|
カテゴリ:激動の20世紀史
24日の臨検ラインの攻防に触れる前に少し前、ソ連のニキータ・フルシチョフ書記長が、アメリカの海上臨検に挑戦を宣言した前日の23日のアメリカ政府と国務省(日本で言うところの外務省に当たります。ただ国務長官の地位は、日本や諸外国の外務大臣よりも遙かに権限は強いものです)の動きについて触れてみたいと思います。 両者ともフルシチョフの声明に、直ちに反撃をする余裕がないほど忙しく、諸外国への対応に追われていました。 ミサイルの存在が発覚したのが16日、エクスコム(最高執行評議会)の結論が出たのが20日、公表が22日でしたから、根回しなどする余裕は全くなく、西側同盟国ですら寝耳に水でした。発表後に事情説明と支持を取り付けるために奔走していたのです。 そんな中、ジャック(ジョン・F・ケネディ大統領)が国務省に重要視したのは、キューバ危機の発生で、急遽緊急会議が行われることになった米州機構(OAS)の支持でした。 米州機構とは、1951年に発足した南北アメリカ諸国の共同体でした。 主目的は平和と安全保障・紛争の平和解決や加盟諸国の相互躍進をうたっていますが、アメリカを嫌う人達の言葉を借りれば、アメリカによる中南米支配の道具ということになります。 もちろん米州機構で一番の資金力を持ち、最も発言力を持っていたのはアメリカですし、設立当初は反共色の強いものでしたから(キューバは1962年、キューバ危機の前に除名されています)、そういう一面があったのは事実と言うところでしょう。 ただアメリカの影響力は強いものでしたが、ラテンアメリカ諸国も独立国としての自負があります。アメリカの主張をいつも受け入れていたわけではなく、自分の国に望ましくないと思う議題については激しく抵抗し、決して一筋縄ではいきませんでした。 ジャックはディーン・ラクス国務長官と国務省に、米州機構で満場一致の支持を取り付ける事を求めました。 というのも、アメリカが選択した海上臨検という手法は、ソ連が反論するように国際法的に反撃の余地を与えてしまうものだったからです。 しかし、キューバと隣国で交流も深いラテンアメリカ諸国がアメリカを支持するなら、「臨検は国際的な支持を受けている」という大義名分が成り立つからです。 しかし国務省側としては、時間的な余裕が無く、今から多数派工作など出来ませんから、ぶっちゃけ「無茶言うなよ」と頭を抱えてしまったのです。 こんな経緯から、ラスクは緊張して会議に臨んだのですが、結果は拍子抜けするものでした。 米州機構の緊急会議はわずか1時間で終了し、機構初の「満場一致でアメリカを支持する」という決議で終了しました。 この結果に、無茶を承知でけしかけていたジャックですら目を丸くし、「米州機構は安易にアメリカ支持の結論を出さないだろう」とタカをくくっていたソ連とキューバは驚愕しました。 この決議の裏には、彼らが見落としていた失策がありました。 両国とも、核ミサイルはアメリカへの牽制、抑止力であると見ていました(もちろんソ連内の強硬派は、ゆくゆくは「アメリカの裏庭」であるラテンアメリカ諸国を切り崩そうという思惑もありましたが)。 しかし、ラテンアメリカ諸国から見れば、自国もソ連の核の脅威にさらされることを意味します。さらにもしアメリカがミサイルを容認してしまったら、これらの国々はキューバの下風に立たされることになります。 ラテンアメリカ諸国からすれば、キューバはいずれソ連の核ミサイルという「虎の威」を借りて、自分たちを恫喝してくる狐に見えたのです。そのため一議に及ばずアメリカを支持するという選択を選んだのです。 これは、アメリカしか見ていなかったソ連とキューバの失敗でした。 