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カテゴリ:旅行・史跡など
高千穂峰への登山口のある、高千穂ビジターセンター前に着きました。 私は登山用の衣類に着替える必要があったので、ここで練馬のおじさんと別れました。 準備を終え、登山届けを出すと、私も登山開始です。
しかしこの地も御鉢の噴火で何度も被災したため、文明16(1484)年に現在の場所に遷りました。 こうしてみると、霧島神宮の変遷の歴史は、御鉢の噴火の歴史と重なるといえます。 ちなみに写真に写っているのが、練馬のおじさんです。 パワースポットとしても有名だそうで、下のビジターセンターの方の話だと、東京から飛行機でここにお参りに来て、日帰りで帰って行かれる方もいるそうです。 登山道は、この石段の手前、右方向の先にありますので、ここで進路変更です。 この岩は言うまでもなく、御鉢の火山噴火で噴出したものです。 写真でも見て取れますが、ガスがかかってますね。 朝一に登っていた方々とすれ違いました。 「鳥さんこんにちは。上は寒いよ。あと風が強いから気をつけて」 と言うアドバイスを受けました。 砂利に見えますが、これは4年前の新燃岳噴火で放出された火山堆積物、軽石が覆い尽くされたものです。つまり4年前は存在しないものなのです。噴火前は、赤茶色の岩場がずっと続くゴツゴツの登山道だったそうです。 新燃岳噴火の影響を、風下の御鉢や高千穂峰で、今も見ることが出来るのです。 「この道は いつか来た道 蟻地獄」 進むにつれ、軽石の厚さはどんどん深くなり、富士山宝永山で味わったような蟻地獄になりました(汗)。まぁ、あちらに比べればかなりましでしたけどね。 森林限界を超え、遮蔽物が無くなりました。そのタイミングで強風も吹き荒れ、雲が視界を奪い、足場の悪さと三重苦に見舞われました。 ゴツゴツの岩場が目につきますが、これが新燃岳噴火前の御鉢の登山道なのです。今は軽石で、前は足場の悪い岩場で大変だったそうです。
しかし視界はほぼ無く、両側が絶壁という嫌な状況です。 ここで私は帽子を飛ばされました。しっかりとあご紐を結んでいたのに、突風でえぐり取られるように吹っ飛ばされたのです。 反射的にヘッドスライディングして帽子をどうにか掴みましたが、わずか1メートル先が視界ゼロの崖というシチュエーションに、ヒヤリとしました(汗)。 下をのぞき込んでいると、強風で煽られ、思わず火口の底に引き込まれそうな感覚になりました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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