。「シャーデンフロイデる」。 マライ なるほどね。逆もあるんですけど、例えば日本語にあって、ドイツ語に無かったりするのが、「悔しい」。意外と無いんですよ。 パックン そうなんですね。「悔しい」って、ちょっと難しいですね。「懐かしい」もそうですよね。 ハンナ はい。そうですね。 マライ 最近の言葉で「エモい」とかもね。「エモい」をドイツ語にしてください、て言われたら、「ん?」てなるかもしれない。 パックン そうだね。日本語も進化してるもんね。ハンナさんどうですか? ハンナ いろいろあるんですけど、韓国人のアイデンティティとして、「恨(ハン)」という表現があるんですね。日本語に翻訳すると、「恨み」という意味ですけど、ニュアンスが全然違う。韓国人にとって「恨」は、自分たちを頑張らせる力を持つものとして、複雑な歴史とともにある意味、魂のようになっている。それを日本の方々に伝えづらかったという経験があります。逆もあって、ちょうど一昨日、私にある方が「まっしぐら」ていう表現を言ってくださった。すごい勢いを持って行くという表現ですよね。 「命」という愛情表現 パックン 僕、28年日本にいるんですけど、いまだに知らない表現に出会ったりするんですよね。不思議なもので、文化のというか、日本語の奥深さというか。あと、一回覚えたけど、忘れちゃったやつ。 一同 あるある。 シャハラン 私が日常で表現できないのは、愛情。ペルシア語とか、ヒンディー語、アラビア語、トルコ語などあのあたりの言葉って、愛情の表現が非常に豊かなんですよね。 マライ ですよね。 パックン そうなんだ。 シャハラン それを日本語の言葉で、娘や妻に言い表せないんですよね。変な意味になっちゃう。 パックン へえ。日本語だと、「好き」と「愛してる」ぐらいかな? シャハラン どうですかね。日本語で「私の全て」って普通は言わないですよね。 パックン たしかに気持ち悪いかも。 シャハラン でしょ? 気持ち悪いですよね。でも、それと一緒のことを言うんですよね。私は毎日自分の娘に言ってますから。 パックン 「あなたは私の命です」と。何歳の娘ですか? シャハラン 5歳です。 パックン まだ許せる(笑)。 シャハラン ほぼ毎日、一日20~30回言ってます。ペルシア語でも、日本語も。日本語で「いのち~」って呼んでますよ。 パックン 娘さんはちゃんと名前があるんでしょ? でもイノチって呼んでるんですか? 「イノチ、ごはんだよ~」て言うの? シャハラン 慣れてるので、逆に言わないと怒るときあるんですよ。そう呼ぶと、娘が「なあに~」って寄ってくる。 マライ・ハンナ かわいい~。 シャハラン 「レバー」ってあるじゃないですか。 パックン 肝臓? シャハラン ペルシア語で「私の肝臓」って自分の恋人に言ったりするんですよね。 パックン 内臓にたとえるんですか?! シャハラン あなたはそれぐらい私にとっては大事だと。 パックン もっと好きになると「ホルモン」とかだったりするの? 一同 (笑) シャハラン 「ホルモン」は言わない(笑)。肝臓っていうのは、ものすごい大事なんですよね。表現として。 パックン へえ。でもそれ、すごく大事な情報ですね。ぜひ、どこかで書いて欲しいですね。日本人に伝わって欲しいし、もっと愛の表現を増やしていただきたい。日本語の愛の表現、足りないと、僕も思うんですよ。 シャハラン 足りない。表現できない。さっきのマライさんの話もあるんですけど、新しい言葉を作ったっていいじゃないって思っちゃう。 天気の話なんかどうでもいい! マライ シャハランさんは日本語をリスペクトして、伝わる文章書きたいとおっしゃってたんですけど、その上で、新しいものを日本語に入れちゃっていいんじゃないかな、とも思うんですよね。「私のレバーが......」って、そういう文章、あっていいと思うんですよ。伝わればの話ですけどね。 パックン 注釈付きでね。でも、いきなり「僕の肝臓が学校から帰ってきた」とか言ったら、びっくりしますよ。 マライ 面白くないですか? 最初のツカミで「僕の肝臓が学校から~」って、次の文を読みたくないですか? パックン やっぱりこうやって、われわれも日本の文化を進化させつつ、日本から得たものも自国に発信したりして、お互いの文化の交流点になると、けっこういい働きになるかなと思います。でも今日は、文章の書き方がメインなんで、最後に、読者のみなさんに、もっとキレイな、伝わりやすい、面白い文章を書くためのアドバイスを、いただけますか? マライ やっぱりもっと自由な発想で書いたらいいんじゃないかなと思います。