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2012.10.06
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カテゴリ:激動の20世紀史

 近影3

 ピッグズ湾事件の失敗後、アメリカのキューバに対する工作は下火になります。
この時期、米ソの間ではベルリン危機(ソ連は西側諸国に東ドイツの承認と、米英仏3国が管理する西ベルリンの放棄を要求し、アメリカはそれを拒否して対立していました。この後東ドイツ政府は、有名なベルリンの壁を建設することになります)が深刻化しており、両国の軍隊はベルリンで対峙していました。そのためキューバに関わる余裕がなかったのです。

この事態は、ケネディ米大統領とフルシチョフソ連書記長が水面下での交渉し、戦争の危機がどうにか回避されましたが、そうなると再びアメリカの目は、喉元に突きつけられた匕首、キューバに向けられるようになりました。

1962年1月、ケネディは「マングース作戦(Operation MONGOOSE)」と呼ばれる秘密作戦を承認します。

マングース作戦とは、亡命キューバ人などをキューバに送り込んで破壊活動(道路や工場の破壊、サトウキビ畑への放火などで、1962年3月から8月までの間に約6千件がキューバ側で記録されています)をおこない、キューバの治安を不安定化し、さらにカストロ議長の暗殺、そして米軍をキューバ侵攻させ、キューバを力づくで体制変更を迫るという作戦でした。

作戦名の由来ですが、カストロはアメリカでしばしば「毒蛇」に例えられていましたから、蛇の天敵であるマングースの名を冠したのではないかと思われます。

しかしこの作戦が、KGB(ソ連国家保安委員会)に察知されたことで、アメリカが想定しなかった事態、キューバへの核兵器配備、キューバ危機へと繋がることになります。

一方のキューバですが、共産主義陣営加入後の1961年1月以降、ソ連からの軍事援助が急ピッチで続き、武器の扱いを教える軍事顧問団も駐留するようになっていました(1962年10月のキューバ危機の時点で駐留ソ連兵は4万名にも及んでいます)

カストロは、駐留するソ連兵の存在が、アメリカに対する抑止力になると見ていましたが、実際には効果が薄いことに苛立ちを覚えていました。

また1962年3月以降、治安が急速に悪化していることにも気を揉んでいました。

そこへKGB経由でマングース作戦の概要が伝えられると、アメリカのキューバ侵攻は近いと判断して、今まで以上に強い支援をソ連に要請するようになりました。

ソ連のフルシチョフが、いつキューバに核兵器の配備を発案したのかについては、公的な文書に残されていないため不明です。

ただマングース作戦の詳細と、そこから導き出されるアメリカのキューバ侵攻の可能性を鑑み、カストロの要請に前向きに考えるようになったと思われています。

そのため核兵器配備の計画が考え得られたのは、1962年4月から5月位にかけてではないかと考えられています。

「キューバに我々の(核)ミサイルが据え付けられれば、アメリカはカストロ政権に対して、軽率な軍事行動をとるわけにいかなくなるだろう、そう考えたのだ」

とは回想録にあるフルシチョフの言葉です。

彼の思惑は、アメリカのキューバ侵攻阻止であって(それによる「同盟国を守る強いソ連」というプロパガンダも、ソ連にとっては有益でした)、アメリカと戦争をすることではなかったのです。

しかし逆に、それはソ連とフルシチョフの誤算で、第3次世界大戦を引き起こす寸前の事態となっていくことになります。

核兵器の配備の打診に、カストロも「それは面白い」と応じています。彼もフルシチョフと同じ見解に達したのです。

「アメリカは、マングースを送り込んでキューバをひとのみにしようとしている。だから我々はハリネズミ(核ミサイルのこと)を送り込んで、奴らが飲み込めなうようにしてやるのだ」

フルシチョフはそう言って、ソ連にとっても生産数が少なくて貴重な核ミサイルの(この時点で、アメリカが保有していた核ミサイルは約5千発、ソ連は300発程度だったと言われています。爆弾タイプの核兵器保有数もアメリカが圧倒的で、ソ連は押し負けていました)、キューバへの配備に踏み切ることになります。

ソ連がキューバに持ち込んだのは、「R12」という射程距離2千kmの準中距離ミサイル(MRBM)と、それよりやや大型で射程距離4千kmの中距離弾道ミサイル(IRBM)「R14」でした。

いずれも広島型原爆の60~70倍の威力を持つ、1メガトンの核弾頭を搭載可能でした。

キューバに配備された場合、R12はアメリカの首都ワシントンD.Cまで5分で到達可能であり、R14はハワイとアラスカをのぞくアメリカ本土の内、シアトルを除く全ての都市に核ミサイルを撃ち込むことが可能でした。

そして肝心の核弾頭は、R12用戦略核36発、R14用戦略核24発、小型の巡航ミサイル搭載用の14キロトンの戦術核80発、重爆撃機搭載用の12キロトンの核爆弾が6発、短距離ミサイル搭載用の戦術核(2キロトン)12発の計158発もの核兵器が、キューバに運びこまれました(関係者の証言により、持ち込まれた核兵器の数は多少違いがあります)

300発しか保有していない核ミサイルの半分を、キューバに配備しようというのですから、ソ連の力の入れようがわかります。そしてそれはアメリカから見れば、キューバの侵攻を阻止するための防衛措置と言うより、アメリカに対する侵攻、核兵器による先制攻撃のための配備と写ったのは当然だったでしょう。

これら核兵器とミサイル部品はアメリカに察知されぬよう、一般貨物船に偽装されたソ連貨物船によって、順次輸送されました(作戦名「アナドィリ」です。アナドィリはシベリア最東部を流れる川の名です)

貨物船は途中、アメリカ海軍の臨検や接触は受けたものの、慎重に偽装されていたのと、核兵器の持ち込みは想定外で無警戒であったこともあって、露見することなくキューバの港に順次到着していきました(ただ本命と言うべきR14用のミサイル胴体部を乗せた貨物船は、一番最後に出発したため、キューバ危機が始まった時、まだ公海上をキューバに向かっているところでした)

もちろん、核兵器を昼間堂々と荷揚げできるはずもなく、夜人目を憚りながら降ろされ、順次核発射基地(建設中)へと運ばれていきました。

こうして、アメリカとソ連双方の打算と誤算のもと、キューバ危機への舞台が整えられたのでした。

次は、アメリカ側の核ミサイル発見から危機の機発生まで、・・・書けると良いなぁ






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Last updated  2021.09.25 13:27:24
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