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カテゴリ:プラモデル・艦艇
ノルウェーを出発した戦艦ビスマルクと重巡洋艦プリンツ・オイゲンは、イギリスの警戒網をさけるため一端北極圏近くまで北上し、それから針路を西にとりました。 向かったのはグリーンランドとアイスランドの間にあるデンマーク海峡でした。ここはイギリス海軍本国艦隊根拠地スカパ・フローから遠く離れており、まだイギリス艦隊の展開は進んでいないと考えられていたのです。 しかしその予想は早くに当てが外れます。5月21日、アイスランドの北方で警戒中のイギリス重巡洋艦ノーフォークに遭遇したのです。 英独双方の艦は、レーダーでお互いを発見、直ちに警戒態勢に入りました。とはいえ、38cm砲8門を持つ戦艦相手に、8インチ(20.3cm)砲8門の重巡洋艦では勝負になりません。ノーフォークは2隻のドイツ艦を後ろから追い始めました。 しかし、ノーフォークがビスマルクの主砲の有効射程内に入り込んだことから、リュッチェンス中将の命令で、ビスマルクはノーフォークに主砲を発射しました。 砲撃は当たりませんでしたが(ビスマルクの光学照準システムは、30km先の乗用車を狙い撃つことが出来るほど精度の高いものですが、現在のレーダーやGPSを利用した電子照準システムとは異なり、光学照準は、人間がターゲットスコープ(照準機)をのぞいて計測し、クロスゲージ(目盛)が一致した場所をヒットポイント(命中点)として射撃するため、どうしても誤差が出ます。通常、砲弾を3発命中させるためには、100発位撃って誤差を修正する必要があります。初弾から命中などという芸当ができるのは、小説やドラマの中だけで、実際にはほとんどありません)、ノーフォークは大慌てで逃げ出しました。 ビスマルク生まれて初めての戦艦への攻撃は、皮肉な形で跳ね返りました。主砲の爆風でレーダーアンテナが全損してしまったのです。
自分の武器で、自分が壊れるなんてと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、ビスマルクのレーダーが取り付けられたのは出撃直前で、しかも砲撃訓練をしていなかったため、爆風でアンテナが壊れる位置にあることに気がついていなかったのです。 船や兵器に限らず、飛行機も乗用車も、設計された段階では完璧です。しかしどこかに思わぬ欠陥は隠されているものなのです。初期トラブルがあるのは当たり前、何度も何度もテストしないと、良い製品は出来ません。 ちなみに日本の戦艦武蔵も、訓練で主砲46cm砲9門を斉射したところ、衝撃で艦橋のエレベーターのケーブルが切れて、落ちる事故が起きています(幸い人は乗っておらず死傷者は出ておりません)。それを改善して実戦配備されています。 レーダーが使えず、前方の警戒が出来なくなったビスマルクは、ここでプリンツ・オイゲンと位置を交代し、オイゲンが先頭、ビスマルクが後ろに続く形になりました。 一端海域を離脱したノーフォークも、僚艦の重巡洋艦サフォークと合流し、ビスマルクの射程に入らないよう気をつけながら(でも何度か近づきすぎて、砲撃されています)、2隻で後ろから追跡を開始しました。 この時イギリス艦は、ドイツ艦の入れ替わりには気がついていません。そのことが数日後、イギリス側に衝撃的な悲劇を招くことになります。 ノーフォークの通報を受けた時、アイスランドとオークニー諸島間には、戦艦キングジョージ5世(本国艦隊司令長官トーヴィ大将が座乗)と空母ヴィクトリアスが、デンマーク海峡には巡洋戦艦フッド、戦艦プリンス・オブ・ウェールズが向かわせました。 ビスマルクの位置と速度から計算すると、24日早朝に、フッドとプリンス・オブ・ウェールズが会敵する予定でした。 広い大西洋に出る前に補足、撃沈出来ると、チャーチル首相とイギリス海軍上層部は安堵しました。 