自分ならではの表現を見つけて、自分の中にある世界をまず表現してみて、どうなるのかをみてみるっていうのがいいんじゃないかなと思います。 パックン それはね、一番日本人に言いたいかもしれない。マライさんがポイントにしちゃって悔しいぐらい。 マライ また「悔しい」ですね。 パックン みんな小学校のころから、全く同じ文章を書かされている。学園祭のあいさつとか、この間のオリンピックの宣誓も、小学生の文章とほぼ一緒。テンプレートを捨てていただきたい。自分で考えたことを共有していただきたい。「天気の話とかどうでもいいよ!」っていつも思う。すいません、熱くなっちゃった。ハンナさんは? 思い浮かばなくても、書く ハンナ 似た話ですが、文章って「お忙しいところ恐縮ですが」とか固い言葉を使わないとダメなときがあるじゃないですか。でも私も、ホンネが聞きたいときがありますね。自分を抑え気味にして謙遜とか、それもすごく素敵な文化だと思うんですけれど。やっぱり書くってことは、本質的に相手に伝えるものですよね。自分の気持ちを伝えるには、こうすべきっていうものは無いと思います。自分の心の中からのものを一番大事にして欲しいなと。それはネイティブとか非ネイティブとか関係ないと思っていて。完璧な文章というものを目指しちゃうと、怖がって書けないと思うんです。 パックン いいねえ。最近あまり聞かないですけど、昔の手紙とかの「緑も深まったこの頃はどうのこうの」みたいな、決まった文句、素敵かもしれないけど、そのあとの文章に力を入れていただきたいよね。決まり文句ではなくて。自分の文句を見つけていただきたいなと。じゃあシャハランさん。 シャハラン 別にライターを目指さなくても、書きたいことを書くべきなんじゃないですかね。なんでもいいから、思ったことを書き溜めることです。今だって、幸いなことに、(オンラインメモ帳の)グーグル・キープとかあるじゃないですか。私、そこに思ってることを、お風呂から出てきて裸でバーッと書くって感じですよ。 パックン シャハランさんにとってお風呂がさっき言ってたミューズ、芸術の神様になってるんですね。 シャハラン お風呂はいきなりこう、降って来るんですよ。 パックン 指先のシワと同時に、脳みそのシワが増えてるのかもしれない。僕からの最後のアドバイスは、「やれ」。なんか書きたいなら、書け。それだけです。「うわー、なにも思い浮かばない」とか思うときは、パソコンの前に座って、「何も思い浮かばない今、手の指を動かして......」とか書いて、後で書き直す。 僕は作家さんになりたい、いい文章を書けるようになりたい、という人の願望を聞いたときは、「書いてますか?」って聞き返すんですね。それだけの話なんですよ。練習しないでうまくなるものはなかなかない。だから、書きましょう。やればできる。人間は、動いて達成する動物だと思うんです。このあたりでどうでしょう。 座談会参加者プロフィール: パックン(パトリック・ハーラン) 米コロラド州出身のコラムニスト、タレント。ハーバード大学を卒業後に来日。1997年、吉田眞とお笑いコンビ・パックンマックンを結成し人気を博し、その後多くの番組にレギュラー出演。近著の『逆境力』(SBクリエイティブ)ほか著書多数。 マライ・メントライン ドイツ北部キール出身。高校時代、大学時代にそれぞれ日本に留学した後、2008年に3度目の来日。NHKドイツ語講座などのテレビ出演、独テレビ局プロデューサー、翻訳、通訳、執筆など幅広く活動する。自称「職業はドイツ人」。 カン・ハンナ 韓国ソウル出身。タレント・歌人・国際文化研究者。2011年に来日し、20年に初の歌集『まだまだです』(KADOKAWA)で現代短歌新人賞を受賞。最近はビーガン・コスメブランドを立ち上げるなど、多方面で活躍している。横浜国立大学大学院博士課程在学中。 石野シャハラン 1980年イラン・テヘラン生まれ。2002年に留学のため来日、15年日本国籍取得。異文化コミュニケーションアドバイザー。シャハランコンサルティング代表。YouTube(番組名「イラン出身シャハランの『言いたい放題』」)でも活動中。Twitter:@IshinoShahran <2021年10月26日号「世界に学ぶ至高の文章術」特集より>
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.12.13 06:10:19
コメント(0) | コメントを書く
[L 【言語】【日本語】【他言語】] カテゴリの最新記事
|
|