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【日本史】三千名以上が戦死していたB-29。高射砲は届いていたし、日本にはレーダーもあったし、迎撃機も出撃していた/墜とされたB-29
私は戦中派である 日本の敗戦時、私はまだ3歳になっていなかった つまり、戦争中は、一歳児であり、二歳児であったわけだ 普通、幼児期の記憶は、早くても三歳ごろから、と言われる しかし、私の戦時中の記憶は鮮明である その記憶の中に、B-29の記憶もある 空襲警報が鳴り 祖父母・Ł両親、私、まだ赤子だった私の妹 この6人が、家の外側の下水溝を改造した防空壕にと煮込んだ 母はまだ赤子の妹を毛布でミノムシのように巻いて抱いている てもとには鉄鍋 その鉄鍋の中には サツマイモとその茎を煮込んだ我々の食料が入っている 戦争中は食糧難で、そんなものしか食べれなかったのだ 父と祖父が防空壕から出て双眼鏡で上空を見渡していた 私の記憶では、雲一つない青空の中 上空高くギラギラとジュラルミンの機体が輝く B-29、一機が、悠々と飛行していた 父と祖父もそれを双眼鏡で見ていたのだ すると突如、視界に米軍の戦闘機が飛来 恐らく低空飛行を続けていたのだろう 日本の防空体制は崩壊したようSW 高射砲の法制も聞こえなかった その戦闘機が、さらに低空に降下し 我々めがけて機関砲を連射してきたのだ 当時の米軍機は容赦なく民間人を狙っていた あたしのそのシーンの記憶は 慌てて防空壕に飛び込んでくる 父と祖父の二人の姿までで終わっている ーーーー この記事によれば あの友禅図南の高射砲の反撃も無く 大空を音も無く非常していたかに見えたB-29が 実は大量に撃墜されていた これは知らなかった いい気味だ そう思う私がいる 米軍の無差別空襲と戦闘機の民間人銃撃が いかに残酷極まるものであったのか 私はそれを知っているからだ まあ、米軍の残酷さはそれだけではない 広島長崎への原爆投下もある 今考えてみれば 人類が人類に対して原爆を使用するなんて 現実として考えられないほどの残虐行為だ ーーーー 今の若い人は 我々老人を憎んでいると言う 若者だけに財政的負担を押しつけて 悠々と年金で暮らしている そう考えるらしい 我老人人からすれば 焼け野原の日本を 世界トップの経済大国に押し上げたのは我々だ 若者はその財産の上で 一流国のステイタスを満喫しながら 恵まれた生活をしている 戦死のリスクやア恐怖も無く 平和ボケしながら 偏った考え方だと言う事は自覚しているが 戦争中の事を回想すると こういう事も書いてみたくなる ーーーー 厚生省社会・援護局が1977年に発表した太平洋戦争での日本の戦没者数は、 軍人、軍属、准軍属合わせて約230万人、 外地の一般邦人死者数約30万人、 内地での戦災死亡者約50万人、 合わせて約310万人です。 その9割が1944年以降の戦争末期に 集中して亡くなったと推算されています。 ーーーー 一方 戦前、 「現人神(あらひとがみ)」 生きた神様とされ 大元帥として軍国日本を率いた昭和天皇は 無事天寿を全うされた お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.04.26 19:47:48
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