カテゴリ:A【芸術・美術】音楽以外
小説家が明らかに──レオナルド・ダ・ヴィンチは「アジアから誘拐された奴隷」の子供だった 3/25(土) 9:00配信 Elisabetta Povoledo クーリエ・ジャポン イタリアの歴史学者が発表した、新作小説の内容が世界に衝撃を与えている。レオナルド・ダ・ヴィンチの母「カテリーナ」の出自について、衝撃的な仮説が提示されたのだ。 レオナルド・ダ・ヴィンチの母親はいったい誰なのか? この謎は何世紀にもわたって研究者たちを魅了し、振り回してきた。 ほんのひと握りの事実は知られている。 彼女の名はカテリーナで、1451年のあるときに公証人のセル・ピエロ・ダ・ヴィンチと関係を持ち、翌1452年4月15日に男児の婚外子を生んだ。 そして、その男児に「レオナルド」という洗礼名が与えられた。 レオナルドの生誕を記録した銘板が、フィレンツェから約50キロ離れたヴィンチ村に建つサンタ・クローチェ教会内にある。 レオナルドの洗礼式はここでおこなわれた可能性が高い。 研究者らは長年、レオナルドの母は「ヴィンチ村の小作農」「身分の低い生まれの十代の少女」「ユダヤ系か中国にルーツを持つ女性」ではないかと推測してきたが、この度、アカデミックな論争をさらに加熱させそうな最新の仮説が現れた。 それは2023年3月14日、フィレンツェで開かれた新作歴史小説の発売日前イベントで、同書の著者で歴史学者のカルロ・ヴェッチェが明らかにしたものだ。 彼によれば、レオナルドの母は中央アジアのコーカサス(カフカス)地方の山岳地帯から誘拐され、奴隷にされた少女だという。 彼の小説『カテリーナの微笑』(未邦訳)は、フィレンツェ国立文書館で新たに発見された、レオナルドの父セル・ピエロ直筆の文書を学術的な根拠として書かれた。 ナポリ東洋大学教授のヴェッチェはこの小説を、史実と虚構が入り混じった激動の物語として描く。 読者はカテリーナと共にアゾフ海、コンスタンティノープル(現イスタンブール)、ヴェネツィアを経由してフィレンツェへと転じて、ヴィンチ村へたどりつく。 そして小説は、カテリーナがミラノで死去する場面で終わる。彼女はそこで、当地の宮廷に仕えていたレオナルドと再会している。 レオナルド研究家で、フィレンツェにあるガリレオ博物館の前館長パオロ・ガルッツィはこう話す。 「私はこの小説を『ドキュメント・フィクション』と定義したい。 こんな形容矛盾を持ち出すのは、従来なら別ジャンルに属する手法が結びつけられて書かれているからです。 この小説の登場人物には生まれと育ち、顔立ちや性格といった、学術論文には見られない要素が与えられていますが、根拠ある研究に基づいています」 そして、「論争を引き起こすのが仮説の運命」としながらも、ヴェッチェが集めた史料には充分な説得力があるとも付け加える。 ヴェッチェが発見した文書は、レオナルドの誕生から約半年後の1452年秋に書かれたものだ。 それは、カテリーナという名のチェルケス人の奴隷の女性が、所有者から解放されたことを記録した証書だ。 ヴェッチェは、同文書に出てくるカテリーナがレオナルドの母親を指しているとする根拠について、カテリーナの歴代の所有者を示す史料と、直筆の文章から彼女に対する親愛の情が読みとれることから、すべてがレオナルドの父に行きつくと語る。 結局、レオナルドの父セル・ピエロはフィレンツェの若い女性と結婚し、レオナルド誕生の翌年に、カテリーナをヴィンチ村郊外に住む農夫兼窯焼き職人と結婚させた。カテリーナはその後、その職人とのあいだに4人の娘と一人の息子をもうけた。 こうしたレオナルドの出自は、彼自身、そして世界にとってむしろ幸いだったといえるかもしれない。 作家のウォルター・アイザックソンは、2017年に出版したレオナルドの評伝の第1章をこう書き出している。 「レオナルド・ダ・ヴィンチが非嫡出子として生まれたのは、幸運としか言いようがない。さもなければ少なくとも5代前までの一族の嫡男がすべてそうであったように、公証人になることが期待されていたはずだ」 ヴェッチェは、文学的アプローチをとったのは自分の発見を広く知ってもらうためだというが、その一方で本件に関する学術論文の執筆も進めている。 同時に、カテリーナの物語に現代の多くの難民の苦しみを見て、心を突き動かされたとも語る。 「彼女の物語は、論文ではない違った方法で伝えるべきだと強く感じたのです」 ―――― 私の感想 ―――― 感想と言うほどのものでは無いが ダ・ヴィンチの母親がコーカサス地方の出身 つまり、今で言えばジョージア、アゼルバイジャン、アルメニア この三ヶ国当たりの出身と言うことになるか これは私の単なる想像だが モナリザは、この母親をイメージした肖像画ではないだろうか? どこか、オリエンタルな雰囲気がある容貌に見える 「謎の微笑」と言う見方も、オリエンタル的な雰囲気が西欧の人間には、そう感じさせるのではないだろうか? このモナリザの絵を、ダ・ヴィンチは、死ぬまで手放さずに手元に置いていたという
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最終更新日
2023.03.25 10:54:46
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