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2012.09.09
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カテゴリ:旅行・史跡など

だいぶ遅くなってしまいましたが、浅間山・前掛山登山の最終報告です。


DSCF0654.JPG

前掛山登山道を上りながらの一枚です。

小さい岩がごろごろですが、富士山の宝永山の時程酷くありません。あっちは蟻地獄でしたからねぇ・・・。

DSCF0659.JPG

前掛山と釜山(浅間山)の分岐点まであと少しのところです。目の前に崖のようなものが見えますが、これが前掛山の外壁です。この外壁から今の釜山あたりにあったのが、前掛山噴火口です。

張ってあるロープは、登山道をはずれないようにする誘導のようです。実際、登山道とそうでない場所の境界線は分かり難く、ロープがないと登山道からはずれてしまいそうな感じです。

DSCF0662.JPG

浅間山に最も近い位置にある避難シェルターです。見たところちゃちな感じですが、火山弾などから身を隠す一時避難場所としては、それなりの強度がありそうです。

火砕流に襲われた時は、・・・来世でまたお会いしましょう(オイ)。

DSCF0711.JPG

ここが前掛山と釜山の分岐点から釜山を撮したものです。釜山は2004(平成16)年の浅間噴火以来登山禁止のため閉鎖中です。

たまに禁止の札を乗り越えて登る登山者もいるようですが(確かに誘惑を感じます・笑)、私が登った際はそういう不埒な方はいませんでした。

登山は自己責任とはいえ、無責任な行動は慎まないといけません。・・・誘惑は感じますけどねぇ(苦笑)。

DSCF0674.JPG

前掛山です。登ったのは6月半ばでしたが、日陰部分はまだ雪がしっかり残っています。

登山道は一本道なので迷う心配もなく、幅も数メートルあるので普通に歩いていれば危険なことはありません。でも強風の時などは少し怖いかもしれません。

DSCF0680.JPG

そして前掛山頂上、2524mです。

天気が良ければ後ろに釜山が見えるのですが、この頃から雲が深くなってきまして、残念ながら見られませんでした。


DSCF0692.JPG

下山しようとしている時、一瞬だけ雲が晴れ釜山が見えました。向こうは前掛山より44m高いので(2568m)、山頂を撮すことは出来ず、ちょっと残念です。

さて現在では浅間山として世間で認知されている釜山ですが、この山が出来たのは天明大噴火天明3年(西暦1783年))の時です。

前掛山の噴火(天明大噴火を引き起こしたのは、今回私が登った前掛山です)の際、溶岩等の火山噴出物が火口の周りに堆積されて出来たものです(「スコリア丘」と言います)

誕生から220年あまりの火山は、人間に例えると生まれて数ヶ月と言ったところです。まだまだ噴火活動は続くことになるでしょうね・・・。

もう少し山頂に留まって休んでいたかったのですが、雲も深くなってきましたので、急いで下山することにしました。

下山し始めてすぐ気がついたのは、足の裏がだんだん痛くなってきて、歩くペースが極端に遅くなって来ていることでした。

この時点で10時間以上登っていましたし、山頂であまり休憩を取らずに降りてきたのも祟ったんでしょうね。

最初の予定では、(1日2往復しかない)バスの時間30分位前までにバス停までたどり着ける予定でしたが、このままだとギリギリ間に合わない可能性が出て、焦りが出てきました。

DSCF0719.JPG

湯の平に降りてきて黒斑山を撮ってみました。午前中に撮った時と違い、雲が凄くて残念な感じです。

山の天気は本当に変わりやすいです。

DSCF0725.JPG

ようやく火山館の所まで戻って来ました。時間がないのでトイレと水を少し飲んだだけで出発することにしました。

疲労度を考えると30分ぐらい休んだ方がいいかなと思ったのですが・・・。

今回のように急いで下山すべきだったか、それともゆっくり休憩を取った方が効率よく降りられたか、今でも何とも言えません。この辺はケースバイケースでしょうか。

さて、前にブログを書いた時は触れなかったのですが、火山館についてもう一点補足です。

火山館が建っている場所は、天仁大噴火(1108年)の浅間山噴火追分火砕流の上にあります。

天仁大噴火は、天明大噴火よりも規模が大きかったことがわかっています。

この時発生した火砕流(追分火砕流)は、群馬県・長野県側の南北双方を襲い、北は吾妻川のほとり、嬬恋村の西小学校の辺りまで到達しています。南に向かった火砕流は小諸市の加増地区、北佐久郡の御代田町まで到達して焼き払っています。

