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カテゴリ:プラモデル・大戦機
1939年11月に大国ソ連がフィンランドに侵攻を開始しました(冬戦争)。3300機もの航空機を投入してきたソ連空軍に対して、性能的に何とか対抗できるフィンランド空軍戦闘機は、たった42機のオランダ製のフォッカーD21戦闘機だけでした。 フォッカーD21は、オランダの航空機メーカー、フォッカー社がオランダ領東インド政府(現在のインドネシアにあった植民地政府)の発注により1936年に開発した戦闘機です。 鋼管溶接骨組みの胴体に、機体前半は金属外皮、後半は羽布張り、主翼は木製に固定脚という複葉機と同じ構造の古めかしいものでしたが、信頼性が不十分の新技術を使わない手堅い作りでしたので、高性能ではありませんでしたが実用性は高い機体でした(似たコンセプトで作られた機は、イギリスのホーカー・ハリケーン戦闘機があります。双方とも会社の設備の関係で、全金属製の飛行機を1936~37年頃は作れませんでした)。 近代的な戦闘機がほしいフィンランドが、この戦闘機の目をつけて購入を打診しましたが、オランダ随一の飛行機製造メーカーとはいえ、アメリカやドイツのメーカーに比べれば、中小企業レベルでしかないフォッカー社に、双方の受注をさばく生産力はなかったため、フィンランドの注文は断られてしまいました。 ところが納品直前、「戦闘機はやっぱりいらない。爆撃機がほしい」と、オランダ領東インド政府をキャンセルするというとんでもない事態が発生しました。 開発に費やした資金は大きく、代金をもらえなければ倒産する可能性もあったため、フォッカー社は狼狽しました。 そんな中、再びフィンランドが購入を打診しました。 フィンランド人の生真面目さを物語るのは、窮地のフォッカー社の足元を見て買い叩いたりせず、適正価格での購入を打診したことです。そのことにフォッカー社は驚いたそうです。こうして完成7機と、14機の輸出用組立て部品キットの購入がとんとん拍子で決まりました。 余談ですが、植民地政府の対応はオランダでも問題となり、オランダ本国が代わりに30機購入することになります。しかしフォッカー社は、最初に倒産の危機から救ってくれたフィンランドに対する感謝の気持ちの方が強かったようです。 フォッカー社がいかにフィンランドに好意を持ったかがわかるのは、技師を派遣して、戦闘機製造に不慣れなフィンランド人工員たちの指導も請け負ってくれています。 さらに翌年フィンランドがライセンス生産権購入を打診してきた際にも、かなり良心的な金額で無制限ライセンス権を販売しています。また冬戦争が始まると、ドイツ・ソ連との関係悪化を懸念してフィンランド支援に及び腰のオランダ政府を尻目に、10機分のスペア部品をフィンランドに援助しています。 D21は操縦のクセがあって、慣れるまで若干時間がかかったそうですが、一端クセを飲み込むと、軽快な運動性能をいかんなく発揮できたそうです。フィンランド人パイロットたちからは「フォッケル」の愛称で呼ばれています。 この時期、飛行機の進歩は早く、冬戦争時にはすでに旧式化してしまっていたフォッケルでしたが、圧倒的なソ連空軍相手に善戦し、冬戦争105日の間に、フォッケル12機の損失に対して、ソ連軍機122機を撃墜しています。 また地上支援にも活躍し、凍結したヴィープリ湾をソ連軍地上部隊が大挙侵攻してきた時も、上空から激しい攻撃を加えてソ連軍に大損害を与えています。 もしフォッケルが無ければ、他に骨董品のような戦闘機しかなかったフィンランドは制空権をソ連軍に奪われ、冬戦争の時点でソ連に屈服、再びロシアの一部となって現在に至っていたでしょう。 また、この機で実戦経験を積んだフィンランド人パイロットたちは、次のブルーステル、そしてメルス(ドイツ製メッサーシュミットMe109G6戦闘機)で、鬼神のような戦いぶりを発揮していくことになります。 そういう経緯を見ると、偶然から入手できたフォッカーD21戦闘機は、冬戦争、継続戦争と続くフィンランド奇跡の始まりを生むきっかけになったと言えそうです。 その後、殊勲のフォッケルは、継続戦争が始まる頃には主力の座をアメリカ製バッファロー戦闘機(フィンランド名、「ブルーステル」)に譲りましたが、兵器不足のフィンランドでは退役することが許されず、継続戦争が終わるまで偵察や地上攻撃機として戦い続けました。 フィンランドでは大活躍したフォッカーD21ですが、残念ながらフィンランド以外では全く活躍できずに終わりました。 オランダでは、ドイツ軍の侵攻に際してわずか2日間で壊滅し、フィンランドに次いでこの機を購入したデンマークでは、戦わずしてドイツ軍の無条件降伏してしまったため、一度も国を守るために空を飛ぶことのないままスクラップになりました。 アメリカのバッファロー戦闘機と同じように、フォッカーD21は、フィンランドでのみ活躍できた戦闘機として、 プラモデルキット 「1/72 PMモデル フォッカーDXXI」 日本では知名度がゼロに等しいフォッケルは、どこのプラモデルメーカーも製造していません(苦笑)。そのため今回初めて外国製プラモデル(PMモデルというのは、トルコのメーカーで、欧州圏では比較的有名なようです)に挑んでみました。 作った感想は、控えめに言って作りが甘いなぁと言うところでした。設計図もとてもいい加減だし、やっぱり日本のメーカー製の方が細かいところまで作りが精巧だなとつくづく思いました。組み立てもほんの20分で出来てもの足りなかったし・・・。 デカールも水につけたらバラバラになってしまい、そのためいつものように「○○の乗機です」といった事が出来ず、冬戦争時の一般的な塗装にスキー装備、国籍マークだけのモデルになってしまいました(ため息)。 さて写真を見ていただくとお分かりいただけると思いますが、フォッケルは車輪ではなくスキーを装備しています。 極寒の国フィンランドの冬、飛行機は降りる際が一番危険でした。なんせ滑走路は雪が積もっているか凍っており(戦闘機隊の一部は、凍結した湖を臨時飛行場にしていましたし)、車輪だとスピンしてオーバーランしたり雪に車輪をとられてしまうのです。そのためスキーの方が安全に離着陸できました。 空気抵抗を増すスキーを装備すれば、航空機の速度や運動性が大きく低下してしまうのですが、もともと固定脚のフォッケルはスキーを履いても性能は低下しませんでした(フォッケルを真似て、ソ連軍機もスキー履きの戦闘機や爆撃機を投入していますが、速度と運動性低下が著しく、かえってフォッケルの餌食になりました)。 その点も冬戦争で活躍できた一因かも知れません。 フォッカーD21 データ 全長: 7.92 m お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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