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2012.02.12
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カテゴリ:苦難の20世紀史

 みかん食べる

フィンランドにとって命運をかけた継続戦争は終わりました。しかし平和の訪れるのはまだ先でした。今度はドイツとの戦争でした。

フィンランド北部のラップランド地方には、ドイツ第20山岳軍団22万名が駐留していました。

ソ連との休戦条約の条項によって、フィンランドがドイツ軍を追放する期限は10月6日と定められていました。講和が成立したのは9月19日でしたから、3週間あまりで道路事情の悪いラップランドから、ドイツ軍を排除しなくてはなりません。もちろんそれは不可能でした。

一方ドイツ軍第20山岳軍団側は、1943年秋頃から、総司令官エデュアルト・ディートル上級大将(当時)の元で撤退計画の立案がなされていました。現地ではフィンランドが連合国側と講和してドイツと袂を分かつことは理解されていたのです。

退却に備えて、道路や橋の建設を進めていましたが、建設距離が膨大な上に(約1千km)、ドイツ本国に内密であったため、十分な準備は出来ていませんでした。

1944年9月3日(フィンランドとドイツの国交断交の翌日)、第20山岳軍団はビアケ作戦(ラップランド撤退作戦)を発動し、脱出を開始しました。

一方のフィンランド軍は、スオムッサルミの英雄ヒャルマーシーラスヴォ中将を総司令官とするラップランド方面軍(戦車師団を含む歩兵4個師団と2個旅団約6万名)が編成され、ドイツ軍の掃討が開始されました。

そしてソ連との休戦条約に定められたドイツ軍の撤退期限、10月6日を待たないうちにフィンランド軍のドイツ軍は戦闘状態に突入しています。

両軍の激しい銃砲火の応酬が続き、戦闘が終わると戦場にはドイツ軍の戦死者の遺体が残され、負傷した何十人もの兵士が捕虜となっています。

こう書くと、昨日までの戦友同士の殺し合いに心が重くなりますが、実はこの時点では両者の間に死傷者は1人も出ていません。まやかし戦争と呼ばれる期間でした。戦闘はすべて偽装されたものでした。

フィンランド軍最高司令官エリック・ハインリッヒス大将(マンネルヘイム元帥の大統領就任に伴い最高司令官に就任)と、ドイツ軍第20山岳軍団ロタール・レンデュリック上級大将(1944年6月23日に事故死したエデュアルト・ディートル上級大将の後任)は、数度にわたる打ち合わせをおこなっています。

両者の間で取り決められた内容は、

・ドイツ軍は速やかにフィンランド領から撤退し、フィンランド軍はそれを可能な限り支援する。
・連合国側の監視の目を誤魔化すため、偽装戦闘を行う。調整をスムーズにおこなうため、両軍に派遣されている連絡将校は、今までどおりの勤務を継続する。
・フィンランド軍は、ドイツ軍捕虜(長距離の行軍に耐えられない負傷者や病人など)に対して、人道に基づく対応を約束する。
・ドイツ軍は、ラップランド・中部フィンランドの民間人に対して、決して危害を加えないことを約束する(この時ヒトラー総統からレンデュリック上級大将に、「ラップランドを完全に破壊せよ」という焦土命令が出されていました)
・この取り決めは、両国が本格的な戦闘状態に突入するまでの間遵守する。

というものでした。

両軍の激しい銃砲火は、両軍の残って勤務している連絡将校が、連絡を取り合って、きわどい位置で砲弾が落ちるように狙ったものですし、ドイツ軍が残した戦死者の遺体は、実際はソ連軍との戦闘で戦死した者や、負傷した後に死亡した者でした。

同じ事はフィンランド側でも行われていまして、実際にはソ連軍との戦闘で負傷し、その後死亡した兵士たちの名簿を、ドイツ軍との戦闘での戦死者として発表しました。

それ以外にも、故障等で動けなくなった戦車やトラックもわかるように遺棄され、フィンランド軍はわざわざ砲弾をそれに撃ち込んで破壊し、「ドイツ軍戦車〇輛を撃破」という風に発表していました。

この企ては巧妙だったため、最初はソ連側も気がつかず、9月半ばまで順調に推移していました。

しかしいずれバレるのは避けようもありません。協定を結んだハインリッヒスもレンデュリックも、最後まで欺し通せると楽観的に考えていません。ですから「両国が本格的式な戦闘状態に突入までの間」という言い方をしています。

いずれはフィンランドとドイツは、血みどろの本当の戦闘をせざるを得ません。ただその日が来るのを一日でも遅く、流れる血の量は一人でも減らしたいというのが、双方の一致した考えだったのです。

一方フィンランドの首都ヘルシンキには、連合国側から休戦条約の履行を監視するため、連合国管理委員会が設置され、ソ連軍のN.A.ツダノフ大将が着任しました。

表向き「連合国」という名が付いていますが、委員会にアメリカ代表はおらず(アメリカはフィンランドと戦争状態になかったため)、イギリスの代表は参加していたものの実権は無く、実質はソ連政府の出先機関であり、ソ連の意向が全てを決定するものでした。

着任早々ツダノフ大将は、早速ドイツ兵の抑留計画を見せるようフィンランドに要求してきました。彼は一連のフィンランドとドイツの戦闘を芝居ではないかと疑っていました。

実際、ツダノフの疑念は事実でしたから、フィンランド側に具体的な計画などあるわけがありません。

マンネルヘイム大統領と総司令官ハインリッヒス大将は、ドイツ軍への攻撃計画を説明することでなんとか誤魔化しますが、今後ソ連の圧力が強まってくるのは明白でした。

まやかし戦争を続ける時期は過ぎたと考えたハインリッヒスは、ラップランド方面軍のシーラスヴォ中将に、本格的な攻撃案作成に着手するよう命じました。

戦地にいるシーラスヴォもハインリッヒスと同じ見解を抱いていました。戦闘を監視しているソ連軍偵察機の目が、だんだん強くなっていることを感じていたのです。

シーラスヴォは、ラップランド最大の都市であり、交通の要衝であるロヴァニエミ市をドイツ軍の先駆けて押さえることを計画しました。

ロヴァニエミを押さえられればドイツ軍は、身動きが取れなくなります。フィンランド軍はロヴァニエミを目指しますが、当然ドイツ軍も同市の重要性を理解しています。9月26日、ドイツ軍は先手を打ってロヴァニエミを押さえてしまい、フィンランド側の攻撃計画は不発に終わりました。

実際の戦闘が回避されたことに、昨日までの戦友ドイツ兵との戦闘を嫌がっていたフィンランド兵たちは喜びましたが、これが最後のモラトリアムになりました。

ロヴァニエミ攻略作戦中止の報に、ツダノフ大将はフィンランド政府に「10月1日午前8時までにドイツ軍と真剣に戦わなければ、休戦条約違反とみなし、フィンランドに再侵攻する」と通告してきました。

いよいよフィンランドとドイツは、当事者同士が望まぬ本格的な戦闘に突入していくことになります。






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Last updated  2012.02.21 20:44:19
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