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2014.09.07
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カテゴリ:プラモデル・艦艇

伊168.jpg

久々のブログ更新です。さらにプラモの更新も相当久々です(汗)。

今回は潜水艦を造ってみました。日本潜水艦伊168です。

日本海軍が初めて潜水艦を保有したのは、明治38(1905)年の事です。アメリカのエレトニック・ボート社が開発したホーランド型(排水量300トン。大きさからすると潜水でした)であり、性能的には実戦にはまだ使えないものでした。

日本潜水艦が大きく発展するのは、第一次世界大戦後、戦利品としてドイツのUボートを数隻獲てからです。

ドイツの潜水艦は、第一次大戦時、世界最高水準の性能を誇っており、それをベース(日本発の国産潜水艦伊1型は、ほぼドイツ潜水艦のコピーでした)に進化していき、第2次世界大戦が始まる頃には、世界でも指折りの潜水艦保有国になりました。

日本の潜水艦は、航続距離の長い偵察用の巡洋潜水艦(小型の水上偵察機を搭載しました)と、艦隊随伴可能な速度を持ち、攻撃力の高い海大型潜水艦という大きく2つの種類に分けて整備されました。

二本立てになったのは、日本海軍の仮想敵国がアメリカだったからです。

日本とアメリカが戦争になった場合、広大な太平洋が戦場となります。日本海軍は早期に米艦隊の動向を把握するため、航続距離の長い潜水艦をハワイや米西海岸に派遣して、米艦隊の補足に努めその位置を通報し、海大型潜水艦が敵戦艦や空母を襲撃して、艦隊決戦前の敵戦艦を減らし、消耗させてから決戦に持ち込むという漸減作戦構想があったからです。

こうして整備が進められた日本の潜水艦ですが、実戦では大きな活躍が出来ないまま、多大な犠牲を出しただけで終了しました。

その大きな原因は、潜水艦の特性を海軍上層部が全く理解していなかったことです。

潜水艦のもっとも活躍出来るのは、敵商船、輸送船に対する攻撃です。

海上艦と異なり、水中に隠れ、隠密活動が可能な潜水艦は、敵国の経済海域に進出して暴れ回り、通商を破壊する。または前線への物資・兵員の輸送を妨害して、大損害を与える。それが特性にあった使用方法でした。

事実、第一次世界大戦では、ドイツ潜水艦はイギリスの商船隊に甚大な打撃を与え、日干し寸前に追いやりました。そして第二次世界大戦では、アメリカ潜水艦は日本商船・貨物船の七割以上を撃沈し、シーレーンを完全に遮断しました。前線部隊は増援部隊を送ることも、武器弾薬・食糧を送ることもままならず、将兵は孤島で飢えに斃れ、戦争で疲弊していた日本経済は枯死させられました。

しかし漸減作戦に拘った日本海軍は、連合国輸送船攻撃や補給線遮断に投入しようとせず、警戒厳重な空母や戦艦部隊ばかりを狙って、返り討ちに遭うという戦い方を延々と続けたのです。

「日本海軍は、その強力な潜水艦部隊を、連合国の商船攻撃という正統作戦に決して振り向けなかった」
「米潜水艦が、日本貨物船に対する絶え間ない攻撃によって、その戦争潜在能力を枯渇させつつある時、日本側は米海軍が依存していた脆弱な油槽船や貨物船には目もくれず、警戒十分な艦隊ばかりを狙っていた」
「古今の戦争史において、主要な武器が真の潜在能力を、少しも把握理解されずに使用されたという希有な例を求めるとすれば、まさに第二次世界大戦における日本海軍の潜水艦の場合である」

そう評したのは、敵であるアメリカ海軍太平洋艦隊司令官チェスター・W・ニミッツ元帥です。彼は個々の日本潜水艦の性能や、魚雷の性能は高く評価していましたが、上層部の無理解と、運用方法の誤りを酷評しました。

