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カテゴリ:苦難の20世紀史
相当久々ですが、フィンランドの話です(苦笑)。 本当は東欧情勢も書こうと思ったのですが、話が収拾つかなくなりそうなほど長くなりそうなので(今でも十分長いのに)、フィンランドに絞って書くことにします。 1940年4月9日、ヴェーゼル演習作戦発動により侵略されたデンマークは、わずか6時間で屈服、国王クリスチャン10世以下政府は全面降伏します。地続き多く平坦な地形のデンマークは、防衛ラインを構築する前に(ドイツを刺激することを恐れて、国境沿いに軍隊はほとんど展開していませんでした)あっさり降伏を余儀なくされてしまったのです。 戦闘は海上ではイギリス海軍がドイツ海軍に大打撃を与えますが(この時受けた打撃のため、ドイツは後日、英本土上陸作戦実施を断念することになります)、陸上は逆にドイツ軍の素早い動きに英仏軍はまったく対応できず、徐々に追い詰められていきます。もはやノルウェー全土の失陥は時間の問題と、国王ホーコン7世や政府首脳部は4月末、ロンドンに脱出します。 さらに英仏軍にとっては致命的な事態が起きました。5月10日、ドイツ軍のよる西方電撃戦が開始されたのです。 ドイツ軍は、名将マンシュタイン中将(当時)の計画通り、歩兵主体のB集団がオランダ・ベルギーに侵攻します。こちらでもドイツ軍の侵攻を奇貨として、英仏軍はドイツ国境に集結させていた部隊の大半を、オランダ・ベルギーを救援する名目でベルギー領内に進出させます。 そして手薄になった国境を、戦車主体のドイツ軍A集団がアルデンヌ高原を突破して、フランス領内に侵攻してきました。後方から突き崩された英仏軍は、アラスで反撃を試みるも敗北し、ドイツ軍は北フランスを一気に横断してドーバー海峡に達します。 補給を断たれた英仏軍、オランダ軍・ベルギー軍の残存部隊32万名は、ダンケルクの街から、イギリス海軍の総力を挙げた救出作戦(ダイナモ作戦)で6月4日までにイギリスに脱出します。 この西部戦線の急変で、もはやノルウェーで戦う余裕が無くなった英仏軍は、あっさりとノルウェーから撤退していきます。こうしてノルウェー・デンマークはドイツの手に落ち、ヒトラーが懸念した鉄鉱石の輸送ルートはドイツが掌握しました。 大国フランスはドイツ軍の侵攻開始からわずか44日後、6月22日にドイツに降伏し、西ヨーロッパもオランダからスペイン国境にいたる地域が、ドイツの支配するところとなりました。それは冬戦争終結からたった100日後のことです。 今や北欧で独立を守っているのはスウェーデンとフィンランドだけで、後はすべてソ連と、その同盟国ドイツによって押さえられてしまいました。 この悲壮感あふれる台詞は、フィンランドのグスタフ・マンネルヘイム元帥の言葉です。これがフィンランドのおかれた当時の状況でした。 休戦条約により、ハンコ半島に進駐するソ連兵の隊列を眺めるフィンランド国民の目には、憎悪以外の何者も存在しませんでした。 またフィンランドの旅客機が、ソ連軍機に撃墜される事件が起きています。 最初は乗り気だったスウェーデンですが、すぐに両国の同盟を望まない独ソ両国からの恫喝で、あっさりとフィンランドを「見捨てて」しまいました。 ノルウェーとデンマークを占領したドイツからすれば、スウェーデンを「目こぼし」したのは、武力侵攻によって鉄鉱石鉱山の操業が止まったり、生産設備に打撃を受けたら困るからでした。それに占領後、スウェーデン人たちがサボタージュでもしたらやはり鉄鉱石供給に支障が出ます。 だからスウェーデンが今までどおり鉄鉱石をドイツに輸出することが、独立を保証する暗黙の条件だったのです。小兵力とはいえ侮りがたいフィンランドとの同盟で、スウェーデンの抗戦能力が向上することは、ドイツとしては面白くなかったのです。 ソ連も冬戦争でフィンランド併合を諦めた訳ではなく、スウェーデンに肩入れされては迷惑でした。 冬戦争の休戦条約は、フィンランドの軍備に関して制限を加えるものはありませんでした。ソ連の再侵攻に備えて、軍の再建をおこなうことを憚ることはありません。 冬戦争の時、各国が支援のために送ってくれた武器・資材は、戦争中はほとんど間に合わなかったものの、休戦後に続々と到着してきており、自軍に組み入れられていたソ連軍からの鹵獲兵器とあわせて、フィンランド軍の近代化は急速に進められました。 ドイツは、降伏したポーランドやノルウェーの兵器、さらにダンケルク戦後には、フランスやイギリスから鹵獲した兵器を無償で提供してくれただけではなく、戦時下で自国にとっても貴重な、ドイツ製兵器も格安で販売もしてくれるようになったのです。 ドイツからの武器支援の代償は、占領地ノルウェーから帰還するドイツ軍将兵の通過許可、ドイツ機・ドイツ船の、フィンランド飛行場・港湾施設の一時使用のみであったため(名目は、「ドイツ軍将兵を安全に母国への帰還をさせたい」というものでした)、大部分のフィンランド国民にとっては許容範囲のものでした。 実際味方してくれると言ってくれても、遠くにいて直接助けてくれないイギリスよりも、隣国であるドイツの方が、数倍頼もしい存在に写ったのは無理からぬ話だったのです。 また1940年夏に、ソ連が計画していたソ連の再侵攻計画を、土壇場で撤回させたのはドイツの力でした。ヒトラー総統は、「ソ連のフィンランドへの要求は一切認めない」と、ソ連モロトフ外相に言明しました。 フィンランドを征服する機会はあげた。達成できなかったのはソ連の事情であって、二度目の機会はない。という意味になりますでしょうか。 こうしたドイツの「好意」に対して、ドイツとの同盟を求める声は、フィンランド国内で日増しに強くなっていきました。政府も軍部の大半も、ドイツの存在が、ソ連のフィンランド侵攻に対するストッパーになってくれると見ていたのです。 もっともドイツに対して必要以上に接近することを望まない人物もいました。それはマンネルヘイム元帥でした。 「強国に追従することは、強国に逆らうのと同じぐらい危険である」 彼にはドイツの思惑は透けて見えるものでした。 近いうちにドイツはソ連への侵攻を企てている。ソ連の革命の都レニングラードを、北から脅かし、ソ連の北極海方面の経済動脈であるムルマンスク鉄道を遮断するために、フィンランドは重要な前進基地であり後方拠点となる。と。 ドイツとの同盟は、イギリスを敵に回し、独ソの戦争にフィンランドが巻き込まれてしまうことを意味していました。それをこの時点で的確に理解している人物は、マンネルヘイムぐらいでした。 彼の懸念は正しいものでしたが、しかし一方で、どうする事も出来ない状況でもありました。 ドイツの「好意」を拒絶すれば、フィンランドはドイツ軍の侵略を受けるか、ソ連の再侵略を招くか、それともポーランドのように、独ソ両国によって分割占領され、国家が消滅するしかないことは明白でした。 ドイツとソ連によって二分割された当時の欧州情勢の中で、フィンランドには他に選択肢がなかったのです。 ドイツ第三帝国アドルフ・ヒトラー総統は、ロシア侵攻作戦バルバロッサ作戦を発動します。ドイツ軍とその同盟国軍総勢200個師団、300万名にも及ぶ大軍が、前日までの同盟国ソ連領内に侵攻を開始しました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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