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2016.11.17
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カテゴリ:旅行・史跡など
またまた、だいぶ間が開いてしまいました(多汗)。雌阿寒岳登山後のつれづれ記録です。
 
タクシーで民宿桐まで戻ってきたのは、だいたい14時ぐらいでした。
その時間だとまだランチタイムやっているはずなので、あらかじめ探しておいたアイヌ料理の店「民芸喫茶 ポロンノ」に行ってみました。
http://www.poronno.com/ 
ここで「ユック(鹿)セット」を注文してみました。料理の内訳は、ユックオハウ(ユックとは鹿のことでオハウはスープを言います。鹿肉とジャガイモ、にんじんにタマネギ、キノコ類や山菜などを煮込んだスープものです。石狩鍋や三平汁の元になったといわれるものです)、メフン(鮭の腎臓だっかな? の塩漬けしたものです)とアマム(米に豆や雑穀を混ぜた炊き込みご飯)の三点セットです。
がっつり食べるには少々量が少ないですが、登山帰りで疲れた体にはこれで十分染み渡ります。
 
さてアイヌ料理ですが、米、パンといった穀物の主食がないのが特徴です。もともとアイヌは、狩猟と採集、漁労が中心の生活環境ですから、穀物が無いのは仕方ありません。
ただしアイヌが農業を一切していなかったわけではなく、穀物は稗(ヒエ)や粟(アワ)を栽培していました。米でなく稗や粟なのは、北海道では米が生産出来ず、寒さに強い作物である稗や粟しかなかったためです。もっとも狩猟・漁労民であるアイヌは、農業生産はあまり本腰を入れるものではなかったようで(アイヌ女性の片手間の仕事という位置づけだったようです。ここまで農業が軽視された理由は、寒冷地の北海道では農業生産量が頭打ちであったのと、本州の和人との交易が盛んになると、稗や粟や米は交易で手に入れられたからのようです)。
ちなみに日本人は米という感覚がありますが、和人にとっても稗は(アイヌほどではないですが)重要な作物でした。
宮中行事である新嘗祭などでも、天皇に五穀(米・麦・粟・豆・稗。ただし現在は、稗の代わりに黍(キビ)が入ることが多いようです)が捧げられるなど、米と同様大事にされた作物であり、日本人の食生活になじみが深いものです。
例えば江戸時代中期以降、津軽藩、南部藩など東北北部の諸藩でも、米の生産が出来るようになっていきますが、穀物生産の内訳は6~9割が稗でした。
東北北部の米と稗の生産比が逆転するのは昭和になってからですが、そのことはあまり知られていませんね。
アイヌでは、稗は食べるだけでなく醸造して酒を造り(「トノト」と言ったそうです。日本酒で言うところのどぶろくに近い感じだったようです)、神に捧げていました。この辺は和人が米で酒を造り、神に捧げていたのと同じ感覚です。
残念なが今回、稗を食べることも出来ず(もしかしたらご飯に少し含まれていたかもしれませんが)、アイヌのお酒も飲むことが出来ませんでした(現在は製造しているかも不明)。機会があったら味わってみたいですねぇ。
ポロンノで食事を終えた後、大きな荷物を宅配で東京に送り、宿に戻りました。時刻は丁度4時過ぎで、テレビを何気なくつけてみると、『水戸黄門』をやっていました。久々二代目黄門様の西村晃さんの顔を拝ませて頂きました。
そんな感じに部屋でのんびりと過ごし、宿のお風呂を堪能している内に時刻は19時過ぎになりました。
このころになると体の疲れはひとまず抜けまして、まだ寝るのも早い時間でしたから外に遊びに行きたくなりました。
そこで当初は予定になかったアイヌコタンを見に行くことにしました。
 
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我が同胞、フクロウ殿がお出迎えです。
 
 
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中はこんな感じです。ポンチセはアイヌ語で「小さな家」を意味する言葉だそうです。
見て回っていると、夜の古式舞踊の時間がやってきました。阿寒湖にまた来れる機会があるか分かりません。そこで思い切って見に行くことにしました。
 
 
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館内は撮影可です(ただしフラッシュは不可です。踊っている人の目がくらんでしまうからでしょうね)。フラッシュがないのでやや不鮮明ですねぇ。
アイヌにとって、踊りはただ楽しむだけでなく、祖先や神々に対して敬意や感謝を表すものでもありました。
神道でも神楽がありますから、それと同じような感じですね。
写真真ん中のマンホールのようなものは、古式舞踊の公演の30分後におこなわれる火まつりの設置場所です。
 
 
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こちらは火まつりの写真です。先刻のマンホールのところに火がつけられています。
先刻の古式舞踊と演目が被っているところもありますが、別物と言っていいと思います。なので両方見て楽しめると思います。
演目の最後は観客参加の踊りです。私も参加しました。もし人の輪に入って踊っている鳥を見かけたか互いましたら、あれは私です(笑)。
 
(次回が最後の旅行記録です)





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Last updated  2016.11.18 12:04:33
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