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カテゴリ:旅行・史跡など
富士山宝永山登山詳細、後編です。
赤褐色のきめ細かい層で出来いますが、これは古富士火山の噴火で降り積もった地層なんです。関東ローム層の色と比較すると面白いと思います。 第3火口は残念ながら火口壁で阻まれて見えませんでした。しかし第2火口の方ははきれいに見えました。 なぜそんなことが分かるかと言いますと、航空写真などを注意深く見てみると、第2火口と第3火口は、宝永山の隆起(宝永山は、今の新富士火山に埋没していた古富士火山部分が、噴火の最中に隆起して出来た山です)によって片側が引っ張られています。また第1火口の噴火口によって上側が削られた跡があるからです。 写真で見て分かっていただければいいのですが、斜面も角度がある上に石と砂利で登山道が覆われています。一歩足を進めと半歩沈む感じでした。絶対に杖が必要です。杖を買ってなかったことを何度も後悔しました。 上に行けば上に行くほど砂利が酷く、蟻地獄の死闘という感じになっていきました。 このあたりは砂利がさらに細かく深くなってまして、3歩進んで2歩滑る状態です。酷い時は足を持ち上げただけでずるずる滑ります。また靴は砂で塗装されたようにカーキ色に変わってしまいました。 「頑張れ鳥さん!」 という、降りてくる登山者からの声に励まされつつ、文字通り一歩一歩踏みしめながら登っていきました。「登山は自分との戦いでもある」という言葉がありますが、まさにその通りだと実感できます。 第1火口の大きさは1.3~1.6キロメートルぐらいです。日本火山学会の定義では、「2キロメートル以下の噴火口は「火口」、2キロメートル以上の噴火口は「カルデラ」」となっていますので、もうちょっと大きければ、「宝永第1火口」ではなく「宝永カルデラ」と呼ばれていたかも知れません。
御殿場は、残念ながら伊奈神社の位置は分かりませんでしたが(当たり前ですが)、この宝永山が噴火した際、こちらに向かって焼き砂が降り注いだんだなと思うと、色々思うところがありました。
富士山山頂は宝永山より約1100メートル高いですから、手に届きそうで届かない悔しい距離ですね。
富士山山頂方面から降りてくる登山者を撮してみました。見えにくいかも知れませんが、写真中央に写っているピンク色の服を着ているのは、幼稚園か小学校一年生ぐらいの女の子です。頑張って山頂登ってきたようです。凄いですね。 他にも、宝永第1火口の火口壁 のところで、目を回しながら頑張って登っている10歳ぐらいの男の子や(「頑張ってね」と声をかけましたが、答える余力は全くないようで、ご両親と思われる2人が、「頑張ります」と答えてくれました)、火口の底のあたりをニコニコしながら歩いている4歳ぐらいの子もいました。 行きも泊まりがけで山頂目指す小学生ずれの一団と会いましたし、お子さんの登山者が多いのに驚きました。 みんないい思い出ができたでしょうか? 頑張って登山を成し遂げた記憶が、これからの人生に大きな糧になってくれればいいなと思います。富士宮口五合目に帰ってきました。途中から足がカクカクして大変でした(苦笑)。すっかり体が鈍っているなと苦笑いしきりです。 これは家に帰ってから、持ち帰った空のペットボトルを撮ったものです。 潰れているのがお分かりいただけますでしょうか? 登山中空っぽになったものを普通に蓋を閉めて、リュックの中に放り込んでありました。気圧の差でこうなることは分かっていたのですが、ネタになるなと思いまして(笑)。 気圧も酸素の薄いこととあわせて、山の上と地上の小さいようで大きい差です。 今回の富士山宝永山の登山行はこんな感じです。少しでも登山に興味のある方の参考になれば幸いです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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