今この時のような火砕流が起きたら、とんでもないことになりますね・・・。

また天仁噴火の降灰は、上野国(現在の群馬県)、下野国(現在の栃木県)を初めとする関東地方の田畑に壊滅的な打撃を与えました。

この時朝廷は積極的な災害復興策を講じていません。この時代、任地に赴任しない国司も多くなっており、現地の情報は朝廷にほとんど集まっていなかったのかもしれません。結果、復興は地元の豪族任せとなりました。

田畑の復興に尽力した豪族たちは土地を私領化し武装化していくことになります(一応、開発した土地を皇族や摂関家に寄進して、かわりに荘官に任じられて土地を管理するという形式をとっていますが、事実上の私物化と言っていいと思います)

これが関東地方に、多くの武士団が成長していくきっかけの1つになります。

天仁大噴火からおよそ80年後、関東の武士団を取り込んだ源頼朝が、平氏を倒して鎌倉幕府を作るわけですが、その遠因の1つは、浅間山の噴火後、関東の社会構造が大きく変化し、西国に比べて強力な武士団が存在していたことも影響しているのです。

さてそんなこんなで大急ぎで下山を続けていましたが、足の裏が痛くてスピードが上がりません。

今まで登山していて脚が痛くなったりしたことは幾度もありましたが、足の裏というのは初めてで何とも困りました。

なんせ足が地面についていると痛い。かといって歩かないと山を下りられませんし、足の裏だけあってかばいようもありません・・・。天狗温泉浅間山荘まで到着した時には、限界を感じました。

ここからバス停までは距離にして約4km、時間にして1時間かかります。最後のバスが来るまであと45分位という所で、ペースが上げられない事を考えるとタイムオーバー確実です。

間に合わないかもしれないけどと思いつつ頑張って歩いていると、「鳥さん、お疲れ~」と車で後ろからやってきた人がいました。見ると登山中何度かつかず離れずで一緒に登っていた3人組の方です。向こうは車で来ていたようで、これから帰るようです。

図々しく、「バス停まで乗せていってくれませんか?」と言ってみたところ(今から思い出しても、凄く厚かましいです・汗)、二つ返事でいいよと言ってくれました(びっくり)。うーん、人生・・・じゃない、鳥生初のヒッチハイクでした。

何とも気のいい方々で、「小諸駅まで乗せてあげるよ」と仰ってくれたのですが、さすがに申し訳ないので、バス停で降ろしてもらいました。

おかげでバスの来る時間まで間に合いまして、無事に小諸まで戻ることが出来、さらに東京へも予定どおりに戻ることが出来ました。

今回、日帰りで無事に戻ってきましたが、実に危うい感じでした(汗)。

時間にして13~14時間ぐらい、歩いた距離はハッキリしませんが15~17km位歩きましたが、私の体力を考えると2/3位が丁度良いようです。

おかげで人様にもご迷惑をおかけしてしまったのが、返す返すもお恥ずかしい限りです。

名前はお伺いしていませんでしたが、車に快く乗せてくれた方々にこの場でお礼を申し上げたいと思います(まぁ、このブログ知らないだろうけど・汗)

やっぱり無理はいけませんね。今度山に登る時は、もう少し余裕のある予定で挑まないといけないなと実感しました。

皆さんも登山される時は、くれぐれも無理はされませんように。

それではまた。






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Last updated  2014.04.15 20:13:54
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