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カテゴリ:激動の20世紀史
ソ連のアンドレイ・A・グロムイコ外務大臣らとの会見を終えたジョン・F・ケネディ大統領は、その翌19日、中間選挙の遊説のためシカゴ入りしています。 え? このタイミングで? と驚かれる方もいらっしゃると思いますが、これはエクスコム(最高執行評議会)の方針で、議論が確定するまでの間は、大統領には通常業務をこなしてもらうというという事が決められていたからです(さすがにこの時は「ソ連がシラをきる以上、遊説などしていられない、ホワイトハウスに留まる」とジャック(ケネディ大統領)は言っていましたが、「何かあったら戻ってきてもらうから、シカゴに行ってくれ」と実弟ロバート・F・ケネディ司法長官に説得されたためです)。 シカゴに着いたジャックは、内心はどうであれ、表面的には何もないように笑顔で観衆の声にこたえています。 そして大統領がワシントンD.Cを離れたこのタイミングで、事態はいよいよ切迫していきます。 まずミサイル発見後も続けられているU2偵察機の活動によって、ミサイル基地の建設状況が、思ったより進んでいることが新たにわかりました。 それまでは基地の完成は約1ヶ月後と見られていましたが、実際には半月後には完成しそうでした。 また基地の建設は途中でも、ミサイルは発射可能状態にすることは出来るため(そのかわり精度の高い攻撃目標を設定することは無理ですが)、早ければ最初の1発は、数日以内に発射可能になるかもしれないことも予測されました。 やはり高度2万mからの撮影では、細かい部分の精度までは分かり難かったのです。 同時にもう一つ厄介なものも発見されました。中距離弾道ミサイル(IRBM)用と思われる建設中の新たなミサイル基地も見つかったのです。 それまで発見されていた準中距離ミサイル(MRBM)の方は射程2千kmで、キューバからだとワシントンD.Cまでが射程距離でしたが、中距離弾道ミサイルの方は射程4千km、アラスカとハワイを除くアメリカ本土の大都市は、シアトルを除いて全てがソ連の核の射程内になりました(もっともこの時点では、中距離弾道ミサイル(IRBM)「R14」の胴体部分は、貨物船でキューバへ向かっている途中でした)。 もし中距離弾道ミサイルも発射可能となれば、ソ連はワシントンD.Cだけでなく、ニューヨークでもロサンゼルスでも、好きな場所を攻撃出来ます。 またCIA(アメリカ中央情報局)の情報収集の結果、キューバへ向かうソ連船の数は28隻(情報が錯綜しており、実際は22隻でした)あることも確認されました。もしかしたらこの中の何隻かは、新たに配備される予定の核兵器を積んでいるかも知れません(事実そうでした)。 以上新たに判明した事実から、エクスコムのメンバーは議論の時が終わったことを悟りました。 「兄さん、ワシントンに戻ってきてくれ」 ロバートはシカゴにいる兄に、電話で連絡を取りました。 「わかった。話はホワイトハウスで聞く。ボビィ、(エクスコムで採決をとって)結論を出させろ。たとえ不本意であっても1つの合意を出させるんだ。いいな?」 盗聴されている可能性はないでしょうが、2人の会話は必要最低限の簡潔なものでした。 またケネディは、この時初めて採決をとるよう指示しています。これはなんでもないようですが、政策決定で軽視してはいけないことの1つです。 日本の政治などを見ていると、例えば首相が方針を決めて発表後、すぐに閣僚なり与党の幹部が反対を表明する、もしくは反対を受け決定を撤回すると言ったことをよく見かけます。本来これはあってはならない事なのです。 例え首相の考えに同意できなくても、決定が下された以上は、閣僚も与党も従うことが原則なのです。 その辺のコミュニケーションを疎かにすると、方針発表後に造反が多発して与党が割れたり、方針を撤回したりという、決められない政治になってしまうのです。 「大統領は風邪をひかれました。医師の薦めで急遽ホワイトハウスに戻ることになりました」 大統領報道官ピエール・サリンジャーは、20日早朝記者団に困惑した表情で、そう語りました。 サリンジャーはエクスコムのメンバーてだはないため、先刻までピンピンしていた大統領が、急に風邪をひいたからワシントンに戻ると言われて事態が飲み込めなかったのです。 ホワイトハウスに戻ったジャックは、エクスコムの会議場に直行しました。この場に大統領が来るのは、第一回の会議以来です。 「兄さん、海上封鎖で合意がとれた」 出迎えたロバートがそっと耳打ちしました。 攻撃賛成派が海上封鎖に同意したのは、上記の新情報に加え、まだ軍の展開に時間がかかる事を憂慮したからです。 このままでは陸軍が作戦行動可能前に、ソ連に先手をとられてしまうかも知れません。そのため海上封鎖をおこない、必要に応じて軍事行動も検討すると言うことで双方が妥協したのです。 「キューバ周辺の海域に、アメリカ海軍艦艇で封鎖線を敷く。 ジャックはエクスコムの結果を受け、以上の決定を下しました。 デフコンという聞き慣れない単語が出てきたので、簡単に解説したいと思います。これはアメリカ国防省(ペンタゴン)が定めた5段階の戦争への準備態勢の規定をさします。 デフコン5は、完全な平時(平和状態)であり、軍は通常勤務状態ですが、最高レベルのデフコン1の場合は、核兵器の使用も含めた戦時臨戦態勢を指します。 デフコンの動きをアメリカ空軍戦略航空団を例に見てみると、デフコン5の時は、核兵器を搭載した爆撃機は地上待機ですが、デフコン1の時は24時間空中待機し(冷戦時はソ連が敵だったと言うこともあり、アラスカ・北極圏上空が待機空域に指定されています)、命令があり次第戦闘任務に移行します。 そしてこの時指示されたデフコン3は、高度な準備態勢を意味し、アメリカ軍の使用する無線は全て戦時用の暗号に変更されます。 ちなみに、2001年9月11日の同時多発テロに時に発令されたのも、このデフコン3でした。 海上封鎖決定を受け、国防長官ロバート・S・マクナマラは1つ助言をしました。 「ソ連は「同盟国(もちろんキューバのことです)への海上封鎖は、ソ連への宣戦布告と見なす」と前々から主張しています。ここは海上臨検という言葉を使うのがベストと考えます」 細かい言い回しですが、これによってソ連やキューバが抗議してきても、「海上封鎖はしていない、臨検しているだけだ」と言い訳できます(まぁ、封鎖も臨検もやることは同じなので、詭弁なんですけどね・苦笑)。 「海上臨検か、ロシア語でも上手く訳してほしいね」 とは、このやり取りを聞いていた毒舌家ロバートのとばした冗談です。 他には翌21日に議会への説明、22日月曜日午後7時に国民に向けたテレビ演説、海上臨検開始は24日午前10時(いずれも時間はアメリカ東部時間です)というタイムスケジュールも決定しました。 一端結論が出ると行動はとても素早い。それがアメリカという国家の強みでしょう。 アメリカ政府の対応策が決定した同日、キューバ中部サグア・ラ・グランデに建設中のミサイル基地では、準中距離ミサイル(MRBM)8発が発射準備を完了していました。アメリカの予想より早く、準備が終わっていたのです(ただし核弾頭は搭載されていません)。 いよいよキューバ危機は、緊迫の第2幕を迎えることになります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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