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2013.11.01
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カテゴリ:プラモデル・艦艇

神風と.jpg

さて、写真を見て多くの人が感じるだろうコメントをひと言。

まるっきり船襲ってる怪鳥状態じゃね? 1/700サイズの艦て、小さいもんですねぇ・・・。

さて、神風といっても、特攻隊ではなく、艦の話です。

神風型駆逐艦は、日本海軍が大正11(1922)年から大正14(1925)年まで建造した駆逐艦です。

ここで早くも脱線ですが、「駆逐艦」とは何かですが、水雷艇を「駆逐」するために19世紀末に誕生した艦です。

水雷艇は小型ながら高速で、一撃で戦艦すら撃沈可能な魚雷を装備した艦です。大型の戦艦は強力な砲火力を持っていますが、動きが鈍く小回りがきかないため、苦手な相手なのです。そこで水雷艇とほぼ同じ速度を持つ番犬、駆逐艦が必要となったのです。

水雷艇と駆逐艦の違いは、国によって定義が異なり(そのためA国では水雷艇とされている艦が、B国では駆逐艦とされていることが多々あります)、駆逐艦は水雷艇よりやや大型で外洋航行が可能なため(航続距離は巡洋艦よりとても低いですが)、艦隊防空に対潜水艦戦、遭難した船や飛行機の捜索など、多才の任務をこなします。

そんなことから、現在各国海軍の主力艦種は、駆逐艦系統の子孫たちが主流です。

話を元に戻します。当時の日本海軍は、有名な八八艦隊計画を進めていました。

八八艦隊とは、戦艦8隻、巡洋戦艦8隻からなる主力艦を整備する国防計画でした。

日露戦争後の日本海軍の仮想敵国はアメリカでしたから(ちなみに陸軍の仮想敵国は、今までどおりロシア・ソ連でした)、八八艦隊は必然的にアメリカとの戦争を想定したものでした。対するアメリカも、同時期日本を仮想敵国としたオレンジ・プランを策定しており、両国とも「将来戦争する可能性のある国」と認識しはじめていたのです。

八八艦隊計画が立案された時、日本の領域は、第一次大戦後に国連から委託統治を任された旧ドイツ領のマリアナ諸島、トラック諸島、マーシャル諸島など太平洋中部にまで広がっていました。

カバーしなくてはいけない海域が飛躍的に増えたため、日露戦争時のように、日本近海のみを決戦場と位置づけることが出来ず、状況に応じて、日本本土から遠く離れたマーシャル諸島まで、艦隊を進出させる必要が出てきました。
このような戦略的環境の変化に伴い、本来は航続距離の短い駆逐艦も、戦艦や巡洋艦と共に、遠方まで随伴できる能力が必要となりました。

こうして建造されたのが神風型駆逐艦でした。

神風型はベースとなった野風型駆逐艦と比べて、波の高い外洋での安定性と復元性を重視して、船体が若干大型化しています。

後に開発される重武装の特型駆逐艦とは異なり、主砲の数を無理しない設計だったので、艦の扱いやすさは良好だったようです(特型駆逐艦は逆に、無理矢理武装を積んだことが祟って復元性が悪く、船体強度不足と重なって、艦首切断事故「第四艦隊事件」など起きています)

八八艦隊計画では、主力の大型駆逐艦と位置づけられていたため、最初は27隻の建造が計画されていましたが、ワシントン海軍軍縮条約締結により、9隻で生産終了となりました。

太平洋戦争が始まると、すでに艦齢20年前後となり、旧式化していた神風型駆逐艦は、開戦初頭を除いてあまり大きな戦いには参加せず(開戦初頭のウェーク島攻略戦で戦没した疾風(7番艦)は、太平洋戦争における日本海軍の戦没艦第一号でした)、もっぱら哨戒や船団護衛に活躍しました。

終戦時は、1番艦の神風と、3番艦の春風を除いた全艦が戦没しました(神風は無傷でしたが、春風は艦尾損傷で航行不能でした)

と、いつもどおり長い前置きですが、ここからが本題駆逐艦神風の話です。

太平洋戦争が始まると、神風は第1駆逐隊(神風、野風、沼風、波風の4隻で構成)に属して、千島列島・津軽海峡方面での哨戒、船団護衛に従事しています。

そして昭和20(1945)年2月、第1駆逐隊(この時沼風は戦没し、波風は残留したため、神風、野風の2隻です)は、北号作戦(戦艦伊勢、日向以下6隻の艦艇で、日本本土へ燃料輸送をおこなう作戦)支援で、南方に進出して作戦を支援後、シンガポールに向かいました。途中米潜水艦の襲撃で野風を失い、ただ1隻シンガポールに到着しました。

神風1

神風は、現地に残留していた重巡洋艦羽黒、足柄と共に、船団護衛に従事します。

羽黒は、5月14日のペナン島沖海戦で英艦隊に撃沈され(神風も1発被弾して、戦死者27名、負傷者14名を出しました。英艦隊が去った後、神風は羽黒沈没海域に戻って、乗員約400名を救助しています)、残る足柄も、6月8日に陸軍部隊輸送任務中に、英潜水艦トレンチャントの雷撃で沈没してしまうと(この時神風は、足柄に乗っていた乗員約4500名をほぼ救助して、シンガポールに帰り着いています)、南方で戦闘可能な艦は、神風1隻になってしまいました。

その後神風は、仏印(現在のベトナム、ラオス、カンボジア)=シンガポール間の輸送任務に従事し、7月、米潜水艦と壮絶な一騎打ちをおこない、その敢闘ぶりを米海軍から絶賛されることになります。

神風2

 

次は、神風と米潜水艦ホークビルとの戦い、日米版『眼下の敵』について書いてみたいと思います。


駆逐艦 神風 性能諸元(兵装は最終時)

 

排水量 基準:1,270t
全長 102.6メートル
全幅 9.2メートル
吃水 2.9メートル
最大速力 37.3ノット
航続距離 14ノット/3,600カイリ
乗員 154名
兵装 12cm単装砲3基(4番砲を撤去)
53cm連装魚雷発射管2基(3番発射管を撤去)
25mm連装機銃4基、同単装機銃2挺
爆雷100個

プラモデルキット 「ピットロード 1/700 日本海軍神風型駆逐艦 神風」

マニアックな艦艇キットを、よく発売してくれるピットロードの一品です。これからもその方針は貫いていただきたいものです♪

値段はやや高めですが、細かいところ(例えば、機銃など。他のメーカーだとぼやっとした作りになっていることが多いです)の作りもしっかりしていて、作っていてかなり嬉しくなりました。






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Last updated  2013.11.02 21:40:57
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