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カテゴリ:苦難の20世紀史
さて、フィンランド「冬戦争」について触れてきましたが、再びフィンランドが第二次世界大戦の戦火に巻き込まれる「継続戦争」について、ぽちぽち書いていきたいと思います。 いきなり継続戦争に話を進めると、歴史に詳しくない方を置き去りにしてしまうので、なぜフィンランドはドイツ第三帝国(ナチスドイツ)と手を結ぶことになったのか、その頃の他の国々はどうだったのかについて触れてみたいと思います。なので今回はフィンランドの記述はほぼ出てきません。ドイツと、イギリス・フランス側の視点中心で眺めてみたいと思います。 結論だけ先に言いますと、連合国も枢軸国も正義なんて無い。あるのは実利優先、国益重視の世界であることがよくわかります。 ドイツが1939年9月にポーランドに侵攻して第二次世界大戦が勃発した時、ドイツ・ポーランドを除き戦争に参加したのはイギリスとフランスだけで、他の国々は中立の立場でした(どさくさ紛れにソ連がポーランドに侵攻していますが、英仏ともソ連とは戦争状態に突入していません。またフィンランド支援を表明した際も、ソ連と戦争するとは一言も言っていません)。 戦争に巻き込まれることを嫌うこれら中立国に対して、英仏・ドイツ双方とも自陣営に属するか、自分たち側に寄り添った形での中立を望み、恫喝混じりの外交交渉がおこなわれています。 英仏側は、ベネルクス三国(オランダ・ベルギー・ルクセンブルク)に自陣営に加わるよう圧力をかけています。これはドイツ本土へ侵攻することを想定した場合、フランスからでは、アルデンヌ高原やヴォージュ山脈などの険しい地形で攻めにくいため、平野部が多く、交通が発達しているベルネクス諸国を経由した方が便利だからです(もっとも当時のフランスでは、マジノ線を中心の防御という思想が一般的でしたから、あくまで戦略面で、オランダ・ベルギー方面から侵攻するぞと言う、揺さぶりをかける思惑の方が強かったと見るべきかも知れません)。 しかし第一次大戦時も中立を守ったオランダとルクセンブルクは戦争に巻き込まれるのを嫌い、ベルギーは第一次大戦に連合国側で参加してドイツ軍に国土を蹂躙された苦い経験から、戦争には及び腰でした。 英仏は、「ドイツが侵攻してくる可能性がある。だから我々が守ってあげよう」と言い続けます。・・・形は少し違いますが、ソ連がバルト三国に言ったことと大差ありません。 三国とも要求を拒否し続けたため、英仏とも渋々引き下がりますが、裏では「ドイツが一歩でもベルネクス諸国に足を踏み入れたら、救援を名目に出兵して連合国側に引きずり入れる」ことを画策するようになります。皮肉にもその考えが、ドイツ軍の西方電撃戦で大きな隙を作ることになってしまい、フランスの早期降伏に繋がってしまいます。 一方のドイツは、東ヨーロッパ諸国に関して目を向けています。これはナチス・ドイツのマニフェストがソ連・共産主義政権の打倒であり(そのため、独ソ不可侵条約は世界中から驚愕されることになります)、東欧諸国はその後方策源地となるからでした。あとは伝統的に東方植民政策で国土を拡大させてきたドイツ人にとって、関心は西よりも東に常におかれていたという事情もありそうです。 ナチス政権誕生以来、友好的な関係を維持してきたハンガリーは別として、スロバキア、ルーマニア、ユーゴスラビア、ブルガリアなどの国々に対して、次第に干渉を強めています。 この両者の関係に大きな波紋をもたらすことになるのが、フィンランドとソ連の戦争、冬戦争でした。 英仏が、「ドイツの同盟国、ソ連に打撃を与えられれば、間接的にドイツに力を弱めることが出来る」と、フィンランド支援を決めた話は前にブログで書きましたが、これにはもう一つ思惑がありました。それはスウェーデンの鉄鉱石でした。 スウェーデンの鉄鉱石が輸入できなくなれば、ドイツの戦争遂行能力は衰退します。英仏が北欧諸国に要請したフィンランド支援軍の通過ルートは、ノルウェー領ナルヴィク港からボスニア湾まで横断して、フィンランドに向かうというものでしたが、それはドイツへの鉄鉱石輸出ルートを逆になぞったものでした。 