ここで、脱線して「巡洋戦艦」という艦について、簡単に解説したいと思います。 巡洋戦艦とは、艦の大きさと武装は戦艦と同等で、速度は戦艦を上回る一方、装甲は舷側に必要最低限しか備えられていない艦種です。 あとから考えると、なんでこんなアンバランスな艦を作ったのかと言いたくなりますが、話は日露戦争に遡ります。 この時大活躍したのが、高速の装甲巡洋艦(舷側に防御装甲を持った巡洋艦のことです)でした。 装甲巡洋艦の攻撃力と防御力を上回るのは戦艦だけでしたが、装甲巡洋艦は足が速いので遭遇しても逃げられてしまいます。そして戦艦以外の艦には強いので厄介な存在でした。ウラジオストックにいたロシア海軍の装甲巡洋艦は、日本の輸送船を襲って補給路を脅かしました。 イギリスは日本同様島国でしたから、敵が装甲巡洋艦を大量投入してシーレーン(海上交通路)が寸断されては、国の存亡に関わります。 そこで装甲巡洋艦を劇はするために、巡洋艦並みの高速で、戦艦並みの武装の巡洋戦艦が誕生したのです。 一見すると合理的なコンセプトですから、誕生国イギリスだけでなく、ドイツやアメリカ、日本に広まりましたが、活躍出来たのは第一次世界大戦の前半だけでした。 1914年10月のフォークランド島沖海戦で、英巡洋戦艦は独装甲巡洋艦を一方的にノックアウトして有効性を発揮していましたが、1916年5月のジュトランド沖海戦で致命的な欠点が露呈しました。 独戦艦と撃ち合った3隻の英巡洋戦艦は、たった数発の被弾で弾火薬庫に引火して沈没してしまったのです。 確かに巡洋戦艦の火力は戦艦並みでしたが、装甲が薄いので戦艦と殴り合いをすれば、沈むのは巡洋戦艦の方です。敵戦艦がいる海域に巡洋戦艦を送り込むことは、自殺行為になってしまったのです。 そして戦争中、エンジン技術が向上して、戦艦の武装と装甲をもったまま、巡洋戦艦並みの足の速さを持つ高速戦艦が開発されると、完全に価値がなくなってしまいました。 第一次大戦後、巡洋戦艦の大半はスクラップにされるか、全面改装されて普通の戦艦や高速戦艦に変わっていきました。日本の赤城、アメリカのレキシントンやサラトガのように、空母に生まれ変わった艦もいます。 しかしイギリスでは、第二次世界大戦時世界で唯一、フッドとレパルス、レナウンと3隻の巡洋戦艦が在籍したままでした(日本の金剛型、ドイツのシャルンホルスト型は巡洋戦艦と呼ばれることがありますが、実質的には高速戦艦と呼ぶ方が正確です)。 3隻とも第一次大戦末期に建造され、戦後は世界大恐慌のあおりで予算が無く、改装されないままになっていたのです。 しかし当時の射撃システムでは、2万メートルを超す遠距離砲撃戦で、弾火薬庫を撃ち抜く確率は、さながら宝くじに当たるようなものでしたから、特に不安視されていませんでした。 そしてベテラン艦ゆえに乗員の訓練は行き届いていましたから、むしろ頼もしい存在とみられていました。 フッドは、約4万7千トン(満載時)の巨大な艦で、ビスマルクが誕生するまで世界最大の艦でした。イギリス国民から「マイティ・フッド」の愛称で慕われ、長らくイギリス海軍の象徴として君臨していました。主砲は15インチ(38.1センチ)砲8門を搭載して、攻撃力はビスマルクと互角でした。 この時危惧されていたのは、戦艦プリンス・オブ・ウェールズの方でした。 ウェールズは竣工して日が浅く、主砲が未完成(配線関係が工事中で、民間人の工員が乗っていました)だったからです。そんなこともあって、艦隊旗艦はフッドで、司令官ホランド中将はフッドに便乗していました。 1941年5月24日早朝、デンマーク海峡で、両者は遭遇し突入しました。 次は英独巨艦対決、デンマーク海峡海戦について触れてみたいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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