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カテゴリ:旅行・史跡など
燕新道を下って20分ぐらいの所にある長助池です(もっともこの時の私の足では、倍の40分位かかりました)。 のんびりと出来そうな場所でしたが、その余裕はありません。つくづくもったいない話です。 今回の登山旅行最後の写真となります。これ以降は、下山に専念するためカメラをリュックにしまってしまったのです。 長助池から大倉乗越を撮った一枚です。写真だと小さいですが、雪渓で斜面が覆い尽くされています。 あの雪渓を越えて進むのは、大丈夫だったかな、やっぱり無理だったかなと眺めながら、長助池を去りました。 こうして山を急いで下っていきましたが、道は狭く、18時を過ぎて辺りが暗くなってきて、ペースはどんどん落ちていきました。 途中何度も転倒しました。足場も悪くなってきている上に、疲労で足が動かなくなってきていました。 19時半を過ぎると、完全にあたりは暗闇になりました。ヘッドライトをつけているので行動可能でしたが、すでに登山初めて11時間を超えて、疲労も自覚できるほどでしたから(浅間山登山での教訓から、私の1日行動時間は12時間と決めていました)、下山は諦めた方が良さそうでした。 しかし、道が細くて片側が崖という所が多くて、ビバーク(緊急野営すること)できる場所がありません。こんなところで休んで転落したら命に関わります。なのでビバーク出来る場所を探すための移動に専念しました。 カタツムリのように慎重に進むこと2時間後、ようやくビバークできそうな場所を見つけました。 場所は最適ではありませんが、ここから先は数十メートル下る坂道になっており、夜間疲労した状態で下るのは危険でしたし、幸いその登山道の下り部分に落ちないよう気をつければ、横になるスペースはあり、木々があるおかげで風除けも出来そうでした。 リュックの中から長袖のジャケット(自衛隊の厚手の物)と、レインコート(米軍実物。2枚合わせると簡易テントも作れる優れものです。もっとも私一人なので意味ありません・苦笑)を取り出し、身につけました。そして頭と首にバンダナを巻き、頭に帽子をかぶり、ウエストパックとリュックをしっかりと装着しました。本来なら重たい荷物を降ろしてゆっくりしたいところですが、バックとリュックをつけて横になれば、部分的な風除けになるだろうと考えたからです。残念ながら寝袋やテントはもっていないため、これが私に出来うる防寒対策でした。 こうして21時半頃、私は人生初のビバークに入りました。
唯一気がかりなのはツキノワグマとの遭遇でしたが、遭遇したら諦めるしかないなと開き直りました。 悲壮感はありませんでしたが、やっぱり一人きりというのは淋しいものでした。それに退屈で退屈で(苦笑)。 ビバーク中、仮眠は30分ぐらいのを3回取りましたが、それ以外は起きて過ごしました。どれだけ時間をもてあましていたかわかっていただけるかと思います。 ライトを消して(バッテリーに限りがありますから)、沢からきこえる水音を聞きながら、星空を眺めました(都会よりよく見えました♪)、 ツキノワグマに遭遇することも、夜間登山者(夜の登山は危険ですが、昼の人通りが激しい山を嫌って、夜登るのを専門としている登山者もいます。また、山頂で御来光を見るために、夜登る登山者も多くいます)に会うこともなく、朝まで過ごしました。 無事に何事もなくビバークを終えましたが、途中不思議なことがありました。 夜の12時ぐらいになりますが、「ぼそぼそ・・・」という感じの人の声っぽい音が聞こえるのです。 もちろん、こういうものの多くは幽霊などではなく、風や沢の水音が人の声っぽく聞こえるだけなのですが、一度それでは説明がつきにくいものがありました。 時刻は1時半頃だったと思います。男性と女性の会話声ぽい声でした。 「・・・だよね」 という感じで、ぼそぼそ声と違って声に笑い声や抑揚があって、移動してきているよう聞こえるのです。 私は「御来光を見に来るにしては早い気がするなぁ。夜間登山者かな?」と思いながら、頭のライトを点滅モードにしてつけました。 