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カテゴリ:旅行・史跡など
・・・さて、今更ですが、9月に登ってきました磐梯山(1816メートル)の話を書こうかなと思います。 なんでこんなに遅くなったのかというと、ブログに載せようと思っていたところに、御嶽山が噴火してそちらを書いていたら、機会がなくなってそのままになっちゃいました(汗)。 さて、今年は7月に妙高山で野宿する羽目になったこともあり、「登山を当面中止します」といっていたにもかかわらず、何故舌の根も乾かぬうちに登山に行ったかというと、購入したばかりのスマホの、山での繋がり具合を確認したかったからです(そのため友人に通話テストにもつきあってもらいました)。 ・・・まぁ、言い訳なんですけどね。 それから今回はじめにハッキリ言っておきます。温泉は今回もダメでした(涙)。 大きな問題なく登山してこれたという意味では成功でしたが、小さい失敗が多かったなぁと、反省点が多いです(多汗)。 今回行ってきたのは、福島県の磐梯山です。 福島の山というと、安達太良山(1710メートル)は四半世紀ほど前に登ったことありましたが、磐梯山は初めてです。明治21(1888)年の噴火の跡を見たいとかねがね思っていましたが、今回半分望みが叶いました(何故半分かは次回書きます・汗)。 今回、高速バスで東京から猪苗代まで向かいました。 丁度朝5時頃(到着予定時刻は4時50分ぐらいだったと思います)に着く便があったので、泊まり無しに日帰り登山できると言うのも都合がよいと考えました。 時間どおり猪苗代に着き、タクシーで登山口まで行くつもりだったのですが(この辺は2012年の浅間山・前掛山登山の際、登山口まで3時間かけて歩いて登って、いらぬ体力を消耗して苦労した反省から、無理せずタクシーと考えていたのです)、ここで最初の失敗が発覚しました。タクシーが一台もいなかったのです。 真っ暗な猪苗代の駅で少し戸惑っていると、たまたま通りがかったオバサンから、「タクシー? 電車動く頃になるまで来ないよ」と言われ、諦めて登山口まで歩くことにしました。 この瞬間、浅間山の時の悪夢が頭をよぎりましたが、幸い3時間かけて歩いた浅間山の時とは異なり、猪苗代登山口までは1時間程度歩けば着くはずなので(地図もあったので、迷う心配はありませんでした)、大きなロスにはならないとは思いましたが、初っ端から先行き悪いことこの上ありません。 猪苗代から10分ぐらい歩いたところで撮った一枚です。ものの見事に真っ暗です(汗)。 その中をぱたぱたと歩いていると、イヌの散歩をしている老ご夫婦に会いました。 「おはよう、鳥さん、何してるの?」 と気さくに声をかけてくださいました。 私も挨拶をして磐梯山に登る途中と応えると、道を教えてくださいました。おかげで地図からはずれていないことを確認できて大助かりでした。 で、その時のワンちゃん(すみません。写真はありません)に私は気に入られたようで、さかんに尾っぽを振りながら抱きつかれました。鳥類、子どもや小動物にはめっさもてるなぁと思っていたのですが、よく見ると、そのワンちゃん、心なしか口元に牙を光らせ、お腹を空かせている感じに見えました。 ・・・もしかして、私のことエサだと思ってね? 身の危険を感じた私は、ご夫婦にお礼を告げて早々に逃げだすことにしました(脱兎)。 猪苗代登山口近くの猪苗代観光ホテル前です。登山口はこの先のスキー場です。6時を過ぎましてようやく日も昇りました。 スキー場入り口近くでレギンスをつけ、登山届けを出すと、いよいよ登山開始です。 登りはじめて間もなく、振り返って撮った一枚です。遠くに見えるのは猪苗代湖です。 地元の人の話だと、磐梯山から猪苗代湖は、雲がかかっていて見えないことが多いそうです。私も何度か観てみましたが、このショットが唯一猪苗代湖が見えたものでした。
猪苗代登山口はスキー場を登っていくルートです。
猪苗代湖の展望が良いとガイドブックなどに書かれていますが、残念ながら雲がかかっていて見られませんでした。 そのかわり、うっすらと磐梯山山頂が見えました。 ここでスマホを見たところ、アンテナはちゃんと立ってました。一緒に持ってきたPHSは、ここではどうにかアンテナ一本たってましたが、この後間もなくご臨終されました。 いつも見慣れた山道です。道は細いですが、危ないと言うことはなく、淡々と進むことが出来ます。 ここは沼ノ平です。ここは湿原ですが、パッと見草原のように見えます。とても涼しい風が心地よい場所でした。 沼ノ平を過ぎると、岩が多く足場が悪くなりました。そして、ここでいったんスマホはご臨終となりました(今回テストで唯一電波が繋がらなかったところ)。 岩場をせっせと登っていくと、渋谷登山口との合流地点を越え登山者の数も多くなってきました。
爆裂火口壁に到着しました。ここが明治21年の噴火で吹き飛んだ小磐梯の跡地です。上から撮ったのですが、スケールが伝わってきませんねぇ(汗)。 写真左にある赤い縁のある池が銅沼です。
前の写真からやや東側を撮った一枚です。爆発でえぐれた山体の様子が今も分かります。 明治21年に起きた磐梯山の噴火は、水蒸気爆発でした(そのためマグマの流出はありません)。大規模な山体崩壊を引き起こしたそれは、磐梯山北側に大規模な岩屑なだれを引き起こし、5村11集落を埋没させ、477人もの死者を出しました。 雲がかかって見えにくいですが、写真奥にあるのが吾妻連峰です。 爆裂火口壁で一休みしながら、スマホのテスト通話をしました(開けた場所と言うこともありまして、スマホは蘇生しました。予想どおりというかPHSの方はご臨終のままでした)。 実はテスト時間を朝9時頃にすると友人と約束していたのですが、丁度その時間は電波の繋がらないところを歩いており、1時間遅れの連絡となりました(汗)。つくづくタイミングを外すと痛いことになります。 また、この時点でタイムスケジュールの方も、1時間遅れになっていました。登山中のコースタイムはほぼ予定どおりでしたが、登山口まで歩いた分、時間遅延が出ていたのです。 この時点ではまだ余裕があったので、大丈夫だと思っていたのですが、その後どんどん時間遅延が発生し、いつもどおり温泉行きがなくなる羽目になるとは、この時は思っていませんでした(涙)。
爆裂火口から撮りました。 ジグザグに続く登山道と、雲に隠れた山頂です。写真だとあまり感じませんが、傾斜は結構あり骨の折れる道です。 一休みしたあと、登山再開です。 (後編に続きます) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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