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カテゴリ:プラモデル・艦艇
27日9時半頃、戦闘開始から50分を超えた頃、ビスマルクは海上に停止し、ただ浮かんでいるだけの状態となっていました。 この時、機関部など、艦の最深部の様子はというと、乗員たちは普段と変わらぬ仕事を続けていました(これは被弾が喫水より上で浸水が無く、艦内部が無事だったためです。しかし乗員たちは、こちらが撃つより、命中する砲弾の衝撃が圧倒的だったため、不味い戦況なのはおぼろげながらわかっていたようです)。 状況が一変するのは、10時頃に副長のエールス中佐から、「自沈せよ。総員退艦せよ」という命令が届いたからです(命令直後、エールス中佐は戦死しています)。 自沈するためキングストン弁が開かれ、復水機に爆薬を仕掛けられました。 大勢の兵士たちが上へと脱出を開始しましたが、ここでも問題が起きました。乗員たちの多くは、艦に配属されて日が浅く、艦の構造をよく理解していなかったため(道順案内などありませんし)、どの通路を行けば上に出られるかわかっていなかったのです。 加えて自沈命令によって機関室が放棄されたため、艦内の電力が停止し、通路は一面真っ暗闇となってしまっていました。そういった要素が重なったため、生き残っていた乗員の相当数が、上甲板まで脱出できなかったと考えられています。 運良く上甲板に出られた乗員たちは、そこで目にした光景に絶句しました。ビスマルクの上部構造物は、見る影もなく破壊し尽くされ、あちこちから黒煙と炎が上がり、鉄とばらばらに引き裂かれた人間の体が散乱する凄惨な光景だったのです。 イギリス艦隊の砲撃は続いており(この時、イギリス艦の発射していた砲弾量を重さで表すと、毎分22トン余りの鉄が、ビスマルクにたたきつけられていた計算になります)、海まで走って飛び込みに行ける状況ではありませんでした。乗員の多くは、破壊されたC砲塔の影に隠れました。 「まだ沈まんのか?」 100発近い砲弾が命中しているのに、いっこうに沈む様子がないビスマルクに(喫水線下への被弾がなかったため、浸水がほとんど無かったからです)、イギリス戦艦キングジョージ5世の艦橋では、トーヴィ―大将や幕僚たちが、焦燥を募らせていました。 戦闘前、「戦闘は2時間が限界です。それ以上になったら途中で燃料が尽きて漂流します」と、クギを刺されていました。戦闘開始から約80分が過ぎ、そろそろ時間切れでした。 トーヴィは、ビスマルクが傾斜している左舷側に、雷撃をおこなうよう重巡洋艦ドーセットシャーに命じました。 10時20分頃、ビスマルクの自沈用爆薬が爆発し、ほぼ同時刻ドーセットシャーから発射された魚雷が命中し、とうとう左舷側から沈没が始まりました。 激しい砲弾の雨に、海へ飛び込むのを躊躇っていた乗員たちですが、これ以上艦にとどまり続けることは、死以外にないことを悟りました。 意を決した一人が艦尾方向に走り出すと、他の者も続いて走り出し、艦尾から海に飛び込みはじめました。その様子はイギリス艦からも確認されました。 10時30分頃、燃料が乏しくなった戦艦キングジョージ5世とロドネイ、重巡洋艦ノーフォークは、ビスマルク沈没を見届けることが出来ないまま、戦場を離脱しました。 その10分後、ビスマルクは左舷側に横転し、艦首が持ち上がってから沈没しました。 ここで少し不思議な話に触れたいと思います。沈んでいくビスマルクを、海から見ていた乗員たちの多くが、艦首付近で、乗員たちを敬礼して見送るビスマルク艦長エルンスト・リンデマン大佐の姿を見たと証言しています。 ↑ビスマルク艦長 エルンスト・リンデマン大佐 リンデマン艦長は、艦橋に被弾した際、戦死したと考えるのが自然です。実際、自沈命令は副長のエールス中佐がだしていますが、本来は艦長のみが命じる権限を持ちます。副長が艦長の権限を代行する時は、艦長が戦死する等、指揮能力を喪失した時だけです。 また、「人がバラバラになって吹き飛び、海に落ちるのが見えた」と証言しているイギリス側からは、この人物は目撃されていません ここに立っていたのがリンデマンなら、艦橋から100m以上も離れた艦首に、砲弾の雨が降り注ぐ中、誰にも気がつかれずに移動したことになりますが、そんなことが果たして可能だったのか、疑問が残ります。 艦首で立っていた人物が本当にリンデマン艦長だったのか、それとも別人なのか乗員たちの見た幻覚だったのか、はたまた幽霊だったのか判断できませんが、この話からわかるのは、リンデマンがいかに乗員たちの心をつかんでいたかということです。 沈みゆく乗艦に残り、脱出する乗員たちを見送る艦長という姿に、乗員たちの敬意と信頼が見て取れます。もし嫌われた艦長だったら、「見間違いだ」と切り捨てられるのがオチでしょうし、第一、誰も見たと証言することは無いでしょう。 ビスマルクの乗員たちにとって、リンデマンは敬愛する上官だったのです。 ビスマルクが波間に消えると、残ったドーセットシャーはビスマルク乗員の救助を開始しました。しかしここでビスマルクの乗員たちは、意地の悪い運命の女神に翻弄されることになります。 ドーセットシャーが休戦旗を掲げたのに気づいて、真っ先に向かっていった乗員たちは、大西洋の荒波でいったんドーセットシャーから引き離され、次いで返す波で、舷側に頭からたたきつけられたのです。 海面は頭を割られたビスマルク乗員たちの血で真紅に染まり、次々に沈んでいきました。 その光景は、ドーセットシャーの乗員を戦慄させました。 皮肉なもので、休戦旗に気づくのに遅れたり、敵艦に救助されるのを躊躇っていた乗員たちは、上手い具合でのイギリス艦の近くに流されてきました。 波が荒いためボートはおろせず、ロープや棒を降ろしての救助作業となりましたが、ビスマルクの乗員たちは疲れ切っていて、自力でよじ登れる者はほとんどおらず、作業は難航しました。 さらに周囲を警戒中の味方駆逐艦から、「Uボート(ドイツ潜水艦)らしきスクリュー音あり」という連絡を受けたドーセットシャーは、一転救助作業を断念して海域を離脱しました(実際にはUボートはこの海域におらず、スクリュー音は疑心暗鬼の勘違いでした)。 救助されたビスマルクの乗員は、ドーセットシャーが80名、駆逐艦マオリが25名、後刻、沈没海域に急行したUボートなどドイツ側が救助した10名の、合計115名でした。 ビスマルクの乗員数は2206名でしたから、2091名が戦死したことになります。 一方最後の戦いにおけるイギリス側の被害は、戦艦キングジョージ5世の砲塔が故障したのと、戦艦ロドネイが至近弾で若干の浸水があっただけで、戦死者はいません。 こうして、ビスマルクの9日間の航海は終わりました。 次回は、ライン演習作戦とその後の影響を、簡単にまとめを書きたいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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