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2018.03.22
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カテゴリ:歴史

↑昔作った海軍局地戦闘機「紫電」です。でも今回の話に紫電は出てこないんだなぁ(汗)


だいぶ間が空いたというか、すっかり忘れていました(汗)。
https://plaza.rakuten.co.jp/allmilitary72/diary/201010230000/
海軍の戦闘機パイロットだった母方祖母鳥の従弟の話をしたいと思います(前に従兄と書きましたが、考えてみたら祖母鳥より年下だったので、.従弟でした・汗)。私も小学生の頃に一度だけあったことがあります。
​​話に合わせてプラモを載せようかとも思ったのですが作る間がなく(積みプラが増える一方・汗)、プラモは間に合わなかったので、のせるのは昔つくったやつか、箱絵でご勘弁を(汗)。
​​
​あと、まとめるのに少々時間がかかっていることもありまして(居酒屋などで話をすれば簡単に終わっちゃうんですけどね。文章にすると結構ややこしいです)、何回かに分けて、不定期にまとめたいと思います。​
ここまで書いてなんですが、初めに残念なお話をします。
私はその祖母鳥の従弟鳥のフルネームを知りません。祖母鳥が「たかちゃん」と呼んでいたのを覚えているだけです。
​親戚づきあいをしていたのは、祖母鳥だけだったので、双方が亡くなってしまい、今はもう確認のしようが無くなってしまいました(ウチの母殿といい、おじおばたちもあんまリこういう話に関心なかったんです・溜息)。​
私も会ったのがもう10年後なら、歴史学的な検証を意識して、きちんと話を聞くことができたのですが、なにせ小学生だったので、「おじちゃん何に乗っていたの?」「敵機を落としたことあるの?」とか、そういう話しか聞かなかったんですよ(多汗)。本当に残念なことしました。
​そういうわけで、名前がわからないため、どこの部隊にいたとか、学徒出陣組なのか、志願で入隊したのかとか(この辺は待遇や考え方の差など、いろいろ違いがあったようです)、わからずじまいです。​
調べてみようとしたのですが、結局わからず断念してしまいました。まぁ、今ならあるいは調べられるかもしれませんが・・・。
​さらに祖母鳥も勘違いしていたり、間違えていた点も多くあり(まぁ、祖母鳥は女性にしては軍事知識などはあり、ことに海軍戦闘機の名前に関しては、有名どころはほぼ知っていました。ただし写真を見て機種を判別とか、そういうことはできませんでした。研究家ではありませんでしたからねぇ)、その点も不正確なところも多いです。予めご理解いただければと思います。​
​従弟鳥が最初に配属された先は、硫黄島でした​(「本当はサイパンに行くはずだったが、その前に(サイパンが)落ちたので、硫黄島になった」と話していたそうです。ただしこれも部隊としていサイパンに行くことになっていたのか、すでに進出していた部隊に補充もしくは転属で配属される事になっていたかは不明です)​。​
​硫黄島に行く前に、従弟鳥が戦闘機を飛ばして、船堀(現在の東京江戸川区船堀付近。その辺りに母方の一家は住んでいました)にやってきたと、祖母鳥は言っていました。​
​​​​「2回(上空を)旋回して、飛んで行った」とのことです。たぶん親族の中で、別れを告げられる距離にあったのが、祖母鳥の家(船堀の三角という場所に祖父母鳥の家がありました。って、地元民にしか通じないネタだ・汗)しかなかったからのようです。​​​​
ですが、この部分は祖母鳥の勘違い、間違いがが大きかった点のようです。
​祖母鳥は​「紫電に乗って別れを告げに来た」​と言っていましたが、硫黄島に進出した海軍の戦闘機はすべて零戦で、紫電はいなかったはずなのです。​
また、硫黄島に進出した部隊は横須賀にいたので、横須賀から東京まで飛んで、それから硫黄島に向かったというのも、無理があるのでは? と思っています。
​飛行機ではひとっと飛びはいえますが、やはり少々距離もありますし、当時、陸軍との協定で、東京の防空は陸軍が担当していたので、海軍機はむやみに侵入することは厳禁でした(局地戦闘機「雷電」や夜間戦闘機「月光」を装備して、首都圏の戦闘を行った事で有名な厚木の第302航空隊も、防空戦闘では陸軍の指揮下に入ることになっていました)。​
そうなると、この逸話の信ぴょう性がと言いたくなるかもしれませんが、この話には、祖母鳥以外にも証言してくれた人がいました。母鳥と三男伯父鳥です。
​​​​「(子供だったから)よく覚えていないけど、(祖母鳥が)「たかちゃん!」と、飛行機に向かって手を振っていたよ。パイロットが(操縦席から)顔を出していたね。飛行眼鏡をかけて、誰かわからなかったけど、白いマフラーが風になびいていたのは、よく覚えているよ(母鳥談)」​​​​
​三男伯父鳥も、「戦時中に、ウチの真上を戦闘機が2回旋回していってな。おふくろ(祖母鳥)は、「たかちゃんだよ」と言っていたな」と言っていました。​
まぁ、身内の証言なんですけどね。
​ただしこの話はあとでもう一人、証言者を見つけることができました。父方伯父鳥(先日亡くなった伯父鳥です・涙)です。​
​父方の一家は、松江(現在の東京都江戸川区松江町・小松川町の一部)に住んでいました。船堀からは約2kmぐらい離れていて、この頃は両家に付き合いもなく、お互いの存在は知りません。​
​その伯父鳥にいろいろ戦争時の話を聞いたとき、「船堀の方で、戦闘機が旋回して飛んで行ったと話を聞いた事があるぞ。確か海軍機で、船堀小学校の子供たちが大喜びしていたと言っていたかな。(当時)結構話題になっていた」と言っていました。​
​​伯父鳥は「たかちゃん」の事は知りません(たぶん亡くなるまで知りません。私も祖母鳥も、父方伯父鳥にその話はしたことがありませんでしたから)。今は身内ということになってしまいますが、当時は親戚づきあいもなかったので、第三者的な証言といっていいかなと思っています(ちなみに伯父鳥は、「その話を覚えているのは、海軍機が(戦闘でなく)飛んできた話を聞いたのは、一度きりだったから」とも言っていました)。​​
そういう証言から、祖母鳥の言うとおり、海軍機が船堀の上空を旋回したというのは確かなようです。
​それで私の考えですが、おそらくですが、霞ヶ浦で訓練を終えた従弟鳥が、横須賀に進出する際に、船堀に寄り道していったのでは? と思っています。それならコース的にも、上官などに見とがめられない程度に、寄り道してあいさつしてこれたのかなとも思います(この手の行為は、墜落したり事故を起こさない限り、黙認されたる事が多かったようです)。とまぁ、脱線が長くなりましたが、従弟鳥の硫黄島での話に触れたいと思います。​





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Last updated  2018.03.24 22:34:53
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