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カテゴリ:プラモデル・大戦機
超久々のプラモデルです。もっとも去年作ったものなのですが・・・。 百式司令部偵察機は、日本陸軍の高速戦略偵察機です。 偵察機のプラモデルというと、あまり子供受けはしないのですが(やっぱり戦闘機や爆撃機に比べて目立ちません)、百式司偵(司令部偵察機の略)は、高速性を追求した細身の流線型のスタイルから、大人のプラモデラーからは好かれています。 この百式司偵の、設計思想を見ると日本陸軍の先進性を見ることが出来ます。 一般的に日本陸軍は外征型の軍隊で、国防意識が薄かったという批判をされることがありますが、陸軍が外征型の軍隊にならざるを得なかったのも、人口・資源・国力の乏しい日本が、他国から侵略を防ぐためには、敵側の侵略拠点を潰し、勢力圏を拡大することで日本本土の安全を計ろうという考えがあったからです(考え方が正しいか間違っているかは別の問題でしょうね)。 さらに他国の侵略を防ぐには、敵国の情報(特に航空基地や軍隊の集結状況など)を迅速に把握することが必要です。そのため航空機による戦略偵察、情報収集という概念は早くから芽生えていました。 戦略偵察機は、米ソ冷戦期のアメリカU2偵察機が有名ですが、百式司偵が配備された昭和14(1939)年当時、戦略偵察機を有していた国は日本だけだったと言うことを考えると、時代を先取りした存在だったと言えそうです。 開発内示は昭和12(1937)年で、三菱重工に要求した性能は、「高度4千メートルで最高速度600km/時、行動半径1千km」という当時としてはとんでもないものでした。 昭和12年当時の飛行機の性能は、速度は時速400km程度、行動半径も500km位でしたから、桁外れの要求でした。 しかしこれぐらいの性能差が無ければ、戦略偵察任務は不可能と陸軍は考えていました。 なにせ偵察機の任務とは、敵基地を無事に偵察し、得られた情報を味方のもとに持ち帰らねばならないのです。そのためには卓越した駿足は生き残るための最低条件でした。 設計は久保富夫技師の努力のもと、速度向上のため空気抵抗軽減を計ったスタイル、機体の軽量化が徹底的に計られました。 当時の日本には高出力の発動機(エンジン)が無かったため、小さい馬力で要求を満たすには、要求外の部分を削るしかありません。 そのため百式司偵は武装無し(後部座席に7.7mm機銃1丁を搭載可能でしたが、機銃を持たずに飛ぶ方が多かったようです)、機体強度も弱く、急旋回しようものならすぐに空中分解する華奢な機体になってしまったのは、技術の限界としてやむを得ない話だったでしょう。 昭和14(1939)年11月に完成した試作機は、時速540kmと陸軍の要求にはほど遠いものでしたが、この時期開発中の戦闘機、零戦11型(海軍)の時速517km、一式戦1型(陸軍)の時速492kmより、高速でした。 陸軍は要求を満たしていないことに難色を示したものの、三菱は搭載エンジン「ハ26」(余談ですが、零戦試作機に搭載され性能不足で不採用となった「瑞星」エンジンと同型です)の性能向上型「ハ102」の実用化が間近で換装可能と説得し、昭和15(1940)年9月に百式司令部偵察機1型として採用が決定しました。 そして本命の「ハ102」が完成、搭載されると(百式司偵2型)、高度5千メートルで時速は604kmと、要求値を上回る性能を発揮しました。 百式司偵は太平洋戦争の初戦、日本、米英双方の戦闘機より高速で、撃墜困難な偵察機として活躍することになります。 戦争も中盤になると、百式司偵2型を上回る速度の米英戦闘機が登場しますが、その頃百式司偵2型に代わって、高度6千メートルで630kmの速度を出せる百式司偵3型が配備されていきます。 カタログデータ的には26kmの性能向上ではたいしたことありませんが、飛行機は高度が上がれば、酸素濃度が減って速度は低下していきますので(参考までに高度4550メートルで最大時速533kmの零戦21型は、高度1万メートルに上がると時速300km台しか出ません)、実用高度と速度が上がった百式司偵3型の生存性は高いものでした。 次に開発が進められた百式司偵4型(戦争終結のため試作のみで終了)に至っては、日本初の排気タービン搭載により高度1万メートルで時速630kmという性能を発揮しています。 この数字はレシプロ機最高の戦闘機と言われる米軍P51マスタングも上回っており(第2次大戦末期の主力型マスタングD型の性能でみると、高度7620メートルで時速704kmを発揮しましたが、1万メートルまで上がると時速600kmを下回る速度しか出ませんでした)、2型は速度で、3型以降は高々度に逃げて敵戦闘機を振り切ろうと意図していたことがわかります。 この戦略偵察機の基本コンセプトは、現在でも変わりません。まさに時代を先取りした高性能機でした。 さてこの百式司偵ですが、戦局の悪化により、一部でコンセプトと真逆の進化(退化?)を遂げねばならない羽目になりました。 それは武装を装備して、米軍重爆撃機B29「スーパーフォートレス」との戦闘でした。 高度1万メートルを越える高さで侵攻してくるB29に対して、高々度の飛行能力が劣る日本戦闘機は捕捉するのも困難でした。 しかし唯一、高々度でB29に追いつき、速度も追従可能だったのは百式司偵だけだったのです。 こうして百式司偵は捨てたはずの武装を装備し、非力な機体のまま(武装つけただけで重量オーバーなため、防弾板など付けられなかったのです)、困難なB29との戦いに挑むことになります。 ・・・と、概略を書いていたら、肝心の防空戦闘機タイプの百式司偵の話をあまり書けませんでした(汗)。 この話の続き書く時は、一般ではほとんど知られていない武装司偵隊の戦いぶりに触れてみたいと思います。 プラモデルキット 「タミヤ 1/48 百式司令部偵察機III型改造防空戦闘機 (キ46-III乙+丙)」 キ46-III 百式司令部偵察機III型乙 改造防空戦闘機データ 全長 11m お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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