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カテゴリ:プラモデル・艦艇
正月早々ペストの話題もどうかなと思いまして、プラモです。 ・・・まぁ、対して変わり映えしない話のような気もしますが・・・。 さて、綾波というと、某アニメのヒロインを思い浮かべる人も多いかも知れませんが、話は別です。日本海軍駆逐艦綾波のお話しです。 まぁ、あのアニメに出てくる登場人物は、船に関するものや感の名前などが多いので(例えば、葛城ミサト→航空母艦「葛城」、赤木リツ子→航空母艦「赤城」、惣流・アスカ・ラングレー→水上機母艦「ラングレー」などなど。キリがないのでこの辺にしておきます)、無関係というわけではないのでしょう。 で、話を元に戻します。 綾波は特型駆逐艦の11番艦として、大阪藤永田造船所で、昭和3(1928)年1月20日に起工しました。 特型駆逐艦(厳密に言えば、特型ではなく吹雪型が正式名称です。特型と呼ばれるのは、設計の際、艦政本部内に設けられた「特型駆逐艦対策委員会」を由来にしています)は、ワシントン海軍軍縮条約により、戦艦を初めとする大型艦の建造が制限されたため(イギリスとドイツの建艦競争が、第一次世界大戦の原因の一つになったため、それを抑制しようとしました)、日本海軍は、戦艦数の不利をカバーするため、条約の制限を受けない巡洋艦以下の補助艦艇の、性能向上と整備を行う方針を決めました。 そして、従来の常識を破る、強力な攻撃力を持った駆逐艦の設計と建造に挑み、誕生したのが特型駆逐艦でした。 二段式の甲板に、凌波性能を追求した船体設計で、良好な航海性能を持ち、艦橋を露天式から密閉式にするなど(小型の駆逐艦は露天艦橋が一般的でした)、居住性にも配慮され、溶接技術の多用によって軽量化された約1600トン(基本排水量)の船体に、あり得ないほどの重武装(砲塔式12.7cm連装砲3基、61センチ魚雷9射線を中心に配備し予備魚雷も搭載しました)が詰め込まれた、特型駆逐艦をみた、列強諸国海軍の衝撃は、大きかったと言われています。 なぜなら、特型駆逐艦と1対1で戦った場合、これに勝てる駆逐艦は、世界に無かったのです。前に触れました神風型駆逐艦が、計画途中で量産終了となったのも、この特型駆逐艦が実用化したからです。 こうして、特型駆逐艦の量産配備が始まりましたが、実際の運用が始まると、すぐに欠点に気がつきました。 元々が小型の駆逐艦に、無理して武装を詰め込みすぎたために、上部構造物が重すぎて復元性が悪く、大波を側面に受けると、転覆の恐れがありました。さらに武装を1門でも多く載せるため、船体強度をギリギリまで削ったため、船体が脆いのも大きな欠点でした。 これらの欠点は、特型駆逐艦と同時期に設計された他の艦艇にも見られましたが、海軍は、艦長や乗員の訓練不足、艦固有のクセを把握し切れていないだけだと、原因を人に求めて、艦に問題があるとは見なしませんでした。 海軍が軽視したこれらの問題は、友鶴事件(昭和9(1934)年3月12日、水雷艇友鶴が、荒天で横転転覆し、死者行方不明者100名を出しました)、第4艦隊事件(昭和10(1935)年9月26日、台風下で訓練中の第4艦隊で起きた海難事故で、参加艦艇41隻中19隻が損傷し、54名が殉職しました。特型駆逐艦の被害は、初雪と夕霧が高波を受けて艦首切断という大きな被害が出ました。なお死者54名は全て初雪で発生しています)の大惨事を引き起こすことになりました。 事件の背景は、用兵側が過大な強武装要求をしたことが主原因ですが、設計側の問題を大きいものでした。 当時の日本の艦艇設計能力は、基礎的な強度計算や復元性に関する理論が、まだまだ未熟でデータ不足でした。つまり理屈倒れな部分が多かったのです。 さらに造船側にも問題がありました。材質管理が不徹底だったのに加えて、導入されたばかりの溶接技術が、まだ未熟なものでした。 溶接は、それまでのリベット打ちより、船体の軽量化が可能な新技術としてもてはやされましたが、新手法が様々な不具合が発生してしまう例に漏れず、日本の技術水準では、軍艦の製造に耐えうる強度の艦は出来なかったのです。 これらの原因が合わさった結果が、友鶴事件と第4艦隊事件が引き起こされてしまったのです。 技術とは長年の蓄積がものをいいますから、開国から半世紀あまり、日本の技術水準がまだ未熟であったのは致し方ないかもしれません。 この事態に慌てた海軍は、全艦艇の復元性と強度検査を実施しました。そして鳴り物入りの特型駆逐艦が、多くの欠点を抱えていることを初めて自覚したのです。 対策として、上部構造物の重量軽減(艦橋やマストを一段低くし、主砲を軽量化するなど)、船体の鋼板を厚くして、リベット打ちするなど(当時は溶接が悪いとされたため)、武装を減らないかたちで改修が施されました(意外な話ですが、武装を減らさなかったのは、設計サイドが反発したからです。用兵側が「高波で艦が沈んだら大変だから、武装を減らしてくれ」と言ったのに、設計側が「お前たちの要求どおりに武装を載せたのに、減らせとはけしからん!」と怒ってしまって、減らせなくなってしまったのです)。 こうして問題点が改修された特型駆逐艦は、太平洋戦争当時、やや旧式化していましたが、緒戦から終戦まで戦い抜きました。 大戦が始まっていた時、23隻が在籍していましたが(建造されたのは24隻でしたが、4番艦「深雪」は同じ特型駆逐艦「電」との衝突事故で昭和9(1934)年に沈没しました)、終戦まで生き残ったのは、「潮」と「響」の2隻のみで、後は戦没しました。 さて綾波ですが、以前に建造された姉たちとは煙突が異なり、主砲が改良されて仰角が40度から75度まで引き上げ可能になるなど、細部に違いがあります。そのため「綾波型」「特型II型」とも言われます。 太平洋戦争が始まった時、綾波は第3水雷戦隊に属して、昭和16(1941)年12月8日、マレー上陸作戦からその戦歴が始まっています。 この時英軍機の空襲を受けて、綾波は応戦していますが、これは太平洋戦争における日本艦艇の初めての発砲だったと言われています(真珠湾攻撃の約2時間前のことです)。 そして綾波の勇名を轟かせたのは、なんといっても第3次ソロモン海戦(昭和17(1942)11月12~16日)での奮戦でしょう。 次回は、壮絶な綾波の第三次ソロモン海戦の戦いについて、触れてみたいと思います。
排水量 基準:1,680t プラモデルキット 「タミヤ 1/700 ウォーターライン 日本駆逐艦 綾波」 タミヤ製のベテランキットです。そのためバリが見受けられて、ややくたびれ感がありますが、作りやすくプラモの造形部分の考証もしっかりしています。 特型駆逐艦の甲板は、リノリウムなので、レッドブラウンやウッドブラウンで塗るべきなのですが、軍艦色になっています。 作っている時に疑問に感じたのですが、そのまま作ってしまったため、間違った配色になってしまいました(一緒に作った特型駆逐艦「雷」も・汗)。 その点を除けば初心者からベテランまで楽しめるキットです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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