フィンランド支援は口実で、実際はスウェーデンの鉄鉱石狙いだった事が分かります(ただし提案者のチャーチル海相は、フィンランド救援を本気に考えていました)。 北欧三国(スウェーデン、ノルウェー、デンマーク)が、フィンランド救援を表明した英仏軍通過を拒んだのは、ドイツの圧力だけではなく、英仏の思惑に気がついていたからです。そしてフィンランド軍のマンネルヘイム元帥が「英仏軍をあてにしてはいけない」と苦言を政府に言い続けた理由も、彼は気がついていたからです。 さらに英仏の思惑は、ドイツのヒトラー総統の気がつくところでもありました。この頃のヒトラーは、判断能力・政治センスとも、悪魔的と言っていいぐらい健在です。スウェーデンの鉄鉱石の安定確保をはかるため、北欧への武力侵攻計画作成をOKW(ドイツ国防軍最高司令部)に命じます。 ドイツ陸軍首脳部では、このヒトラーの命令に困惑します。ポーランドでの戦いが終わったばかりのドイツ軍は西部戦線に移動中で、英仏との戦いに備えて再編成と増強に努めていたからです。 結果的にはドイツ軍の圧勝で終わる西部電撃戦ですが、この頃はそんな圧勝をするとは思っておらず、第一次大戦の長く苦しい塹壕戦となる事を予想して、一兵でも多く西部戦線に確保しておきたかったのです。 ヒトラーからすれば、鉄鉱石や石油が手に入らなければ、戦争そのもの出来ないのにと、軍事面でしか物事を見られない軍人に強い不満を抱いています。それを象徴する発言をこの時から約一年半後、独ソ戦の最中にこう発言することになります。 「将軍諸君は、クラウゼヴィッツ(ナポレオン時代のプロイセンの軍人で軍事学者。彼の著書『戦争論』はドイツ軍人に大きな影響を与えました)はよくご存じだが、経済はご存じない」 陸軍は渋っていましたが(海軍は、イギリスがノルウェーに潜水艦の基地を作るのでは問い懸念を抱いており、ノルウェー侵攻は賛成でした)、ヒトラーは北欧をこのまま放置すれば、英仏軍が武力占領に踏み切ると考えていました(事実、イギリスはノルウェー領海内でドイツ商船拿捕を強行しており(アルトマルク号事件)、このおおっぴらな領海侵犯を、イギリスのノルウェー侵攻の前触れとヒトラーは判断していました)。 このヒトラーの考えは妄想ではありませんでした。事実英仏両国は、フィンランド支援を名目にノルウェー・スウェーデンに侵攻することを計画していました。 そんな中、1940年3月、冬戦争はフィンランドの敗北で終わりました。 英仏と独ソの狭間で苦慮していた北欧諸国はホッと胸をなで下ろしました。冬戦争が終わった以上、領内通過を認めろと要求されることはもうなく、両方から恫喝されることもない。フィンランドは可哀想だったけど独立は守られたし、これで危機は去った。そう考えたのです。 しかし英仏側は、一度あげた拳を降ろすつもりはありませんでした。「ソ連はフィンランドに再侵攻の恐れがある。領内通過を認めてもらいたい」と要求し、領内通過問題は冬戦争後も変わりませんでした(ややこしいのは、英仏の主張が全くのウソではないのは、ソ連はフィンランドへの再侵攻の思惑を持っており、戦争終結後、早くも様々な干渉をしていましたから、主張には一理あったのです)。 スカパ・フロー(スコットランドのオークニー諸島に存在する入り江。イギリス海軍最大の艦隊根拠地)には、北欧侵攻に備えた英仏両軍の陸軍部隊を載せた輸送船団が、いつでも出港可能な状態でした。 ただ今ひとつ実際の侵攻に踏み切れなかったのは、英仏両国が民主主義国家であったからです。国民を納得させられる口実がなかったのです。一方のドイツは全体主義国のため、総統たるヒトラーの意向がすべてを決定しました。その政治体制の差、躊躇いが、ドイツに先手をとられる原因となってしまいます。 1940年4月9日、ドイツ軍はデンマークとノルウェー占領を目的としたヴェーゼル演習作戦を発動し、第二次世界大戦の流血の第2幕が上がることになります。 以下、次回に続きます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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