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カテゴリ:プラモデル・艦艇
「マイティ・フッド」の名で国民から親しまれてきた巡洋戦艦フッド沈没の報は、イギリス国民に衝撃を与えました。 チャーチル首相は、すぐに第一海軍卿パウンド元帥に電話して、「いかなる犠牲を払っても、ビスマルクを追い詰め撃沈せよ」と檄を飛ばしました。 もちろん、海軍も手を呆然と手をこまねいていたわけではありません。すぐに新たな対策を講じました。 まず任務を中断して、大急ぎで戻ってきた戦艦ロドネイ(ネルソン型戦艦。16インチ砲9門搭載)を、戦艦キングジョージ5世と空母ヴィクトリアスに合流させました。またグリーンランド西方で船団護衛中の巡洋戦艦レパルス、戦艦ラミリーズも任務を解いて、ビスマルク追撃の命令をだしました。 さらに本国艦隊だけでは戦力不足のため、地中海艦隊にも出撃命令が下りました。 ジブラルタルに駐留するH艦隊(艦隊司令官はサマヴィル中将)旗下の巡洋戦艦レナウンと空母アーク・ロイヤルが出撃しました。イギリス海軍はもてる戦力をすべて投入してきたのです。 先の戦闘で中破したプリンス・オブ・ウェールズも、ノーフォークとサフォークと一緒に追跡を継続しており、イギリス海軍がビスマルク追撃に投入した戦力は、戦艦4隻、巡洋戦艦3隻(沈没したフッドも含みます)、空母2隻、巡洋艦11隻、駆逐艦21隻、潜水艦6隻、航空機300機というとんでもない数に及んでいます。 24日22時、空母ヴィクトリアスの艦載機9機がビスマルクを攻撃し、魚雷1発を命中させたものの、足を止めることは出来ませんでした。 戦記物の本などでは、この時の戦闘で、ビスマルクの反撃でヴィクトリアスの攻撃隊は5機を失ったと書いてあるものもありますが、実際には1機も撃墜されていません(ただし5機喪失しているのは確かです。しかしそれは撃墜されたのではなく、帰りに母艦まで戻れず遭難した可能性が高いようです。ヴィクトリアスは就役から数ヶ月しか立っておらず、艦載機搭乗員の訓練はまだ不十分で、未熟だったためです)。 というのもビスマルクの対空兵装に、重大な欠陥があって、効果的な攻撃が出来ないことが発覚したのです。 ビスマルクの対空兵器の配置は、艦橋の左右側面にひな壇式に設置していました。ひな壇下の部分に10cm高角砲が、上の位置に対空機銃が設置されていましたが、この配置は失敗でした。 高角砲を撃つと、閃光と爆炎で視界がゼロとなり、対空機銃が敵機を狙って撃つことが出来なかったのです。明らかに設計ミスでした。 さらに高角砲も威力は十分でしたが、陸上兵器を転用したもののため、砲の素早い旋回能力が低く、速射が出来ませんでした。 レーダーの時と同様、武装の配置や性能テストが不十分だったため、設計ミスに気がつかなかったのです。 度重なるイギリス軍の攻撃に、ドイツ側も疲労を隠せなくなってきました。重巡洋艦ノーフォークの接触を受けて以来ずっと戦闘配置のままで、乗員は寝る間もありません。さらに燃料不足でビスマルクが高速を出せないのも気がかりでした。 そこで、リュッチェンス提督はオイゲンと別れる決心をしました。いざという時はオイゲンだけでも逃げられるし、二手に分かれて上手くイギリス側を攪乱出来れば、ビスマルクも逃げられる確率が高くなります。 25日3時、追跡しているウェールズ以下の英艦隊が、左に大きく舵を切ったタイミング(この海域は、ドイツ潜水艦Uボートの狩り場だったので、英艦隊は警戒してジグザグ航行していました)で、ビスマルクとオイゲンは右に大きく舵を取り、さらに南東に進路を変えて、イギリス艦隊のレーダー探知範囲から脱出しました。 「武運を祈る」と灯火信号で会話した後、2艦は二手に分かれました。これが不運なビスマルクと、ドイツ海軍一の幸運艦プリンツ・オイゲンの永遠の別れとなりました(プリンツ・オイゲンは6月1日に、無事にブレスト軍港まで辿り着いています。またその後も幾多の戦闘をくぐり抜け、終戦まで生き延びたドイツ海軍きっての幸運艦でした)。 一方、ビスマルクをレーダーからロスト(失探)したという報告に、イギリス海軍は焦燥を募らせました。 この時、イギリス側はビスマルクの損傷が深刻であることに気がついておらず、どの方角に向かっているか見当がつかずに、手詰まり感が強くなっていました。 さらに動員した艦隊の燃料不足が気になり始めました。 なにせ準備万端待ち構えていたところに、ビスマルクが飛び込んできたわけではありません。通常の任務を淡々としているところに急な出撃命令となり、慌てて走り回っている訳ですから、燃料の補給などすっ飛ばしています。 小型の駆逐艦などは、燃料不足で脱落艦が出始めました。大型の戦艦や空母なども、行動限界が近づいてきました。イギリス側も燃料の逼迫が足を引っ張りはじめたのです。 一方、リンデマン艦長の見事な操艦で、イギリス軍の追跡を振り切ったビスマルクですが、実は逃げられたことに気がついていませんでした。 ビスマルクはレーダーが使えないため、有視界に敵艦がいなくても、追跡を受けていると思いこんでいたのです。 その誤解が取り返しのつかない致命的なミスを発生させました。リュッチェンス提督がデンマーク海峡海戦の戦闘詳報を、ベルリンのドイツ海軍本部に送信させたのです。 どうせ敵の監視下にあるのだから、いまさら長文の通信(通信が長ければ、その分敵に位置を探知されやすくなります)を送っても問題ないと考えたのです。 通信をキャッチしたイギリス軍は、三角測定で方位を絞り込んで索敵を強化し、5月26日10時半、フランスへ向かうビスマルクを偵察機が発見しました。偵察機からの通報で近くにいた軽巡洋艦シェフィールドが急行接触し、再びビスマルクはイギリス軍のレーダー探知圏内にとらえられてしまったのです。 思わぬ幸運から、ビスマルクを再補捉したイギリス海軍でしたが、事態が好転したわけではありません。 ビスマルクは、ブレストのドイツ軍戦闘機行動範囲まであと1日で逃げ込める位置にいました。戦艦キングジョージ5世、ロドネイは、ビスマルクの北約240km付近におり、全速力で走っても追いつけません(こちらも燃料不足で、高速で走れない状態でした)。 他の艦も、巡洋戦艦レパルスは高波で損傷して戦線離脱、戦艦プリンス・オブ・ウェールズ、空母ヴィクトリアスは燃料不足で脱落帰投し、グリーンランド西方にいる戦艦ラミリーズも、距離が遠くすぎて追いつけません。巡洋艦、駆逐艦も半数以上が燃料不足で脱落しはじめていました。 戦艦はどうがんばってもビスマルクに追いつきませんが、飛行機なら攻撃可能です。そこで空母アーク・ロイヤルに空から攻撃させることにしました。 この時期、まだ飛行機は戦艦より弱いと考えられていた時代です。飛行機ではビスマルクを沈める事は出来ないだろうけど(事実撃沈は出来ませんでした)、時間的には日の沈むまでに2回攻撃を仕掛けられるから、ビスマルクを損傷させて、足止めするぐらいは出来るかもしれないと考えたのです。 これがイギリス軍にとって、予想外の戦果をもたらすことになります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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