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2018.03.29
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カテゴリ:歴史

↑作る予定で買ったタミヤ製 米海軍F4F-4ワイルドキャット戦闘機です。
近年日本の研究家からも再評価が進んでいますが、実際のワイルドキャットは、大戦初頭こそパイロットの練度不足などで零戦に敵わなかったものの、「日本機キラー」と呼ばれたF6Fヘルキャットが登場するまで、太平洋各地の戦線を支え、多くの日本機を撃墜した殊勲機でした。


前回の続きです。
​たかちゃんの、紫電とF4Fワイルドキャットが互角という話を、私が納得したのは、話を聞いてから10年ぐらいあとでした(まぁ、この頃ファミコンの登場でプラモを作らなくなり、自分の中で第二次大戦の話より、戦国時代や中国史ブームが到来していたこともあり、そのまま終了になっていました)。​
零戦が21型から52型と改良型が作られていたのと同様に、ワイルドキャットも性能向上型が有ることに気がついたからです。
​ワイルドキャットの最終発展型は「FM-2」といいます(第二次大戦初期のワイルドキャットは「F4F-3」というタイプで、ミッドウェー海戦の頃には機銃を2挺増やして6挺になった「F4F-4」に機種変していました)。​
​FM-2はカタログデータ的にみると、F4F-4より最高速度は約20km向上して534km、上昇力はF4F-4が6100mまで12.4分だったのがFM-2は8分と、大幅に性能が向上していますが、零戦と比較すると見劣りして見えます(最高速度は21型で533km、52型で564km。上昇力は6000メートルまで21型で7分2秒、52型は7分1秒)。さらに紫電との比較になると、最高速度583km、6000mまで5分36秒と、FM-2であってもワイルドキャットが完敗に見えます。​
​しかしFM-2ワイルドキャットは、防弾装備が充実していて(操縦席回りも、前面に防弾ガラス後方に防弾板、燃料タンク回りも、これでもかというぐらい防弾板と防弾ゴムで覆われていました)、ちょっとやそっとの被弾では墜落せず、またエンジンの馬力向上と、機体の軽量化で小回りが利くようになっており、零戦と互角に近い格闘戦出来る機体になっていました。​
防弾性能は21型より向上していたものの、依然被弾に弱い零戦52型では、お株の旋回性能の優位を生かせないFM-2相手では、実際のところやや劣勢ぎみと言えそうです。
​​​​そして紫電はというと、誉エンジンの不調で、カタログデータの80%ぐらいしか常時出せなかったようで(この問題は、同じエンジンを搭載していた紫電改、陸軍の四式戦闘機「疾風」も同じ悩みでした)「F4F(実際はFM-2だけど)と互角」というたかちゃんの評価は、正しかったように感じます。​​​​
​​そんな感じですから、F4Fより性能の大幅に向上したF6Fヘルキャットには(最高速度はF6F-5で、最高速度611km、上昇力は不明ですが、操縦席回りの防弾装甲だけで100kg近い重量を使っていました)、紫電は奇襲でないと難しいという評価も納得できました(このことを調べてみるまで、紫電はヘルキャットと互角位より少し劣っている程度、紫電改がヘルキャットより優勢という認識でした)。​​
最後に、なぜF4F-〇ではなく、FM-2というコードになっているのかですが、この機が試作されたころ、製造メーカーのグラマン社は、F6Fヘルキャットの量産配備に手いっぱいで生産する余裕がなく、アメリカ自動車メーカーのビック3として有名なゼネラルモーターズ社(GM)で、生産することになったからです。
​後継機ができたのに、ワイルドキャットの生産にこだわったのかというと、ヘルキャットは、小型の空母では離着艦速度やエレベーターの重量の関係で運用が困難で(同じ理由で、供与を受けていたイギリスやフランスの海軍でも、ワイルドキャットは重宝されました)、ワイルドキャットの方が操縦性やコストパフォーマンスに優れていたからです。​
​・・・と、紫電ではなく、ワイルドキャットの話になってしまってますね。野生猫(ワイルドキャット)の話はこれまでにしたいと思います。​

さて、たかちゃんがなんで紫電を好んだかですが、祖母鳥に理由をこのように話していたようです。
第一に、強力な武装だそうです。
20ミリ機銃4挺の火力は絶大で、当たり所が良ければB29でも胴体や翼をへし折ることができたようです。
​たかちゃんは、米軍重爆撃機との戦いが多かったようで​(と言うより、戦闘機と戦うのは苦手だったようです。「紫電で格闘戦やると、照準がぶれて当たらない」と言っていたようですので、たかちゃんが乗っていた紫電が、ガンポッドタイプの11型甲だったことも伺えます。たしかに四発爆撃機相手なら、格闘戦ではなく一撃離脱ですから、11型甲の火力を有効活用できたようです)​、紫電の火力は、零戦より魅力的だったようです。​
​これは私の感想ですが、硫黄島では零戦で四発の重爆と戦っていましたから、米軍機の重装甲に歯がゆい思いをしていたのかもしれません(零戦の武装は、20ミリ機銃2挺と7.7ミリ機銃2挺でしたが、7.7ミリ機銃の方はB29などの重爆には、ほとんど無力でした)。​
第二に、高々度性能が、零戦や紫電改より優れていたからのようです。
確かにカタログデータをみると、紫電の実用上昇限度は、1万2500mで、紫電改は1万1250mです。零戦は1万200mですから、紫電はずば抜けています。
「エンジンの調子が良ければ、紫電はB29を真上から攻撃することも出来た」そうです。​
​​​第三の理由は、​「みんな乗りたがらなかったので、紫電に搭乗割りの希望を出すと、​(高確率で)乗らせてもらえた」からだそうです。​​​
​​​紫電がエンジンと足回りに故障が多く(紫電改・紫電が優先的に配備されたことで知られる第343航空隊では、3日に一度ぐらいの割合で、紫電は事故で失われていたと言われています)、操縦性の悪さと合わせて「殺人機」と陰口をたたかれたのは有名ですが(同じあだ名は海軍の局地戦闘機「雷電」にもつけられました)、それ故に一般的なパイロットたちからは敬遠されていたようです(たかちゃんも離着陸時に、主脚を折る事故を起こしたことがあるそうです。戦闘では負傷せずにくぐり抜けられたたかちゃんですが、紫電の故障による不時着や事故で、3回ぐらい入院したと言います。まさに殺人機だったようです)。​​​
しかしその欠点を差し引いても、エンジンの調子が良い時の紫電は、B29相手にそこそこに戦えるので、たかちゃんはその点を気に入っていたようです。
やはりパイロットたるもの、同じ死ぬなら空でという気概を持っていたようです。
​ただし戦後、「もし戦争になったらまた紫電に乗って戦う?」と祖母鳥が尋ねたところ、「嫌だ。もう紫電に乗るのはこりごり。今度はもっといい飛行機に乗りたい」と、笑いながら言っていたようです。

とまぁ、こんな感じです。
特に目新しい真実がということは一つもありませんが、身内から聞けた歴史の証言ということで、お見逃しのほどを。





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Last updated  2018.03.30 22:33:52
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