|
カテゴリ:旅行・史跡など
黒斑山登山後半です。 黒斑山山頂から尾根伝いに蛇骨岳へと進み始めると、今までよりハッキリとした雪の塊に出会うようになりました。
日当たりのよい富士山ですら6月中旬ぐらいまで雪残っていますからね、これぐらいは予想の範囲と進んでいきましたが、次第に雪の量は多く、それにつれて歩く速度もどんどん落ちていきました。 もし一気に大きな雪が積もっている場所に出くわしたなら、引き返して別ルートから前掛山目指したのですが、雪の積もっているところは、最初は5センチ位、次に10センチ位、その次15センチ位と徐々に深くなっていく感じで、大丈夫と思っている内にどんどん深みにはまっていってしまいました。 後から考えてみれば、典型的に遭難に至るケースですね(汗)。
森を通り抜けて振り返ってみて、自分が踏破してきたところに仰天しました。 木々の間からはなんと雪だらけなのが見てとれます(写真だと小さめですが、見た目はもっと雪が多く見えました)。 この写真、黒斑山の北側から南側を撮した一枚なのですが、北側で木々があって日陰のところは雪がわんさとあったと言うことなんですね。前のブログで載せた写真は、みんな南側から北側を写した写真だったので、雪が無かっただけなのです。 この先不安になりましたが、雪の難路を再び四苦八苦して帰りたくない気持ちの方が強かったので、とりあえず蛇骨岳まで行ってみようと考えました。
先ほどの写真の位置から北側を撮った一枚です。 このあたりは日当たり良好の峰部分なので雪はありません。ここはいわゆるカルデラ壁なので、写真右手は崖に近い感じです。道は狭く(だいたい50センチ位かな)ところどころ崩れていてスリルありました。 先ほどの登山道から今少し蛇骨岳に進んだあたりで撮った仙人岳です。 少々興味深いので軽く解説いたします。 見たとおり崖ですが、土色っぽい部分は2万3千年前の古浅間火山(旧黒斑山)が崩落して露出した岩肌です。 そして山頂付近やその下部分に、黒っぽい横線のようなものが見えますが、これは溶岩で出来た地層です。 これらの証拠を分析して、山体崩壊前の約3万年前の古浅間火山の姿は、約2800メートルの富士山に似た成層火山だったのではないかと言われています。
どうにか蛇骨岳に着きました。 前の写真を撮ってからの雪はかなり凄かったです。50センチ以上の深さですっぽりと何度もはまり、積もった雪と枝で道がふさがり、雪の上を匍匐前進して突破したりと悪戦苦闘でした(苦笑)。 地図では黒斑山蛇骨岳間は約30分の行程なのですが、1時間以上かかりました。 ちなみに登山地図に載っているコース時間ですが、だいたい40~50代ぐらいの登山経験者、4~6名ぐらいのパーティーで、晴天で休憩時間無しを目安時間としています。なので登山者のスキルや天候・人数によって、所要時間は増減します。 私の場合、昨年富士山に登った時は相当久しぶりだったので所要時間15パーセントプラス位でしたが、今回は体力を整えていたので、小休止を含んで所要時間より5パーセント位速いタイムで登れました。 黒斑山までは順調だったのに、蛇骨岳で大きく狂ってしまいました。 私としては、前掛山登頂に夕方16時位(遅くなっても17時頃)、18時半位までに(遅くなっても19時半位までに)浅間山荘(連合赤軍事件のあさま山荘とは別のものです)ルート登山口まで下山する予定でした(その後は疲れ具合によってタクシー小諸市に帰るか、歩くつもりでした)。 今のペースだと前掛山登る前に夜になってしまうと、少し考えながらあたりを散策していたところ、仙人岳方面と思われる登山道にロープが張られていることに気がつきました。 登山者が登山道から外れないようロープが張られているので珍しくないのですが、わざわざロープの色を変えて付けられているので、この先は閉鎖されているのかなと判断しました(私の勘違いという事も十分考えられます)。 