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カテゴリ:生活・仕事...苦しいですか?
「Alicaさん、若いねぇ~」 よくそう言われます。 これって褒められているのかバカにされているのか... 『見た目に若い』ってなら褒め文句ですが、『精神的に若い』ってなら貶し文句ですもんね。 まぁ、逆の意味のときもあるので、ケースバイケースでしょうけど... 自分では若いとか古いとか歳相応とかっていう自覚があまりないんですが... でも、ときおり自分より年下(のはず)の人間から、「Alicaさん、まだ若いからいいけど、私なんてこの歳になると...」なんて言われると、『見た目に若い』ってことかと思ったり... 逆に、おニュー(← 死語w)の派手なバイクウェアを買ってルンルン気分で(← 死語w)浮かれているとき、「ほんっと、Alicaさん、若いねぇ~」なんて言われると、『精神的にガキ』ってバカにされてるのかと思ったり... しかし、俗に『バカは歳を取らない』と言われるように、この『見た目に若い』と『精神的に若い』という2つ、実は無関係ではないのかもしれません。 先日読んだ吉村達也氏のホラー小説『時計』の中に、『時間の流れの主観性』というのがありました。 『楽しい時間は速く流れ、嫌な時間は遅く流れる』ってよく言われますが、『認知障害』にかかり、過去の時間に囚われた人の中には、いつまでたっても若々しい人がいるそうです。 若い頃の記憶が、肉体の年齢を支配しているのでしょうか? もしそうなら、最後は『時間は認識されてこそ流れる』って結論に行き着くはずです。 わかりにくいですか? 自身の持っている『時間の認識』において、そこには必ず『自我』が平行して存在している、と言ったほうがわかりやすいでしょうか? 『記憶になければ、自身にとってその時間も存在していない』ということです。 もっと平べったく言えば、例えば「自我の確立していない赤ん坊は、時間の長短を意識することができない」とか、「眠っている間は、時間感覚がない」とか。 『自分という意識』があってこその『時間』なのですね。 ということは、逆に「認識しなければ時間は流れない」とも考えられます。 先日、kaleidoscope様ところの3/10日記『極上の合コン美女&カッパ巻きのみすぼらしい人』のレスの中で、世のおぢさん連中のファッションに関して、 >ポーチみたいなサイドバッグ抱えて、ゴルフいくようなセーター着ている人 >おやぢの定番、ポロシャツ・スラックス >何故わざわざあんなムサイ格好するするのか? >すごい不思議 等々、盛り上がったのですがw... もちろんσ(・ ・;)もおぢさんですが、ゴルフなんてやらず、ソフトスーツとバイクウェア以外には、ジーンズにジャケット、ジャンパー、Tシャツ、スウェットしか持っていない私には『まったく理解できないファッション』です。 どうも、おぢさん連中の間では、『男も35を過ぎたなら、ポロシャツ・スラックスのゴルフファッションをするもの』という固定観念があるようですね。 ここで先ほどの『「時間=年齢」は「自我」による影響を極めて受け易い』を当てはめてみると... 『ゴルフファッション』が『爺ムサさ』を誘発しているのではなく、『ゴルフファッション』をすべきという『固定観念』が『爺ムサさ』を誘発していることになります。 昔、上司から「君には歳相応の落ち着き・重みがない」と言われたこともあります。 なら、もし私に歳相応の落ち着きがあったら... 年齢どおりの見た目に『見える』または『感じられる』んですかね? しかし、『歳相応の落ち着きを持て』って... 要はσ(・ ・;)に、『バイク』も『ギター』も『Rock』も『Classic』も『破れたGパンにTシャツ』も『模型』も『ガンダム』も『ゲーム』も『PC』も『SF小説』も『推理小説』も『漫画』も『アニメ』も『映画』も『お絵描き』も『落語』も『宇宙』も『深夜放送』も『Vegan』も『お洒落なショットバー』も『長髪』もやめ、『ゴルフ』や『ポロシャツ・スラックス』や『カラオケで“昴”』や『受付の女の子にセクハラ会話』や『居酒屋や立ち飲みで愚痴こぼし』や『薄くなった頭に養毛剤トントン』や『血糖値を気にして高濃度カテキン飲料を飲んだり』や『泥酔して電柱でオゥエェ~ッ!』や『ビジネス書読むたびに下らない思いつき企画の立案』や『オムスビみたいな巨大なネクタイの結び目』や『TPOをわきまえない、すんげぇくだらない下ネタでヒンシュク買っているのに気づかなかったり』や『街中で薄着のおねえちゃんをジロジロ見てにへら~ってスケベ笑い』をやれって? ・ ・ ・ ・ ・ ・ すいません、私... ガキのままでいいです... お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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