もし登山者なら、道は私のいるところに登ってくるしかありません。鳥が登山道でのびているのを見たら、ビックリして山道を転げ落ちてしまうかも知れません。だから私はここにいますとわかるようにしたのです。 しかし待てど暮らせど登ってきません。結局30分ほど待ちましたが、声の持ち主は現れず、いつの間にか聞こえなくなりました。 それ以外にも、一度不思議なことがありました。 午前3時頃だったと思いますが、後ろからパッと光で照らされたのです。驚いて後ろを振り返ったのですが、誰もいません。 一瞬雷かとも思いましたが、雷鳴はしませんでしたし、照らされた部分はライトが当たったかのように範囲が限られていました(私を真正面に捉えて、1メートル位照らされた感じでした)。 こんな感じで不思議なことはありましたが、何事もなく無事朝を迎え、午前4時半頃、再び下山を開始しました。 ビバーク場所から30メートルほど下にある大倉沢に降りると、水を補給しました。ここの水は水場となっていないため、飲料には適さないかも知れませんが、背に腹は代えられません(お腹を壊すことはありませんでした)。そして山あり谷ありの登山道をゆっくりと進んでいきました。本当は一刻も早く進みたかったのですが、痛みはありませんが、足の調子が完全におかしくて、なかなか進めません。 人に遭遇したのは6時半ぐらいでした。人に会うのはかれこれ14時間ぶりぐらいです。男性登山者二人組で、「鳥さん早いねぇ」と声をかけられました。 私は苦笑して「昨日ビバークして・・・」と話すと、2人はビックリしていました。「大変だったね。あと1キロぐらいだよ。気をつけてね」と手をふって別れました。 結局私が登山口にたどり着いたのは8時半ぐらいでした。地図を見ると、1時間ぐらいの行程でしたが、4時間ぐらいかかりました(汗)。 登山道の入り口で、人がいないのを確認すると着替えしました。ぼろ雑巾状態の服を脱いでボディーシートで体をぬぐいましたが、靴を脱いで血でにじんでどす黒くなった靴下を見て、そそくさと靴をはき直しました(オイ)。 今回迂闊にも絆創膏など持ってきてなかったので、手当のしようもなかったからです(汗)。 朝9時前という事もあって、店はまだ開店準備中でした。店の方々もこんな時間に山から下りてきた鳥を見て目を丸くしていました。 私はペットボトルとアイスを買って、リュックの中のおにぎりと一緒に、栄養バランスの悪い朝食をとりました(笑)。 お店のお姉様から、「11時ぐらいにならないと温泉はやってないわよ」と聞いていたので、手持ちぶさたでしたが、みると足湯がありました。 そこで足の手当(といっても靴下を換えて、ウェットテッシュで拭うらいしか出来ませんが)をかねて、足湯に浸かることにしました。 靴下を苦労して脱ぐと(べったりくっついていました・汗)、皮はむけ血豆が裂け、水ぶくれが潰れてと予想以上に凄い惨状でした。ウェットテッシュできれいに拭いて足湯に浸かってみましたが、しみることしみること。思わず羽をばたつかせて「キャンキャン」言ってしましました。 足湯でこの惨状ですから、温泉はとても入れません。早々に湯から上がって手当もどきをして逃げ出しました。 こうして今回の登山は、温泉街にたどり着けたのに、足の怪我のため温泉を諦めるという残念な結果に終わりました。 この後私は路線バスでJR関山駅まで行き、そこで山小屋に謝罪の電話をして(PHSだと、燕温泉街は圏外でした・汗)帰宅の途につきました。 今回の登山、目標を達成することが出来ず無念の敗退となりました。おまけに予期せぬビバークという貴重な経験も体験することが出来ました(職場の登山の先輩は、「安全な山で、気候の良い時期にビバークの経験できたのだから、マイナスの経験でない」と慰めてくれましたが)。 次の登山では今回の経験を参考にして、無理しないよう気をつけないといけないなぁ、反省しきりです。 皆様も安全で楽しい登山となりますよう、気をつけてくださいね。 それではまた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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