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カテゴリ:旅行・史跡など
横須賀駅から三笠公園までは、歩いて25分ぐらいです。途中道に迷うアクシデントもありましたが(開き直って迷った先で見つけた食堂で、「横須賀海軍カレー」を頂きました。とても美味しゅうございました)、無事に三笠公園につきました。 「あれ? 人が多いな」 と言うのが第一印象でした。 ↑は、12年前に三笠公園に行った時の写真です。東郷元帥の像は今の方がきれいですが、船体の方は、前の方がきれいだった印象です。経年の劣化は致し方ないですね・・・。 三笠公園を歩いていくと、駐車場は痛車、コスプレした人たちがわんさか(特に衝撃を受けたのは、女装(!)した男性コスプレイヤーが大勢いたことですねぇ・汗)、「あ、あれ ?今の三笠はこういう人が多いの?」と驚きました。 コスプレの人たちは大別して、軍服関係(まぁ、三笠は軍艦だし、海軍の軍服着て歩いている人がいても違和感ないのですけど、陸軍のコスプレ、外国の軍服のコスプレもいて、よりどりみどりでした) と、アニメ・ゲーム関係(私がおぼろげながら分かったのは、「ガルパン」と「艦これ」というやつでした)でした。 私は基本的に、この手のコスプレには免疫がある方なんですけどね・・・。しかし今日そういうイベントがあると分かっているならともかく、不意打ちのように遭遇すると、全く免疫機構が働かないものですね(友人に、「ウチらも軍服来てくれば分かったねぇ」と軽口たたくのが精一杯でした)。 とりあえず、周囲をあまり見ないようにしながら(男女を問わず、似合っている方も居ましたが、新宿二丁目から出張してきたような方も居て、とりあえず視界に入れ無いようにしていました・笑)、三笠見学です。 三笠の由来です。画像が小さくて見にくいですね。 名前は、 奈良県の三笠山(若草山)にちなんで命名されました。 入り口前には、なぜか大和型の砲弾が展示されています。 これは日露戦争で日本軍と戦ったロシア巡洋艦バヤーン(旅順艦隊所属)の装甲板です。写真のように貫通痕があります。 バヤーンは戦闘で大破し、改訂に着底状態で旅順陥落を迎えました。 その後日本海軍が接収し、自軍編入のため浮揚、修理されて、「阿蘇」と改名して、日本海軍に編入されて就役しました。 そして1931年に老朽化のため廃艦となり、砲撃訓練の標的艦となり沈没、その生涯を閉じました。 三笠甲板の様子です。 コスプレしている方々が写った写真をなるべくのぞいているのですが、そうすると載せられる写真が少なく、あちこち飛んだ写真しか載せられないのが残念無念です(汗)。 復元された7.6センチ単装砲です。簡単に動かすことが出来ます。もちろん外見だけの復元のため、大砲としての機能はありません。 外には痛車が見えますねぇ(汗)。 こちらは15センチ副砲です。こちらは7.6センチ砲と違って動かすことは出来ません。 前部甲板から主砲30.5センチ連装砲と艦橋を撮ってみました。主砲は完全固定されてしまっているのが残念ですねぇ。 今から艦橋に登ります。 今度は艦橋から前部主砲と甲板を撮ってみました。 当時は露天艦橋ですので、艦長からみた目線はこんな感じかもしれません。 (続きます)
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