仮にロープは勘違い(もしくは強引に突破して)で、仙人岳に向かったとしても、この先にあるだろう酷い積雪による時間のロスは大きいものでしょうし、逆戻りして雪道を踏破して黒斑山を降り、もう一つの登山道を通って前掛山に向かったとしても、到着時間は運がよくて18時位になりそうで、雪で体力を消耗した事を考えると、さすがに無謀です。 私の後からやってきた山ガールズの3人も、ロープ見てがっかりした感じでした(山ガールの方からは、「鳥さん、雪道大変でしたね」としみじみ言われました。彼女たちの視線を追ったところ、足は膝まで泥だらけ、胸からお腹、そして肘部分は雪道匍匐前進してびしょびしょで、なるほど酷い姿だと思いました・汗)。 食事してから帰るという彼女たちを残して、私は足取り重く先に引き返すことしました。 途中で蛇骨岳目指していた壮年のご夫婦と行き会い、道が閉ざされている可能性が高いとお話ししたところ、ご夫婦もがっかりした感じで一緒に黒斑山まで引き上げました。
これは蛇骨岳方面から黒斑山を撮った一枚です。 前にブログで載せた写真とちょうど反対側の写真ですが、古浅間火山の山体崩壊で露呈した岩肌と、今も変わらず残っている緑豊かな森林との境界線が見て取れますね。 この後、ご夫婦とはつかず離れずで車坂峠めざしくましたが、ご夫婦は表コースを、私は中コースを通ったため、別れ別れになりました。 中コース、ところどころ急斜面があり崩落しているところがあると聞いていましたが、聞きしにまさるものでした。 ここでもネックは雪、そして雪が溶けて泥濘化した地面でした。 雪で滑り、靴は泥だらけ、バランスを崩して転倒すること2回(ストック持っていなければ、もっと転んでいたでしょう。やっぱり登山にステッキは必須です)、足場が悪くて写真撮影どころではなく(もっとも森の中なので、景観もよくないのですが)、おかげでトーミの頭から続いているトーミ断層という断層の写真を撮ることが出来ませんでした(汗)。 大変な中コースですが、表コースに比べて時間は相当早く踏破して、車坂峠到着できました。 到着時間は15時少し過ぎ位で、最後のバス(15時50分位)に十分間に合いました。 一休みして、登山靴の泥を拭いて着替えをしていると、朝バスで一緒になった男性登山者の方が戻ってきました。 黒斑山で見かけなかったのでもしやと思って尋ねてみると、「前掛山に行ってきました」とのことでした。 羨ましいと思いましたが、今から言っても詮無きことですから、前掛山の様子を色々尋ねてみました。 「前掛山は雪ほとんど無かったよ。あっちは砂礫が多かったね。前掛山から見たら、鋸岳、Jバンドは結構雪が積もっていたね」 と言うことでした。 蛇骨岳からなんとか仙人岳越えれば、前掛山登山大丈夫だったのではと言う気持ちも強かったのですが、このおじさんの話聞く限りでは大変だったことは違いないようです。 そこへ黒斑山降りるまでご一緒したご夫婦が、「あら鳥さん、もう戻っていたの。あっちのコース早いわね」と帰ってきました。 その後バスが来るまで(なので10分位でしたが)しばらく談笑となりました。 旦那さんの方は、私同様前掛山登れなかったことに未練だらだらでしたが、奥さんの方は「また登りに来ればいいじゃない」とあっさりしていました。 目標を100パーセント達成できなかったのは残念でしたが、自然は楽しめたし、そこで行き会った人達との一期一会の交流はやっぱり何とも言えずよいものでした。 と言うわけで、皆様も登山に関心を持っていただけたらいいなと思います。疲れるとは思いますが、得難い経験は出来ると思いますよ。 それではまた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[旅行・史跡など] カテゴリの最新記事
|