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カテゴリ:旅行・史跡など
登りは苦労した韓国岳ですが、降りは階段なので楽でした。行きでグラグラの危ないところも分かってましたしね。 途中一雨降りましたが、雨具を出すほどでもなく撥水性の強い軍服のおかげで、強行突破できました。 降りていくと、何組かの登山者と会いました。恐らく私たちより1本遅れのバスで来てで登ってきた人たちなんでしょうね。 ただこの日は月曜日と言うこともあり、登山者は少なかったです。簡単な挨拶と山頂の様子を説明しました。
つつじヶ丘口は、あまり登山者の多くない道だったそうです。しかし現在は、北のメイン登山ルートだった硫黄山から韓国岳に向かうルートが、火口周辺規制で使えないため(5月1日、硫黄山への火口周辺規制は解除され、北側ルートも登れるようになりました)、このルートから直接韓国岳を目指す人は多くなったそうです。 こちらの道は、昨日の雨のせいで、写真のように小川のようになっているところが多々ありました。 足を取られて難渋することはありましたが、幸い転ぶことなく、下山できました。
ところどころに韓国岳からの湧き水が流れています。登山道も水浸しのところが多いですが、特に大水になっているところもなく、濡れた岩で滑ったり、泥にはまったりするのを気をつければ何と言うことはありません。 ただし、歩くスピードはかなり落ちますね(汗)。 初めて通る道なので、ルートがあっているかが心配になります。 基本間違いそうな所はなく、歩きやすい道でしたが、それでも登山道を示す赤いリボンや、時折他の登山者の足跡を探しての確認は怠りません。 今までの疲れと、足を取られたり転ばないよう慎重に歩いていたせいか、少し時間が遅れ出しました。 森の中を歩くこと1時間20分ほど(登山地図にあるルート時間は50分です)になりましたが、これは想定内でした。なにせ数時間前まで雨降っていた訳ですし。慌てて歩いて転んで怪我でもしたらそれこそ大事です。 延々と続く森の道を歩いていて、「そろそろかなぁ」と思っていたところ、車のエンジン音が聞こえてきました。 ゴールは近いと気合いを入れ直して歩きました。 そして5分後、いきなりという感じで視界が開け、県道に出ました。つつじヶ丘登山口、今回の登山の終着点です。 登山口を出て、県道を渡ったところで撮った韓国岳です。 うーん、この時間になってようやく靄も晴れてきた感じですかねぇ。もっと早くに晴れてくれればよかったのに・・・。 私は公園の中にあるベンチで着替えを済ませました。バスが来るまで1時間ぐらい時間もあるので、のんびりと着替える事が出来ました。 汗が絞れそうな感じのTシャツやズボンとジャケットを脱いでゴミ袋(汚れ物を入れるため、毎回45リットルの大きさのゴミ袋を持って行っています)に入れ、一息つきました。 このままバスを待っていても良いのですが、それだと退屈です。500メートルぐらい離れたところに、えびのミュージアムセンターがあるので、お土産を見ながら時間を潰すことにしました。 そしてお土産を買い、バスに乗って霧島山をあとにしました。これからバスを乗り継いで鹿児島空港へ向かい、東京へ帰るのです。 ・・・あとから考えるともったいないことしたなぁと思いました。 どうせなら、もう一泊して温泉を堪能してから、明日朝帰る方がずっとよかったんですけどねぇ。 バスの中から、昨日泊まった霧島みやまホテルや、練馬のおじさんの泊まっているホテルとお別れしつつ、空港に行きました。 空港に着くと、洗濯物などをしまったリュックを宅急便で東京に送り(おかげで重たい思いをせずに東京へ戻れました。でも間違えて折りたたみ傘も一緒に送ってしまい、東京で一苦労することになりましたが・笑)、親鳥に電話で無事下山を伝えました。 そして夕食をとってのんびりと飛行機の時間を待ちましたが、ここで最後の波乱がありました。 「羽田空港が強風のため渋滞中。飛行機は関西新国際空港か、中部国際空港へのダイバートか、鹿児島空港へ引き返す可能性あり」のテロップが(汗) 「え? 東京そんなに酷い天気なの?」 この時私は、マジでもう一泊泊まるべきだったと激しく後悔しました。 結果的には飛行機は50分遅れで離陸し、40分遅れぐらいで無事羽田空港に着陸しましたが、最後までハラハラしました。 こうしてみると、今回の登山は、登山自体には大きなトラブルはなく終わりましたが、それ以外の所でトラブル続きでしたねぇ(汗)。 ともかく今回山登りとしては満足行くものでしたが、良い写真が撮れなかったとか、もう一泊したかったとか今後の参考にしたい点も多く出ました。 次回九州に遠征する際は(いつになるか分からないけどね・汗)、その点を教訓にしたいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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