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2018.04.30
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久々飛行機プラモです。
2017年は入院したり、仕事が色々あったりで、プラモをまともに作る時間はありませんでしたが、年末落ち着いてきたので、プラモ祭りしてみました。第一弾は零戦派生型で最も不人気な32型です。
​不人気の原因は、32型の外見の特徴である角形の翼端を言う人は多いです(私もです)。​
​21型や52型と比べてみると、やっぱり不格好なんですよね​(零戦の主任設計者堀越二郎氏は32型の設計にかかわっていませんが、後から32型の角形の翼端を知って、大立腹したそうです)​。​

​零戦32型の計画がスタートしたのは、零戦11型の配備が進み始めた昭和15(1940)年末ごろでした(「零式二号艦上戦闘機(二号零戦)」と呼ばれました)。​
​栄エンジンの性能向上型で、二速過給機付の栄二一型(1130馬力。零戦21型までの栄一二型は、940馬力でした)が開発されたこともあり、実戦のデータや戦訓などを取り入れて、零戦の性能向上型が企画されたのです。​
32型に取り入れられたコンセプトを見ると、零戦の高速化と高高度性能の向上、20ミリ機銃の携帯弾数の増加といったもので、これらは戦訓や欧米戦闘機の性能向上を見越した順当な意見だったと思います。
​そして最も注目する点(でもほとんどの人からはスルーされるのですが)は、32型は生産向上に目を向けられていたことです。​
当時の日本は職人の国です。基礎工業力の体力は、アメリカに比べて大量生産体制とは比較にならないほど貧弱でした。しかし近代戦において重要になってくるのは、数をそろえることです。
例えば100機の戦闘機が必要なところに、10機しか生産能力を持たないのでは、お話になりません。
したがって少しでも量産できるよう、製造の簡略化や合理化といった整理が必要になります。
​少数精鋭主義の日本海軍が(そのため海軍機は、陸軍機と比べて製造コストが高く、「彗星」艦爆や、双発爆撃機「銀河」など、高性能機も多かったものの、大量生産には向きませんでした)、この改修案をすんなり受け入れたのは、航空戦がとにかく数を必要とするという点を、認識し始めていたと言えるのかもしれません。​
それが取り入れられたのが32型でした。
​不人気の翼端の角形も、翼端を12メートルから11メートルに縮める際に(日本の空母のエレベーターは11メートルだったので、21型は翼端を50センチづつ折りたたむようにしていました)、円形に成形するよりも工程が減るので、その分生産力の向上出来たのです。​
​こうして製作された32型は、速度の向上が思ったより低かった点(これは翼端を角形に変えた影響で、翼端に気流が発生して空気抵抗になっていたのです。そのためこの後の52型シリーズでは、翼は32型と同様11メートルのままでしたが、翼端は円形に改められました)、エンジンの大型化と燃費の悪化、燃料タンクの縮小による航続距離の低下という不満点は出たものの、戦局の進展もあって、海軍はそれに目をつぶり量産が開始されました。​
昭和17(1942)年8月ごろより、32型の前線配備が進められましたが、不運は昭和17年9月、ガダルカナル島をめぐる戦いが始まったことでした。
​​当時ソロモン諸島には飛行場はなく、ラバウルから約1037kmもの距離を飛んでガダルカナル島へ攻撃をするしかありませんでしたが、航続距離のダウンした32型(21型より約400km低下しました)は、全く役に立ちませんでした(32型はブーゲンビル島に飛行場ができるまで、戦いに参加することができませんでした)。​​
そのため、21型の機体に栄二一型を搭載した零戦22型か急きょ生産されることになり、32型の価値は相対的に低下しました。
​​さらに新鋭機にありがちな、エンジントラブルなども当初は多く、前線部隊から「役に立たない二号零戦(32型のこと。32型、22型という名称は当初はありませんでした)はいらない。一号零戦(21型のこと)を送れ」と、苦情が来る始末になりました。​​
​こうして新鋭機として登場したにもかかわらず、生産数は343機に留まり(参考までに21型は3561機です)、32型の多くは、21型より早くに戦場から姿を消して、日本本土で訓練などに使われる結果になりました。​
もし登場したのが半年早ければ、ここまで酷評はされなかったのでしょう。時期が悪かったとしか言いようがありません。
​ただし32型のコンセプト(高速と高高度性能の向上など)自体は正しい進化の方向だったため、あとの52型シリーズに引き継がれていくことになります。​






零戦32型データ
機体略号 A6M3
全幅  11.0m
全長  9.121m
全高  3.57m
発動機  栄二一型(離昇1,130hp)
最高速度  544.5km/h(高度6,000m)
上昇力  6,000mまで7分5秒
航続距離  全速30分+1,052km(正規)/全速30分+2,134km(増槽あり)
武装  九九式一号20mm機銃2挺(翼内・携行弾数各60発)、九七式7.7mm機銃2挺(機首・携行弾数各700発)
 爆装  30kg爆弾2発又は60kg爆弾2発、


プラモデルキット 「タミヤ 1/48 傑作機シリーズ No.14 日本海軍 零式艦上戦闘機 32型(A6M3)」
今回の仕様は第二航空隊所属の報国機(献納機)です。
献納機とは、民間の献金により作成された機体で、事業家・企業が1機分の資金を丸々出した場合は、機体に事業家名・企業名が入ります。プラモの例で言えば、朝鮮の実業家方義錫の献金で作られた機体です。


同機は戦闘で修理不能となり、ニューギニア島部のブナ飛行場に放棄され、のちに米軍により鹵獲されました(その後どうなったかは不明)。
余談ですが、民間からの献金で作られた献納機は、陸軍では愛国号、海軍では報国号と呼称されました。






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Last updated  2018.04.30 22:01:48
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