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カテゴリ:映画・書籍
最近はフィンランドの話ばかりでしたが、今回は日本の話です。 『彗星夜襲隊』は、特攻を拒否して正攻法で戦い続けた美濃部正少佐率いる夜間襲撃隊、日本海軍芙蓉部隊の知られざる戦いを描いたノンフィクションものです。 美濃部少佐だけではなく、元芙蓉部隊隊員たち約60名のインタビューや戦闘記録から構成された内容は、非常に読み応えがあります。 この本を最初に知ったのは大学生の頃でしたので、もう15年ぐらい前だったかなと思います。 ただしその頃の朝日ソノラマ版の表紙・帯には、「沖縄での夜襲による特攻」と書かれていたために、興味を持ったものの手に取ることなく終わっていました。 この本の内容が、副題と逆の特攻を拒否して正攻法でずっと戦っていた部隊の話であることに気がつくまでに、実に10数年かかりました(苦笑)。 参考までに、本のタイトルは著者が書く場合が多く、副題や呼び込み文句は、出版社側が書きます。そのため著作の内容を理解していない方が担当すると、こういう問題が発生することがあります。著者の渡辺洋二氏は、この副題に驚愕・落胆して、贈呈本はすべて帯を取ってしまったと書いています。 そんな経緯があって初めて読んだこの本ですが、思っていた以上の内容で感嘆しました。 昭和20年、沖縄戦が始まり、陸海軍あげての特攻の嵐が吹き荒れていた頃です。追い詰められた日本軍は、劣速の練習機まで特攻に駆りだすまでになっています。 全体が「特攻やむなし」に傾く中、1人特攻反対を唱え、夜間爆撃による戦闘を主張したのが美濃部正少佐です。 美濃部は元々水上偵察機乗りで、夜間索敵や敵基地襲撃をおこなった経験のある指揮官でした。それ故に昼間は圧倒的な米軍戦闘機に阻まれて生還すら難しいが、夜なら敵機はいない。敵のレーダーに引っかからないよう低空で侵入して爆撃と機銃掃射すれば、戦果を上げられるというアイデアに至ったのです。当然夜間飛行は熟練パイロットにしかできませんから、十死零生の特攻でベテランパイロットを消耗させるなどもってのほかです。 しかし特攻に傾ききった当時の軍上層部に、意見を通すことは並大抵なことではありません。以下はその辺の有名なくだりを、長くなりますが引用・抜粋してみました(()部分は私の注釈です)。たぶん読まれた方の大半がこのやりとりでの美濃部の言葉に喝采するかなと思います。
「(昭和20年)二月下旬、も押しつまったころ、三航艦(第三航空艦隊の略、当初は関東地域の防空を担当。硫黄島陥落後は南九州に展開して特攻及び本土防空を担当しました)司令部は沖縄戦に対する研究会を催し、木更津基地に擁する9個航空隊の幹部を集めた。研究会とはいっても、特攻主体の作戦方針は軍令部案で決まったも同然だ。すなわち三航艦は、制空用戦闘機と少数の偵察機をのぞいて、全力を特攻に振り向ける、という念押しである。
美濃部の主張にのまれたのか、彼の部隊は特攻から外されます。余談ながらこの時美濃部は若干29歳。会議に参加した者の中で歳も階級も最年少でした。 このくだりを読んだとき、私は凄い人だなと感嘆する思いと同時に、これは抗命罪じゃないかなと緊張しました。 抗命罪は、軍人、軍属が上官の命令に反抗し、または服従しない罪を指します。軍隊では上官の命令は絶対です。例えば上官が「突撃!」と命令したのに、兵士たちが「死にたくないから嫌です」と従わなかったら、軍隊という組織の秩序が崩壊するからです。そして突き詰めれば、秩序のない軍な隊はただの暴力集団でしかありません。従って規律を保つために、抗命に対して死刑を含めた厳罰をもって対処する事になります。 事実、戦後このいきさつを知った元部下の佐藤吉雄大尉(整備)は、「明らかに抗命ですよね。・・・本当に凄い人だったんだなぁ」と発言しています。芙蓉部隊の部下全員が美濃部がどんな手を使って特攻を拒否したのか知らなかったのです。 芙蓉部隊は、性能は良かったものの故障が多くて他部隊が使いたがらなかった液冷エンジン搭載型の艦上爆撃機彗星を集め(というか、数を集められる機は零戦以外はこれしかなかったため)、これをパイロット・整備員も使いこなして(稼働率の高さは海軍航空隊で並ぶものがなかったと言われています)、過酷な沖縄戦を戦い抜いていくことになります。 ↑写真は20ミリの斜銃(操縦席後方のアンテナの隣にあるがそれです)装備の夜戦タイプの彗星12型です。「131-」で始まる記号は芙蓉部隊が属する第131航空隊を意味します。 戦争末期に、これほど冷静で合理的かつ組織的な戦闘を繰り広げた部隊があった事を、私もこの本を読むまで知りませんでした。 興味をもたれた方はどうぞ一読を。
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