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2017.02.04
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カテゴリ:プラモデル・艦艇
DSCF2341.JPG 
5月26日14時40分、空母アーク・ロイヤルから、15機のソードフィッシュ攻撃機が発艦しました。
英軍のソードフィッシュという攻撃機ですが、翼は金属フレームに布張りの二枚羽、胴体は木製という古めかしい複葉機でした。全金属製の機体が主流になっていた第二次世界大戦の水準には及びもつかない代物でした。
 
fairey_swordfish.jpg
↑ソードフィッシュ攻撃機の写真です。
  
そんな機体をイギリス海軍が使っているのは、飛行機のノウハウがなかったからです。
第一次大戦末期に空軍が創設された際(1918年4月1日)、イギリス海軍は保有していた飛行機約1800機全部をとられてしまい(海軍は空軍創設記念日を、「悪夢のエイプリルフール」と呼んで嘆きました)空母はあっても艦載機がない状態になりました。
1930年代になってようやく艦載機を持つ権利を取り戻しましたが、技術的な空白のデメリットは大きく、骨董品のような攻撃機しかありませんでした。
第二次大戦中、それでも齟齬を来さなかったのは、ドイツやイタリアが空母を持たず、攻撃に行っても戦闘機に襲われる心配がなかったからです。しかし強力な空母機動部隊を持っていた日本には太刀打ち出来ず、太平洋戦争が始まるとイギリス空母は早々に、アフリカ東岸まで逃げて戦いを避けなくてはいけなくなりました。
イギリス空母が再び太平洋戦域に姿を現すのは、1944年の夏以降、日本の空母機動部隊が、マリアナ沖海戦で壊滅してからのことです。
 
脱線はさておき、ビスマルク攻撃に向かったソードフィッシュ攻撃隊は、ここでとんでもない事態に遭遇します。それは同士討ちでした。
ビスマルクの後方に、味方の軽巡洋艦シェフィールドがいましたが、連絡の行き違いでアーク・ロイヤルに知らせが届いていなかったため、攻撃隊はビスマルクとシェルフィードを誤認(比較対象のない大海原で、上空1千mからみれば、艦の大きさなんて正確にわかりません)して、攻撃を仕掛けてしまったのです。
シェフィールドの乗員たちは、味方機のソードフィッシュをみて大喜びで手を振っていましたが、彼らが攻撃態勢で突っ込んでくるのを見て首をかしげ、次いで青ざめました。
シェフィールドは必死に投下された魚雷を回避し、ソードフィッシュ隊も攻撃中に味方艦と気がつき、慌てて「攻撃やめ!」と命じて、この珍事は終わりました。
あわや大惨事になるところでしたが、幸いにも双方に死傷者は出ませんでした。
理由はシェフィールドが発砲を我慢して回避に専念したのと(「こうなってはやむを得ません。撃ち落としましょう」と部下たちが主張したのを、艦長が必死に押さえました。また「ビスマルク」が撃ってこないのを、いぶかしく思った隊長機がよくよく見て、味方艦だと気がつきました)、積んでいた魚雷の信管が欠陥品(敵艦にあたっても起爆しないトラブルが多かったため、艦の磁気に反応して起爆する新しい信管を使用していました)で、海に着水したとたん魚雷のほとんどが自爆してしまったという、二つの幸運からでした。
せっかくの攻撃が無駄になってしまったわけですが、もし間違えなかったとしても魚雷が欠陥だったので、ビスマルクに損害は与えられなかったでしょう。今はそれを同士討ちのショックの慰めとするしかありませんでした。
19時10分、第2次攻撃隊15機が旧来の信管に戻した魚雷を積んで、アーク・ロイヤルを発艦し、再びビスマルクを目指しました。
今度はシェルフィードからの無線誘導もあり、攻撃隊は20時53分、ビスマルク上空に達しました。ビスマルク上空は厚い雲に覆われていたため、攻撃隊指揮官コード少佐は一斉攻撃を諦め、小隊ごとによる攻撃を命令しました。
一方、飛行機の爆音を確認したビスマルクでは、リンデマン艦長は直ちに対空戦闘準備を命じ、雲から飛び出してくるソードフィッシュ攻撃機との戦闘が開始されました。
ビスマルクの対空射撃は激しかったものの、前にブログで書きましたように対空兵装に欠点があったため1機も落とさず(戦記物ではここでも1機撃墜と書いてあるものもありますが、実際にはエンジン故障で、不時着水した機が1機あるだけです。着水場所が母艦近くだったこともあり、搭乗員3人は無事救助されました)、ソードフィッシュは弾幕をかいくぐって、魚雷を次々と投下しました。
ビスマルク左舷中央部に最初の魚雷が命中し、左舷機関区に一部浸水し(ただし少量だったため、すぐにポンプ排水しました)、一瞬動きが鈍くなりました。
そこに、フォーセット大尉率いる小隊が、右舷からビスマルクに肉薄して魚雷を投下しました。
リンデマン艦長は回避を命じましたが、右へ左へと舵を切っている状況では慣性の法則が働いており、巨艦が素早く動くのは無理です。回避は間に合わず、魚雷は右舷後部に命中しました。そしてこれが致命傷となりました。
被弾の衝撃で中央のスクリューが曲がって船体に食い込み、艦底に大穴を開け大浸水を引き起こしました。さらに破損した船体の破片が舵の動作部に衝突して、舵が取舵12度の位置で固定して動かなくなってしまいました。
これによりビスマルクは操舵不能、速度も7ノット以上出せなくなりました。そして自らの意思に反して、大きな弧を描きながら、イギリス戦艦キングジョージ5世とロドネイの待ち受ける北へと向かい始めてしまいました。
 
これほどの損傷を航行中に修理することは不可能です。ドックに入って本格的な修理をするしかありませんが、港に自力で向かうことが出来ません。
ビスマルクを助けられる力があるのは、妹艦テルピッツしかいませんが、彼女はバルト海で訓練中です。ブレスト港の巡洋戦艦シャルンホルストとグナイゼナウは、出撃不能(シャルンホルストは機械故障、グナイゼナウは英軍機の攻撃で損傷)でした。
まぁ、もしも出撃できたとしても、ビスマルクの半分の大きさで、28センチ砲しか持たない彼女たちでは救出は難しかったでしょう。つまり、ビスマルクを助けられるドイツ艦は、1隻も存在しませんでした。
いよいよビスマルクに最後の時が迫ってきました。





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Last updated  2017.02.06 23:00:00
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