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過去ログ復刻シリーズ】 セレブ奥様の本棚 2004.02.03 ―――― 過去ログ ―――― テレビでよく「奥様訪問」とか「セレブの家」とか、確かではないが、そんなたぐいの題名の番組がある。 大金持ちの「奥様」を訪問して、その美邸と豪華なインテリア、ブランドのお衣装や宝飾品類を披露してもらうのである。 確かにテレビに取り上げられるほどだから、すごい。 あるところにはあるものだということが実感として迫る。 「奥様」たちも美しい。 ちょっと美容整形が入っている様子の人も多いが、それもお金持ちの証左だろう。 それに奥様ご自身も自信満々で、インタヴュアーのお世辞たらたらの姿勢に満足そうである。 家具なんかもキンキラだったり、すべて外国から輸入したものだとかでまぶしいほどだ。 その豪邸というのはすべて新しいお屋敷だ。 外国の上流階級のように先祖伝来の歴史のある古びたお屋敷というようなものではない。 お金が出来たので昨日建てましたという感じの、まっさらの豪邸だ。 それにインテリアの趣味が統一されていない。 高価な品を寄せ集めたという感じなのだ。 そんな点にちょっと不満は感じる。 しかしすごい。 そんな豪邸の中の豪華な部屋が次から次へと紹介されるのだが、そのうちに???と思った。 階級社会の欧州であれば、それもインテリの家庭であれば、こんなことはないはずだ。 ーーーー ◇ ーーーー 欧州のインテリ家庭ではテレビを持っていてそれを日頃見ていても、いざ来客があるとそれを隠すといわれている。 扉がある本棚なんかにテレビを置いていて、扉を閉めて隠すというのである。 俗なテレビ文化には染まっていませんよ、我が家では教養を重視していますよ・・・と言うところだ。 私の経験では隠す家庭はなかったけれど、日本のように超大型の最新型のテレビが家のなかで一番いい位置を占めているということは無いし、テレビも流行遅れのくすんだ様な中型・小型のものであることが多い。 ・・・我が家も反省点が多い。 ところでその一方で、天井ちかくまでの高さの本棚にはギッシリと本が詰まっていることが多い。 新刊書と共に先祖伝来の革背表紙のかなり価値のある本が多い。 それに外国の本は大型だから迫力がある。 これにくらべて我が家では、本棚からも溢れて、紙袋に入っていたり、段ボールの中であることもざら。 ・・・これも反省点である。 ―――― ◇ ―――― 私としてもこういうテレビ番組でも日本のセレブの奥様たちの本棚の中の書籍コレクションをぜひ見せてもらって、セレブの読書傾向というものを知りたいと思うのだが、残念ながらそんな部屋には案内された場面を見たことがない。 インタヴュアーも「いろいろ豪華なお部屋を拝見させていただきましたので、ではそろそろ知性の殿堂、図書室にご案内いただけますか?」なんて聞くことはない。 だいたいこんな豪邸なのに、本棚がない様子なのだ。 物質生活においては並はずれて豊かでも、精神生活の方はどうか?ということを、自ら語っている形になる。 ーーーー ◇ ーーーー ついこの間までは、かなりの家庭に客間というものがあった。 いつもは使わないちょっと洋風の部屋で、来客があるときにだけその部屋は使われる。 だから来客があると、いそいでほこりをはたいたりしていた。 その部屋では、ピアノと共に本棚が王様の貫禄で鎮座していて、ガラスの扉の本棚には一応それらしい本が詰まっていた。 といってもその本は見栄え中心だから、かなり年代物の日本文学全集や百科事典などが多くて、持ち主が日頃読むとは思えないものだったが、ともかく家主の教養のシンボルとして来客を威圧していたわけだ。 ところが、そんな古い家があまり残っていない現在、住宅事情が悪いとは言え、よほどの家をのぞいて、ごく一般的な日本の家屋に本棚が主役を占める部屋は無くなったと言えるのではないだろうか? ーーーー ◇ ーーーー 戦後のこの数十年、日本人は知性・教養ということを忘れたまま、物質生活を豊かにすることにのみ狂奔して来た。 