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2017.01.28
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カテゴリ:プラモデル・艦艇
ビスマルクと.JPG 
1941(昭和16)年5月18日、戦艦ビスマルクと重巡洋艦プリンツ・オイゲンはライン演習作戦のため密かに出発しました。
 
2隻は同日スカゲラク海峡にさしかかりましたが、ここで中立国スウェーデンの航空巡洋艦ゴトランドと予期せぬ遭遇をしました。
海峡の対岸はスウェーデンでしたから、ゴトランドはたまたまパトロールしていたのです。
すぐに中立国スウェーデン艦と気がついたリンデマン艦長は、戦闘準備は命じませんでしたが、苦々しい顔でゴトランドの動向を目で追いました。彼はこれでイギリス側にビスマルク出撃の情報が漏洩すると考えたのです(艦隊司令官のリュッチェンス中将は、リンデマンほど深刻にはとらえなかったようです)
一方ゴトランドは、ドイツ艦がスウェーデン領海に侵入する可能性を警戒して、針路を変針して追尾してきました。こうして数時間にわたり、ビスマルクはスウェーデン艦から追跡されました。
ビスマルクとオイゲンが、スウェーデン領海から遠ざかるのを確認して、ゴトランドは引き上げましたが、リンデマンの危惧通り、この情報はイギリスに伝わりました。
ゴトランドが自国の海軍司令部に、「ドイツの大型艦2隻、スカゲラク海峡に向かう」と通信したのを、ストックホルムのイギリス大使館がキャッチし、すぐに駐在武官がスウェーデン海軍当局者に接触して、情報のウラをとったのです(ただしビスマルク自体を確認していたわけではなく、「ドイツの大型艦2隻。スカゲラク海峡を抜け、北海へ向かって公開中。1隻はビスマルクの可能性あり」という不確実情報でした)
 
こうして出港半日で、作戦は発覚しました。
 
イギリス海軍は直ちに警報を出しました。北海から大西洋に至るるチーク(峡海)海域に巡洋艦を派遣し、デンマークからノルウェーの海岸線全域に、しらみつぶしに偵察機を飛ばしてドイツ艦発見に努めました。
 
一方、北海に入ったビスマルクとオイゲンは、5月19日、ノルウェー沿岸のフィヨルドの中に入り、出撃前最後の燃料補給をおこないました。
補給が終わるまでの間、手空きの乗員たちに休息が許可されました(ただし何もないフィヨルドの中だったので、上陸は許可されませんでした)。これが乗員たちにとって、最初で最後の休息になりました。
 
bismarck_Prinz20Eugen.jpg ↑フョルドに錨泊中の戦艦ビスマルクです(プリンツ・オイゲンから撮影された写真をCGで着色したものです)
 
ビスマルクの甲板に出て羽を伸ばしていた乗務員たちは、上空を英軍機が飛ぶのを見て驚愕しました。フィヨルドの中にうまく隠れていたつもりだったのに、早くも発見されてしまったのです。一方のイギリス側も、偵察機が撮ってきた写真から、ビスマルクが出撃してきたことを完全に把握しました。
出港予定の船舶の出発はすべて延期となり、大西洋を航行中の貨物船や輸送船は、近くのイギリス領もしくは中立国の港へ避難するよう命令され、スコットランド北方のオークニー諸島スカパ・フローにいた本国艦隊には出撃命令が下りました。
当時、スカパ・フローにいた主力艦は、戦艦キングジョージ5世、プリンス・オブ・ウェールズ、巡洋戦艦フッド、航空母艦ヴィクトリアス、あとは巡洋艦と駆逐艦だけで、包囲網を形成するのは、数が不十分でした(しかも、戦艦プリンス・オブ・ウェールズと空母ヴィクトリアスは艦の完成から3ヶ月未満で、訓練も始まったばかりでした)ので、大西洋で行動中の戦艦は、すべてスカパ・フローに戻るよう指示が出されました。
 
イギリス側でビスマルク迎撃の対策が講じられていたころ、ビスマルクでは作戦の最終計画が確認されました。
英軍機に所在を確認された以上、作戦決行を早めて英海軍の包囲網ができる前に、大西洋へ進出すべきと決められたのです。
作戦を中止して撤退するという意見は誰からも出ませんでした。
結果を知っている後日の視点から見れば、この時作戦を中止してりゃ良かったのにと思いますが、当事者たちがその後の運命を知るはずもありません。それにこの時ドイツ海軍には、目に見えない一つのプレッシャーがありました。
一年前に、ドイツの巡洋戦艦シャルンホルストとグナイゼナウが通商破壊戦に出撃しましたが、フェロー諸島(スコットランドの北にある島々)北の海域を監視していた英仮装巡洋艦ラワルピンディ(仮装巡洋艦とは民間の貨物船や商船を徴発して、簡単な武装と通信設備を設けて補助軍艦としたものです。第二次大戦では日独英3国が運用しました。載せている大砲は巡洋艦クラスの強力なものですが、元は民間船のため防弾装甲はなく、速度も低速で正規の軍艦にはかないません。ドイツは仮装巡洋艦を攻撃(中立国の船に偽装して敵商船を襲撃しました)に多用しました。日本とイギリスは、もっぱらパトロールや兵員・物資の輸送に利用しました(日本は数回通商破壊戦に投入していますが、大きな戦果無く終わっています))に発見され、これを撃沈した後、作戦を中止して引き上げた事がありました。
ラワルピンティから命を引き替えにした通報を受けたイギリス海軍は、すぐに本国艦隊を総動員して包囲網を作り上げたのですが、シャルンホルストとグナイゼナウが、ドイツ本国へ逃げてしまったので捕り物になりませんでした。
もし作戦を続行していたら、2隻とも沈められていた可能性が高かったのですが、そんなことを知るよしもないヒトラーは立腹し、艦隊司令官マルシャル中将は解任され、海軍は臆病だと大叱責を受けました。この件が尾を引いて、現場では作戦を中止することに及び腰になっていました。
さらに今回の出撃は、渋るヒトラーに、レーダー元帥が大見得を切ってはじめたものです。
今更、敵に発見されたから作戦を中止したいという意見を、海軍上層部が許すはずもありません。
 
ビスマルクとプリンツ・オイゲンは、直ちにフィヨルドを抜錨しましたが、ビスマルクにとって面白くないタイミングでした。
燃料補給は、オイゲンが優先しておこなわれていたために、ビスマルクの方は補給出来ずに出港となってしまったからです。もっともこの時は、ビスマルクの前部燃料タンクは満タンで、燃料が逼迫しているわけではなかったので、特に問題視はされませんでした。
しかし、ノルウェーで燃料の補給が出来なかったことが、日々に大きな影響を与えることになってしまいます。
 
こうして、ビスマルクの最初で最期の休息は終りました。 





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Last updated  2017.02.01 23:08:55
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