こうして海上臨検開始前に国際的な支持を受けられたため、 「米州機構の同意に基づき、これより海上臨検を開始する」 と、翌24日午前10時、ジャックは臨検開始を堂々と宣言出来る願ってもない展開になりました。 臨検が開始されると同時にそれまでレーダーや偵察機、それにソ連船が発信する無線をモニターして、遠巻きに監視しているだけだったアメリ海軍第2艦隊の各艦は、一斉に行動を開始しました。 この時キューバを目指していたソ連船は22隻、その所在の大半は入念な準備をして待ちかまえていたアメリカ軍に把握されていたのです。 ソ連船の中で最もキューバ近海に近い位置にいたのは、キモフスク号とユーリ・ガガーリン号の2隻で、併走しながら臨検ラインまで1時間を切る距離にいました。 この2隻の前に立ちはだかるように接近していたのは、米駆逐艦ジョン・R・ピアース(アレン・M・サムナー級駆逐艦、艦番号は「DD-753」です)でした。 「こちらは合衆国海軍駆逐艦ジョン・R・ピアース。貴船はアメリカ合衆国と米州機構の定めた臨検ラインを越えようとしている。 と、ロシア語と英語で交互に通信を送りました。 しかし、キモフスクもガガーリンも停船する気配をみせず、通信も応じようとはしませんでした。 この時ケネディ大統領は、ホワイトハウスの一室に設けられたエクスコムの指揮所に入り、メンバーと共に、ペンタゴン(国防総省)を通じて送られてくる海上の様子を固唾をのんで見守っていました(余談ながらエクスコムのメンバーの内、唯一この場にいないのはロバート・S・マクナマラ国防長官でした。彼は近くのペンタゴンの海軍作戦本部に陣取って直接指揮を執っています。さらに余談を言うと、彼は22日以来ペンタゴンのソファーをベット代わりに泊まり込んでいます。マクナマラが自宅のベットで眠ることが出来るのは、一週間後の29日になります)。 もしソ連船が臨検を拒否し、強行突破をはかった場合の手順は、舳先に警告射撃、それでも止まらない場合は操舵室を砲撃で破壊して拿捕、曳航することと定められていましたが、そこまでした場合、戦争になるのは避けられません。 しかし、躊躇してソ連船の臨検ライン突破を許せば、ソ連は何事も無かったようにキューバに核兵器配備を続け、やっぱり遠くないうちに戦争となるでしょう。 進むも地獄、引くも地獄と言う言葉がありますが、まさにその状態でした。 そして臨検開始から約10分後の24日午前10時10分頃、 「こちらCIC(艦艇のレーダーやソナー、通信設備が置かれている戦闘指揮所の事です)、艦長!」 艦橋で双眼鏡をのぞきながら、ソ連船を監視していた艦長のもとに、うわずった声で報告が届きました。 「こちら艦長、どうした?」 「ソナーに感あり! ソ連潜水艦発見! 位置はキモフスクもガガーリンの間(の海中)です!」 ソ連にとっても貴重な核ミサイルです。ソ連海軍は貨物船の護衛に、何隻もの潜水艦をカリブ海方面に派遣していたのです。 このままピアースがソ連船の進路を遮ると、ソ連潜水艦の絶好の攻撃ポイントに自分から飛び込むことになってしまいます。 「! 総員戦闘配備! 総員戦闘配備!」 戦闘配備とは、乗組員全員に持ち場につくよう命じたものです(全員が配置につくため「全直」と言う事もあります。通常勤務のときは2直(1日2交替勤務)から3直(1日3交替勤務)です)。艦内通路は防水隔壁が閉められ、食事も部署でとり(平時は食堂でとります)、全員がカポック(救命胴衣)とヘルメットの着用が義務づけられます。 戦闘態勢をとった米艦ピアース、停船しないソ連船、そして海中から窺うソ連潜水艦・・・。 臨検ラインまであと15分、それは世界大戦へのカウントダウンの様相を呈しはじめていました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[激動の20世紀史] カテゴリの最新記事
|