There is no business like ... +a こりゃ驚いた。
There is no business like a show business, like a show business...ショウほど素敵な仕事はないという歌詞から始まる古いミュージカルがある。歌詞はここしか覚えていなし、それだって、正確なものかどうか疑わしい。タイトルは、「ショウボート」だか、「アニーよ銃を取れ」だったかと思う。実は覚えていない。高校の頃、せんせは私立の学校で放送委員をしていた。これがあまり仕事のない委員で、先代までは運動会以外は仕事のないは閑職だった。特権は、放送室に出入りできるという一点のみ。せんせは昼の弁当を放送室で食べ、古いミュージカルのレコードを愉しんでいた。これはその内の一曲だ。せんせの家は、所謂、医者家系だ。せんせのひい爺さんは村で一人の医者で、日露戦争に隣村の医者と一緒に出征したそうだ。(その隣町の医者のひい孫が大学時代の向かいの部室の先輩だったという、小説まがいの偶然のおまけ付き)爺さまは、医者軍人(少尉、あれ中尉かな??)として出征し、フィリピンの山の中で戦死した。親父殿も、バリバリのオペ室の達人だった。で、せんせ。単純計算で、100年近く我が家は医業を続けていることとなる。世の中にどうしてこんなに素晴らしい職業があるのだろうかと、たまに考える。一度やったらやめられない。語弊がないように言うのが大変難しいが、私は医者である自分が大好きだ。すべてにおいてまだまだ未熟で、修行中で、医者としてのイロハのイぐらいしか知らない身分で言うのもおこがましいのだが。中毒かもしれない。もしかして、医者中毒?(本来ならば医者中毒とは別の状態を指すのだけれど)アイロンのかかった白衣をきると、いつもちょっと嬉しくなる。外来はせんせのステージ。今日はどんな人が来るだろう。手を洗って、ガウンを着させてもらい、手袋を履く頃には血中のアドレナリン濃度が上がっているのが自覚される。仕事しているときはメシがとんでも気にならない。(腹は減るが…)若い頃は、そんなに寝ていなくても大丈夫だった。3日ぐらいは連続で病院に住んでいても、それでも楽しかった。何もかもにも必死になれて、それが人の役に立っているなんて、自分はなんて恵まれているのだろう。ひい爺さん、爺さん、父さん、そのだれもが“ハマッた”職業に就けたのは本当にラッキーだった。強要されたことも、期待されたことも一度も一度もなかった。(良く考えてみれば、医者になることを期待されていなかったというのはちょっと悲しいのかもしれないが…あ、気がついたら、すごく悲しくなってきた。おやじ~。)親は好きなことをしろ、と言ってくれていたが、病院裏の社宅に住み、幼稚園のバスが病院の正面に付き、病院の中を毎日通学していたせんせには、人生最初に憧れた職業が医者だった。浮気性であきやすいせんせにはまったく信じられないことに、それは受験の頃まで代わらなかった。唯一考えたことと言えば、「アメリカで医者」をするか「日本で医者」をするかの選択枝ぐらい。医学部にも入っていない高校生にしてみれば、はなはだずうずうしい悩みだった。当時の受験の倍率は26倍だった。ということは、統計学的にはせんせ一人の合格の影に、25名の不合格者がいると言う計算になる。ふらふらふら~と合格してしまったせんせはその時初めて、医者になることの現実(こわさ)を実感した。自分はなんとなく医学部を受験し、合格してしまった。そのために、25名の人間を踏み台にしたのだと。自分より、もっと才能があって、優しくて、人間の出来た人もいたはずだ、その人たちを差し置いて、自分は医者になる資格があるのだろうかと。そのわだかまりは、今でも割り切れない。今の自分は、医者であって幸せだ。医者としても、結構幸せだ。果たしてその25名に対して、せめて恥じない医者でありたいと思う。------------なんて話しをUPし、暢気に大好きなTVを観ていたら、あんまりおどろいて、噛んでいたガムで死に掛けた。11:35分からはじまる夜のABC news、そのopeningに、例の“There is a no business like a show business, like a show business..."が流れてきたのだ。選挙が近いから、政治とショウビズの関係を特集しているらしい。苦笑。なんてこった。10何年ぶりにか聞いたそのコーラスはやっぱり、単純で、綺麗な旋律だった。ほぼ、フルコーラスだった。そんなことも、人生にはあるもんだ。高校生のときに覚えそびれていた最後のフレーズを、今夜はシッカリ聞いた。“There is a no business like a show business, like a show business..."“...that ever I had knew”私の知る限り、か。ふむ、良いことを言う。そうだ、世の中にはせんせの知らない素晴らしい職業が沢山ある。せんせは、家庭の事情もあり、残念ながら「医者」しかしらない。それは、幸せなことなのか不幸せなことなのか。自分が幸せだと思っているのだから、それはそれで充分だと思うのだが。願わくば、それぞれの人がそれぞれの人にとって素晴らしい仕事をし、素晴らしい人生でありますように。