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2017.12.29
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カテゴリ:プラモデル・艦艇

テレビなどで、波乱な生涯を送っている人物の話などが、取り上げられることがあります。しかしそれは人だけでなくは物にもあるようです。

第102号哨戒艇は、太平洋戦争中に日本海軍が使用した戦闘艦艇の1隻です。
​​しかし驚くべきは、元はアメリカ海軍の駆逐艦(クレムソン級駆逐艦(日本では「平甲板型」と呼ばれることが多いです))スチュワート (DD-224)だったことです。第二次大戦で唯一、敵国に鹵獲されて戦闘に使用された駆逐艦でした(鹵獲された戦車や飛行機などは、敵国に使用されたケースはありますが、艦はこのスチュワートだけです。気軽に利用できる傾向にある飛行機や戦車と違い、艦艇は構造が複雑で乗員の慣熟訓練を必要とするため、帆船時代以降は、鹵獲して運用するのは難しいのです)。​​

​​太平洋戦争勃発時、米アジア艦隊(フィリピン駐留) に配属されていたスチュワートは、バリ島沖海戦(昭和17年2月20日)で日本艦隊と戦いますが損傷し、修理のためスラバヤ(現在のインドネシア・ジャワ島東部)のドッグに入渠しました。​​
その最中に日本軍のジャワ島上陸を受け、脱出不能と判断され、爆破・海没処分されました。
米軍はスチュワートを完全に破壊したと思っていましたが、実際には着底場所の水深は浅く、船体も修理可能な状態だったため、日本側はをこれを浮揚修復を試みました。
​約1年3か月後の昭和18年6月、スチュワートは、第102号哨戒艇としてよみがえり、日本海軍に編入されました(第102号の意味は、スラバヤのドッグを管理してスチュワートを修理したのが、海軍第102工作部だったことによります)。​
​主な変更点は、4本あった煙突を、第1・2煙突をつなげて3本にし、アメリカ製の主砲や魚雷発射管を下ろして、日本製の高角砲や機銃などを搭載しました(アメリカ製の武装では、弾薬の規格が合わず、役にたたないためです)。​
​機関は変更せず(そこまで変更すると、一から船を作った方が簡単になるぐらいの大工事になるため)、そのまま修復して使用しましたが、一度爆破処分され、海水に浸かっていたこともあり、たびたび故障して、乗員を悩ませることになります。​
日本艦艇に見える風に改修しているものの、シルエットはどう見てもアメリカ駆逐艦にしかみえないため、味方からの誤認や誤爆を防ぐため、船体に目立つよう日の丸を描いています。​

さて第102哨戒艇ですが、主な任務は海上護衛でした。輸送船を護衛して日本本土と南方地域を往復しています。
大戦後半、米海軍潜水艦による通商破壊戦が激しくなると、彼女はたびたびアメリカ軍に目撃されることになり、それが米軍内で混乱を巻き起こしていました。
​​なぜなら、米軍側はスチュワートは完全に処分されたと思っていたため(そのため彼女の名前は、別の艦にすでに付けられていました)、所属不明の「米駆逐艦」の存在に、困惑してしまったのです(中には「幽霊船」と主張する者もいたようです)
結局米軍当局内で、彼女の存在は都市伝説のようになってしまい、真相が明らかになるのは戦後まで待たなくてはなりませんでした。​​
​第102号が最も激しく戦ったのは、昭和19年後半でした。かつての母港のあったフィリピンと台湾間、さらにはシンガポールと日本本土間の船団護衛に奮戦しました。
彼女にとって幸運といえるのかはわかりませんが、かつての母国アメリカの潜水艦を撃沈するようなことはなく(航空機との戦いでは、何機か撃墜している可能性があります)
第102号としての功績も、撃沈された日本艦船の乗員の救助と移送など、縁の下部分の働きが多かったようです。​
日本とアメリカという二つのあるじに、義理立てしいたと言えるかもしれません。
彼女の最後の戦闘は、昭和20年4月26日のシモ03船団に属しての戦闘でした。
​その際、米軍機の攻撃でラダーケーブル(舵を動かすケーブル)が切断され 一時航行不能になりましたが、米軍機の攻撃は撃退できたため、何とか船団は門司港までたどり着けました。​
​その後、呉で修理と電探(レーダー)設置や対空兵装の強化されましたが、燃料の枯渇した状況で出港して戦う機会はなく、大分県佐伯港に移動して、浮遊砲台となる任務に就きましたが、最後の戦いが来る前に戦争が終わりました。​
やがて進駐してきた米軍は、敵軍に編入されていた彼女の姿を見て仰天しました。
​こうして第102号は母国アメリカ軍籍に復帰しました(といっても、すでに「スチュワート」の名前は別艦で使用されており、単に「DD-224」という艦番号だけで呼ばれるだけでした。事情を知った米兵たちからは面白がられて、非公式に「RAMP(「帰ってきた連合国軍人」という意味)」と呼ばれたようです)。​
​そして昭和21(1946)年3月、彼女は23年ぶりに米本国へ帰還しました(スチュワートは、1923年にアジア艦隊編入以来、アメリカ本土には帰っていませんでした)、それが彼女にとって最後の航海でした。​
帰国の途中、ずっと酷使され続けた第102号の機関は、グアム島付近で完全に故障して動かなくなり、曳航されてサンフランシスコに到着しました。
​その後本艦を視察した米海軍当局は、すでに老朽化と故障の著しい彼女に、延命の必要を認めず(これは彼女だけでなく、他のクレムソン級駆逐艦の姉妹たち全員に下された決定でした。同型艦はいずれも1919年から竣工し始めた老齢艦で、戦争が終わり、新鋭艦が大量にある状況なので、一気に廃棄処分が決まったのです)、廃艦となりました。​
そして同年5月23日、米軍機の攻撃訓練の標的艦として、サンフランシスコ沖でその波乱の生涯を閉じました。


第102号哨戒艇 性能諸元(終戦時)

排水量 1215トン
全長 95.83m
全幅 9.68m
最大速力 26ノット(就役時は35ノット)
航続距離 12ノット/2,500海里
乗員 105名
武装  八センチ単高角砲 2門、25ミリ連装機銃 3門、 25ミリ単装 5門、 13ミリ単 2門、45cm魚雷落射機4基、爆雷投射機(94式爆雷投射機 2基、81式爆雷投射機 2基)





プラモデルキット 「ミラージュホビー 1/400 日本海軍・第102号哨戒艇」

さて今回のプラモデルは、日本製でではなくポーランドのメーカー、ミラージュホビー製です。 そのため日本ではなじみのない1/400サイズのプラモです。
作った感想ですが、二度と買わん! です。
すっごく部品が細かい上に、日本製プラモであるような部品同士を接着する際の目印のようなものは一切なく、組立図をもとに、見よう見まねで一から工作しないといけない感じです。
​とんでもない上級者向けなのか、日本製プラモが制作者にやさしい親切なつくりなのかどっちなのかとはわかりませんが、私には手に余りました(一点縮尺がおかしい点に気が付きました。高角砲と機銃のところですが、なぜか日本製の1/700サイズの部品がぴったり合います。どっちが間違っているのかわかりません。ミラージュ製は造形がいまいちだったので、対空気銃などは日本製プラモの1/700を付けました)。​
​次からは日本製オンリーにしたいと思います。​
そんなわけで、細部は手抜きの第102号哨戒艇です。





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Last updated  2017.12.30 13:17:34
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