律法…汚れ…罪…
朝っぱらから間違って睡眠薬を飲み(爆)、仕方がないのでそのまま「車を運転して」(←よい子のみなさん、くれぐれもマネをしないように)(^^;教会へ向かいました。もう、頭はボ~っっとして、カラダもクラクラ。礼拝中、賛美歌(新聖歌)を歌ったりする時に、起立するのですが、そのたびにフラフラしていました(笑)。いや、言い訳じゃないんですけど、先に書いたとおり、いつもなら、病院で処方してもらったときのおクスリの袋から、朝は必要なものを出して、まず飲みます。そのあとで、お昼と夜の分を取り出し、ピルケースにまとめて入れておくんです。しかし、何を血迷ったのか、昨日は夜のうちに、今朝からの1日分をピルケースの中に準備していました。…つまり、いつもと行動が違うわけです。それで、な~んにも考えず、あたりまえのように、薬をチョイスして飲みました。さて…と思って席を立った瞬間、急激に「イヤ~」な予感が走り、再び振り返って、クスリの抜け殻を見ると…。Oh, my god !! やってしまった(^^;。やっぱり飲んでしまってたよ、睡眠薬(^^;。でも、もう、おなかの中に入ってしまったので、今さら吐き出すこともできず、あきらめました。もう知らん!なるようになれ!って感じで、投げやりです(笑)。幸い、お仕事の日ではなく、日曜日だったので助かったのですが…。それプラス安息日だったのもあるかな、ちゃんと神様が、ヤバい状態を支えてくれましたよ~。ココロから感謝!デス。あと、偶然とはいえ、明日は病院へ行くので、お仕事はお休み!とりあえず、今晩の睡眠薬はないにしても、被害は最小限で留められそう(笑)。さて、今日の聖書の箇所は、新約聖書より、マルコ7章でした。説教の内容は「言い伝えからの解放」と題して…。--新約聖書マルコ7:1~8 さて、パリサイ人たちと幾人かの律法学者がエルサレムから来ていて、イエスの回りに集まった。 イエスの弟子のうちに、汚れた手で、すなわち洗わない手でパンを食べている者があるのを見て、 -パリサイ人をはじめユダヤ人はみな、昔の人たちの言い伝えを堅く守って、手をよく洗わないでは食事をせず、 また、市場から帰ったときには、からだをきよめてからでないと食事をしない。まだこのほかにも、杯、水差し、銅器を洗うことなど、堅く守るように伝えられた、しきたりがたくさんある。- パリサイ人と律法学者たちは、イエスに尋ねた。「なぜ、あなたの弟子たちは、昔の人たちの言い伝えに従って歩まないで、汚れた手でパンを食べるのですか。」 イエスは彼らに言われた。「イザヤはあなたがた偽善者について預言をして、こう書いているが、まさにそのとおりです。 『この民は、口先ではわたしを敬うが、 その心は、わたしから遠く離れている。 彼らが、わたしを拝んでも、むだなことである。 人間の教えを、教えとして教えるだけだから。』 あなたがたは、神の戒めを捨てて、人間の言い伝えを堅く守っている。」--さて、新約聖書ではよくパリサイ人や律法学者が登場します。この人たちは、うわべでは「神様」などと礼拝し、たとえば「私はこんなにも、神様のために献金しています」などと、わざと見せびらかすように大金をささげるようなことをして、どちらかというと、神様より人にいいように見られようとしている部分が顕著に現れている人たちデス。…な~んてエラソ~なことをかいている僕ですが、まさに僕の姿を鏡に映したようなもんですわvv。極端に言ってしまえば「神様」より「人間」や「偶像」を崇拝している、とか、神様のため、という名目で「私はいいことをしています」ということを見せびらかしたり、イエス様がなされることを非難したり(たとえば一つの例ですけど、安息日は働いてはならない、と律法には書かれているにもかかわらず、イエス様は病気を癒されたりしたことに対し、彼らはイエス様に対して憤り、ののしったり、やっつけてやろうと計画したりしていた、そんな人たち…)。また、人間の基準でものを考えたりすることが、どういうことなのか、といった内容のことが、以下の部分に明確に書かれています。--新約聖書マルコ7:18~23 イエスは言われた。「あなたがたまで、そんなにわからないのですか。外側から人に入って来る物は人を汚すことができない、ということがわからないのですか。 そのような物は、人の心には、はいらないで、腹にはいり、そして、かわやに出されてしまうのです。」イエスは、このように、すべての食物をきよいとされた。 また言われた。「人から出るもの、これが、人を汚すのです。 内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、 これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。」--まず、この世でわれわれに与えられた食物は、すべて神様からのいただき物であり、どんなものでも感謝していただくことが許されています。きよいのです。逆に問題なのは、人間の内側から出てくるもの。すなわち、ココロの中の思い…。これらは聖句にかいてあるとおり、まさに「罪」に結びつくようなものばかり…。こういったものこそが人を汚すのだ、とイエス様は教えてくださいました。しきたりを重んじたりすることはとても大切なことでしょうね。でもその中に、ホントの意味を果たして僕たちは見出しているでしょうか?他にもこのマルコ7章では病気や障害が癒されたりするシーンがずっと書かれています。ある一点に縛られがちですが、その根底に「信仰」というものの大切さがあるんだよ、といったことを語っているようでした。まずは誰もがココロの中に持っている「罪」…これは例え直接的なものではなくても「原罪」と呼ばれる、人が生まれながらにして持っている罪があります。古くさかのぼれば、それこそアダムとエバ(=イブ)の時代の話になってしまうのですが…このあたりの話は有名ですよね。禁断の実を食べて云々というヤツ、デス(笑)。これが人間が犯した最初の罪。それがずっと現在まで引きずっているわけですね。でもイエス様が十字架上で過去、現在、未来のすべての罪を、僕たち一人一人を愛するがゆえに、ご自分とともに十字架上で処分してくださいました。イエス様ご自身という犠牲を払って…。さぁ、ここからダメクリスチャン、みらいの現実が始まります(笑)。ええ、理屈ではわかっているんです(^^;。でも、こういったことが日常生活の中で、ちゃんと適用できてますか?…僕は堂々と答えます。「いいえ。だって、わかんないんだもん」(笑)。これが僕の姿(^^;。今日もゆくゆく、ダメダメクリスチャン、みらいです(^^;。挫折します!とまでスクールで断言してしまうほど、ど~しよ~もないみらいです(笑)。でもスクールの先生(=牧師婦人)も、みなさんも、あたたかく包んでくださいました。お祈りしてくださいました。あぁ、ホント、感謝ですよね。こ~んな僕ですけど、先生は「あなたは確かに、変わってる(←ヘンだ、ということじゃなくて、変化している、という意味です)(笑)、確実に神様によって変わってる」といって下さいます。もちろん本人に自覚はないのですが(^^;。自分はむしろ「ますます悪くなっている」と感じているくらいなので、なんとなくその辺のギャップにうまく適応しきれていない自分がいるのもこれまた事実(笑)。はっはっは…そんなわけで、睡眠薬に負けず、無事、早めに家に帰ってきました。あとはど~なっても知らんvv。ってか、もう効果は消えてるわね~。問題は夜、ちゃんと寝られるでしょうか(笑)。あい、朝、睡眠薬を飲んでしまったので、夜は飲んでませんです(^^;。