有名大学・一流大学に進学するのだって本当に学問をしたくてそうするわけではなかった。 そーゆー大学を出て、さらに一流の官公庁・企業に就職するのが目的だから、うまくそのようなところに就職できればめでたしめでたしということになって、安心して、読む本は巻末ヘア・ヌードの週刊誌や、自分の息子も読んでいる漫画週刊誌というざまになる。 休日にゴルフなどを楽しみにしている人は多いが、休日は読書が楽しみだという人はそうはいない。 会社での話題も昨夜のナイターがせいぜいで、読書の話題が出る職場というものは実際ほとんど無いだろう。 「君の近頃の読書傾向はどんなものかね?複雑系をどう思うかね?やはりだめかね?」と、上役に質問されることは決してない。 ・・・また反省点が多い。 ―――― ◇ ―――― だからと言っていいかどうかわからないが、欧米での出張先で招かれたパーティーなどで、日本人はそろって壁の花であることが多い。 男の壁の花はことさらつらい。 一応東洋からの珍客ということもあり、はじめは日本の話題で一回りぐらいは持つのだが、それ以上は無理で、もともとパーティーで人をわかせる様な知的な話題を持ち合わせていないから、せっかくのパーティーで、さっきもう終えてしまったビジネスの話をまた蒸し返したりして軽蔑されたりする。 ふだん会社ではいばっている上役も、こんな時にはまことに頼りにならない。 むしろ私たちをけしかけて、自分は遠慮がち、伏し目がちである。 こんなにつつましい性格だったとは知らなかった。 しかたがないので日本人同士集まって・・・、なんのことはない、また仕事の話などをしてしまう。 ・・・反省点だらけである。 日本では一流大学を卒業して頭はものすごく良くても「知的」とはかぎらない。 明治維新以降の日本は、もっぱら西欧に追いつけ追い越せで、軍事と経済だけに目標を絞ってきた成果(?)が見事に実っているのだ。 ・・・国家として反省して欲しい。 ―――― ◇ ―――― 以上いろいろ言い立てたが、これはもちろん私自身の反省を込めた回想である。 真面目な話、こういう歳になって考えるのは、いままで継続的な読書をしておけばよかったということである。 (私は本を買うことだけは継続的だったが、読まなかった。 本がたまるばっかりだった。 これではいけない。 本を買えば自動的に知的になると思っていた私の失敗を繰り返してはいけない。) 今はインターネットという画期的な情報収集手段ができたが、それでもなお「腰のある」知性・教養をはぐくむのは読書が中心だと思う。 ただ、私には幸運なことに読書の話題を持てた同僚・先輩が一人づついた。 たまに昼食を共にしたり終業後に飲みに行った先で、少々そんな話をした。 大江健三郎ではやはり「万延元年のフットボール」がいいとか、福永武彦の「廃市」がどうとか、だれだれの思想がどうだとか・・・。 彼らがそんなことを楽しそうにしゃべると、私もそのペダンティックな語り口におもわず知的好奇心をそそられ、オフィスにもどる途中の本屋に立ち寄ることになる。 それになんだか彼らに負けたくなかったのだ。 今考えてみると、この交友関係とこの会話が私を最低レベルへ落ちるのを防止してくれたと思う。 ―――― ◇ ―――― 楽天広場には「読書」というテーマがある。 正確には「読書・コミック」だがまあいい。 コミックには遠慮してもらおう。 ものすごい読破力で読書日記を続けている人達がいる。 ああいう人々にはとてもおよばないけれど、それに老眼もあって若い人にくらべてハンディはあるけれども、こういう環境の中で刺激を受けていれば、これからかなり読書が出来そう、その上読書は日記のネタにもなりそうだし・・・ということで私は今そこそこハッピーである。 今日の私の格言 読書は一生の友、女性は一時の・・・(以下省略)
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最終更新日
2021.12.21 16:03:37
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