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カテゴリ:プラモデル・艦艇
今回最初の写真も怪鳥VS神風です(笑) 昭和20(1945)年7月17日、駆逐艦神風は、タンカー3隻を率いてシンガポールを出港しました。向かうのは仏印ハッチェン港(現在のカンボジア)です。 この頃、日本本土は大都市の大半がB29の空襲で灰燼に帰し、沖縄陥落によって海上輸送路も寸断されて、石油も資源も枯渇した惨憺たる有様でした。 そして日本との連絡線を絶たれた東南アジア地域では、英印軍の反攻が本格化し、ビルマ(現在のミャンマー)の大半を失い、日本軍はタイへ向かって敗走が続いていました。 遠からず英印軍はタイを占領し、仏印とマレー半島への侵攻を開始するでしょう(イギリス軍は、昭和20年9月に、マレー半島への上陸作戦を計画していました)。 日本側は、仏印とマレー半島を南方防衛の最終防衛線と位置づけ、物資の輸送に大忙しでした。 シンガポールで唯一戦闘可能な艦である神風は、輸送任務に否応なくかり出されていました。 「足の遅い油槽船を護衛して、シンガポールから油を積んで仏印に輸送し、帰りには米を積んで帰ってくるという輸送作戦をやっていたんですよ。マレー半島の東側沿岸を陸沿いに北上し、それからシャム湾を横切って、今のカンボジアのハッチェンに入港するわけですが、毎回必ず敵潜に攻撃されたもんでした」 とは、神風艦長春日均少佐の回想です。 春日艦長は長野県飯山市出身。昭和14(1939)年の海南島作戦では、陸戦隊中隊長として、中国軍と白兵戦を経験し、駆逐艦白雪の水雷長としてバタビア沖海戦(昭和17(1942)年3月1日)にも参加した歴戦の士でした。 「毀誉褒貶を一切気にしない性格。こうすれば艦隊司令部の受けがいいだろうかなどと考えたこともない人」とは、水雷長だった伊藤治義大尉の艦長評です。他にも、艦のことよく勉強して操艦は的確、肝も据わって戦闘時に少しも動じない姿は、部下たちの信頼を一身に受けていたと回想しています。 敗戦寸前の日本軍の中で、神風乗員が士気と秩序を高い水準を維持したまま戦うことが出来たのは、春日の人柄と統率力によるところが大きかったのは、間違いないと思います。 シンガポールを出港した船団は、マレー半島に沿って北上を続けました。船団を指揮する春日がこのルートを選んだのは、マレー半島東岸にあるプロテンコール沖、それにシャム湾中央部に数カ所だけが、水深が30m以上の深い海域で、他は水深20m位の浅瀬が多く、潜水艦が作戦行動できる範囲が少ないからです。 内、一番の難所は、マレー半島東岸にあるプロテンコール沖でした。ここは水深が30~60mの海域が10海里(1海里1.852kmです)広がっており、敵潜がいつも待ち伏せている危険海域でした。 18日13時頃、船団は予定どおりプロテンコール沖に達しました。手はずどおりタンカーは陸地すれすれまで接近して航行し、神風は1隻、沖に出て之字運動(ジグザグしながら動くこと)を始めました。 「船団は、シンガポールを出港した直後、敵の哨戒機に発見されていましたから、当然敵潜が(プロテンコール沖で)網を張って待ちかまえているだろうと予測していたんです。 之字運動を始めて10分後、神風の艦橋で、ベルが1回鳴りました(ベルは1秒でも早く魚雷を回避するため、神風独自で考えられた通信手段です。右舷に雷跡を発見したらベルを1回、左舷で発見したらベルを2回鳴らす取り決めをしていました)。「右舷に魚雷発見」という意味でした。 見ると、6本の魚雷が扇形に広がりながら神風に迫ってきました。 「面舵(右に方向を転舵すること)一杯!」 水深が深い沖合から雷撃される事を、あらかじめ予測していた春日は、すぐに転舵を命じて難なくこれを回避しました。 「敵潜捕捉! 距離1500(メートル)!」 「進路そのまま、ヨーソロ(航海用語で船を直進させよという意味。元々は「宜しく候」が変化したものと言われています)! 機関増速16ノット!」 プロテンコール沖で神風を雷撃したのは、米潜水艦ホークビル(パラオ級潜水艦。当時アメリカ海軍で最新鋭の潜水艦でした)でした。 ホークビルはそれまで3回の作戦行動をおこなって、駆逐艦「桃」、敷設艦「初鷹」、商船やタンカー2隻を撃沈したスコアを持つ武勲艦です。 艦長F・ワース・スキャンランド・ジュニア少佐の指揮の下、4回目の任務をシャム湾でおこなっていたホークビルは、司令部から日本船団のシンガポール出港と攻撃命令を受けて、プロテンコール沖へ移動してきたのです。 「敵船団発見!」 発見は、レーダーなど優れた電子兵器を持つホークビルが先でした。 「潜望鏡深度まで潜航!」 浮上して哨戒していたホークビルは(水中ではレーダーが使えません。当時の潜水艦は電池充電式のため、潜水していられる時間が限られていました。そのため普段は水上走行しています)、直ちに潜行して海中に隠れました。 「こいつは手強い・・・」 潜望鏡で船団を見たスキャンランド艦長は舌を巻きました。 プロテンコール沖に達した途端、船団は陸沿いに回避し、神風は慎重な之字運動をしながら、沖合を索敵しはじめたからです。 スキャンランドは攻撃の目標を、船団ではなく神風に定めました。本来潜水艦が敵船団を襲う場合、狙う獲物は輸送船で、護衛艦はなるべく無視する存在です。相手の輸送を妨害するのが任務なのですから、当然といえます。 しかし他の日本艦とは異なる目障りな動きをする神風こそ、最も危険な敵と見なしたのです。 「距離2000ヤード!(約1828m。1ヤード0.9144mです) 1番から6番、魚雷発射準備! 雷撃角度は15度(それぞれの魚雷が15度の角度で広がっていくようにすること。扇形に広がって向かっていくため、一発を回避しても隣の魚雷に命中する確率が高くなります)」 パラオ級潜水艦は、合計10門の魚雷発射管を持っています。その内6門が前方に、4門が後方に設置されています。スキャンランドは、前方攻撃力の全てを投入して、神風を仕留めることにしたのです。 「1番から6番までの魚雷発射管、発射準備良し!」 「撃て!」 ホークビルは魚雷を発射しました。スキャンランドは命中を確信していましたが、それは1分と起たない内に崩れ去ることになります。神風は急転舵して魚雷をあっさり躱したからです。 「この瞬間、私が確信したのは、神風はわが艦の存在をハッキリと認識したということです」 神風の動きが、偶然の動きでなく、魚雷を発見して素早く回避したのだと、スキャンランドは気がついたのです。次は同然、攻撃してきたホークビルを見つけ出して、攻撃してきます。 「進路変更、敵を沖に誘うぞ! 機関増速!」 ホークビルは沖に向かって逃げ出しました。しかしただ逃げるのではなく、神風が自艦の後ろ(つまり艦尾の魚雷発射管の射線上)に来るよう、誘いをかけながらの逃走です。 この時、ホークビルの後部魚雷発射管には、3発の魚雷が発射準備を終えていました。一方の神風は、49発の爆雷を深度30mで起爆するようセットして、攻撃命令に備えていました。 こうして神風の伝説の戦いが始まりました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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