「日本の潜水艦の造船技術は、列強と比べて決して劣っていなかった。下士官と兵は世界一です。ところが艦長となるべき人材、または用兵者に人材はいなかった」

とは伊41艦長板倉光馬少佐の評です。戦争を生き抜いた日本の潜水艦艦長も、ニミッツと同じ認識を持っていたのです。

日本潜水艦の悲劇は、さらに続きます。

連合国軍の反攻が始まった昭和17年9月以降、潜水艦は孤立した前線への物資輸送に駆り出されることになります。

制空権を取られ孤立した味方の島嶼に、輸送船がたどり着けなかったからです。しかし潜水艦というのは他の艦艇に比べて小さいので、物資を搭載できるスペースはほとんど無く(20~30トン程度しか積めません)、いくら投入したところで、前線の戦力を立て直すことも、飢えに苦しむ将兵を救うにも不十分で、せいぜい、孤立した島の将兵たちに、見捨てたりしないという意思表示程度の効果しかありませんでした(それでも飢えに苦しむ前線にとっては、わずかな米の輸送でも、貴重な命綱でした)

そして潜水艦で食糧を輸送していることに気がついた米軍は、機雷原を設置したり、哨戒機、魚雷艇を配備したため、輸送任務に出港した潜水艦の多くが帰らず、ここでも多大な出血を強いられることになったのです。

さらに大戦後半になると、連合国側の対潜対応能力が飛躍的に向上したため(大西洋でドイツ潜水艦の被害に苦しみ、戦訓から攻撃兵器、探知システムが飛躍的に向上しました)、出撃してきた日本潜水艦は、すぐに発見補足され、一方的な攻撃で大半が生還できなくなっていきました。

こうして日本潜水艦のほとんどが、鉄の棺桶となっていったのです。

日本潜水艦が、本来の得意分野である通商破壊戦に投入されることになったのは、昭和20年5月以降のことです(それまでは、大戦初頭に米西海岸で1月程度おこなわれた通商破壊戦と、ドイツの要請で、インド洋で英商船に対しておこなわれた限定的な作戦だけでした)

終戦までの約3ヶ月間で潜水艦部隊が挙げた戦果は、油槽船・輸送船15隻、巡洋艦2隻、駆逐艦5隻、水上機母艦1隻、艦種不明6隻の計29隻を撃沈し、太平洋戦争中に日本潜水艦があげた撃沈戦果の17%弱にのぼり、単一の作戦期間としては最大の戦果を上げています(この期間の戦果でもっとも有名なのは、テニアン島に原子爆弾の起爆装置を運んだ後、伊58に撃沈された重巡インディアナポリスでしょう)

とどのつまり、初めから通商破壊戦に潜水艦を投入していれば良かったわけです。そうすれば戦局も少しは変わっていたかも知れませんし、戦争の終わり方も違ったものになっていたかも知れません(良い変わり方になるとは限りませんが)

・・・と、書いている内に日本潜水艦の、大雑把な概説になってしまいました(汗)。 次回は、ミッドウェー海戦で米正規空母を撃沈した伊168の話に触れてみたいと思います。

伊168 1.jpg

伊168 性能諸元

排水量 基準:1,400トン 常備:1,785トン 水中:2,440トン
全長 104.70m
全幅 8.20m
速力 水上:23.0kt 水中:8.2kt
航続距離 水上:10ktで14,000海里 水中:3ktで65海里
燃料 重油:341t
乗員 68名
兵装 50口径八八式10cm単装高角砲1門、13mm機銃1挺、7.7mm機銃1挺
53cm魚雷発射管 艦首4門、艦尾2門(魚雷搭載本数は14本)
安全潜航深度:70m


プラモデルキット 「ハセガワ ウォーターラインシリーズNO432 日本潜水艦 伊370/68」

プラモはハセガワの古いキットです。そのためバリが多かったり金型が古くて造形が悪くなって来ている気がします。そろそろ手直しが必要かなと思います。

商品名見ると「伊68」となっていますが、間違いではありません。伊68は、昭和17年5月20日に、「伊168」に改名されたからです。






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Last updated  2014.09.08 23:22:27
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