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カテゴリ:プラモデル・艦艇
ヨークタウン雷撃後、伊168は意表を突く行動を取ります。直進して沈没しつつある米空母の下に潜り込んだのです。 「沈みつつある敵艦の下に突っ込むということは危険です。(こんな回答をしたら)兵学校では落第ですよ。沈みよるフネの下に潜る奴がいるか、ということになります。しかし、一か八かそうしなきゃいかんというのが、あの時の状況だったんです」 無謀とも大胆とも言える田辺彌八艦長の判断は、米軍を混乱させることになります。 ヨークタウンの被雷をみた護衛部隊は、下手人を見つけようと、最初右舷側(雷撃された側)を探し回ったからです。当然、沈みつつあるヨークタウンの下はノーマークでした。 まもなく伊168を発見したものの、海上はヨークタウンを脱出した乗員が多数漂流していたため爆雷攻撃できず、時間を浪費しました(田辺は夜の闇の紛れて脱出することを考えていました)。 そして人命救助が一段落すると、報復の激しい攻撃が始まりました。敵艦は入れ替わり立ち替わり、伊168の上にやってきて爆雷を投下していったのです。 幸い至近弾ばかりで(1発でも直撃すれば沈没してしまいますが)、被害はバルブが破損して、少し浸水する程度でしたが、逃げ出すことが出来ない以上(伊168の水中速度は8.2ノット程度で、水の上を32ノット以上出せる駆逐艦を振り切ることは不可能です。それに最大速度で走り回ると、すぐバッテリーが切れます)、ひたすら堪え忍ぶしかないのです。 そして伊168に最大の危機が訪れます。 1発の爆雷が伊168直下で爆発しました。衝撃で艦は1メートル以上跳ね上がり、乗員の多くが天井や床にたたきつけられました。そして艦の照明が消え、動力が停止しました。 「こちら機関室、電池破損!」 爆雷攻撃でもっとも恐ろしいのは、艦真下で爆発することです。突き上げるような下からの一撃で致命傷を負うことが多いのです。そして伊168は潜航中の心臓というべき電池が破損しました。 これで伊168は操艦不能、移動も浮上も出来なくなりました。もし修理が出来なければ、艦はこのまま鉄の棺になってしまうでしょう。 潜水艦の電池は鉛蓄電池です(車のバッテリー等で見たことがある方もいるでしょう)。正極・負極の鉛棒に電解液の希硫酸がケースに入れられて、複数個繋いで機関室内に設置されています。 希硫酸は危険物ですが、化学反応で発生する水素さえ気をつければ、扱いに慣れた機関員なら取り扱いは難しくありませんが、電池が破損すると、有毒ガスが発生し、触れれば皮膚がただれる劇物になります。 今回の伊168も、塩素ガスが艦内に蔓延して乗員は苦しみました(当たり前ですが潜航中は換気できません)。 艦は動けず、仰角20度の状態で爆雷攻撃を受けながら海中を漂うしかありません。暗闇の中、懐中電灯を頼りに、機関部員たちの必死の修理が続きます。 修理と言っても破損した電池は直せませんから、壊れた電池を取り除き、無事な電池だけで配線を組み直すのですが、爆雷攻撃のたびに作業が中断するので、修復に6時間近くかかりました。 そのため修理が終わる頃には電池残量は空となり、艦内の炭酸濃度も上昇していたため、浮上して充電と換気をする必要があり、田辺は危険を承知で浮上を決意しました。 「浮上する。浮上砲撃戦用意!」 6月7日17時頃、伊168は海面に出ました。 浮上と同時に、砲撃手と機銃手が飛び出して戦闘配置につきましたが、周囲に敵艦はいませんでした。 この時米艦隊は、スクリュー音などが確認できないことから撃沈したと考えて、約1時間ほど前に引き上げていたのです。田辺が双眼鏡で見回すと、1万メートルほど先に駆逐艦が2隻見えるだけでした。 「しめた! 両舷原速! 急速補気充電始め!」 ディーゼル機関が動き、換気と充電が開始されました。しかしそのため艦尾から黒い煙がもうもうと出始めました。 「敵駆逐艦2、急速接近中!」 黒煙を見つけた米駆逐艦は反転して来ました。 「反転180度、機関最大!」 伊168の水上速度は最大23ノットです。潜水艦の中では駿足の部類に入りますが、32ノット以上出る駆逐艦とでは勝負になりません。距離はどんどん詰まってきます。 「日没まであと30分か」 今伊168はバッテリーが干上がっていて潜航できません。夜の闇に紛れて逃げるしかありません。しかし日没前に敵は追いついてきました。 「敵駆逐艦、距離5千!」 田辺は潜航を命じました。距離が5千メートルを切ったら撃ってくると考えていたからです。換気も充電も不十分でしたが、3時間程度なら潜っていられる程度の量はチャージできていました。 「敵艦、発砲!」 艦が潜り始めるのとほぼ当時に、敵艦は撃ってきました。 この距離だと着弾までに50秒、伊168が急速潜航に要する時間も約50秒(練度十分な艦の場合。訓練不足な艦だと1分以上かかります)、きわどいタイミングです。 見張り員たちが次々に艦内に飛び込み、最後に艦長の田辺がハッチを閉めました。艦橋に押しかけていた海水がハッチの閉まる一瞬の間に押し寄せ、彼の上半身をずぶ濡れにしました。 次の瞬間、頭上で砲弾の着弾音が響きました。間一髪、伊168は海中に逃れたのです。 「潜航してから間もなく、敵駆逐艦が頭上に迫ってきましたが、投下爆雷も2、3発ですぐに引き上げていきました。日も暮れたし、これ以上制圧するのは無理と考えたか、爆雷が無くなったかしたんでしょう。 こうして伊168は危地を脱し、日本への帰路につきました。しかしそこでも苦労が待っていました。燃料が欠乏していたのです。 「呉まで燃料が持ちそうもないというので、北方に針路を取り、最短距離を片舷航行(船は左右に機関がありスクリューを動かします。同じ速度でも機関を両方動かすのと片方だけ動かすのでは燃費が違うので、燃料節約のため、片方だけで航行して燃料を浮かせるテクニックでした)で、帰路についたんです。北海道から三陸沖を南下して、もし燃料切れになったら、どこでもいいから入港して、漁船の燃料をもらおうと考えたわけです。 6月19日、伊168は無事帰投しました。 こうして見てみると、警戒厳重な敵艦隊を襲撃するのがいかに困難かがわかります。多くの日本潜水艦が空しく撃沈の憂き目を見た一端を感じることが出来そうです。 その後の話です。 一方、田辺彌八少佐は伊176の艦長に移動となりました。そして伊168同様、ガダルカナル島への物資輸送に従事しました。 昭和18年3月19日、ラバウルからラエ(ニューギニア東部)に武器弾薬と食糧の輸送任務中、敵機の襲撃を受け瀕死の重傷を負ってしまいます。 ラバウルでの手術で一命は取り留めたものの、潜水艦艦長として復帰できず(背中に突き刺さった爆弾の破片は、心臓と右肺の裏で止まり、当時の外科手術では取り除くことが出来ませんでした。そのため生涯酷い貧血に苦しみ、無理が出来ない体になってしまいました)、退院後中佐に昇進し、潜水学校教官、軍令部勤務で終戦を迎えています。 戦後は製紙工場を経営して平成2(1990)年に亡くなっています。起業時の工場には元部下が多く、生涯家族ぐるみで親交があったと伝えられています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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